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ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅
Maisons de la Weissenhof-Siedlung
ギエット邸
Maison Guiette
ベルギーのアントワープにあるギエット邸は、1926年に設計された画家ルネ・ギエットの住宅兼アトリエで、「レ・ププリエ(ポプラの家)」と呼ばれています。建築家ル・コルビュジエが海外で初めて受注した建築作品で、彼が提唱した住宅モデル「メゾン・シトロアン」を実際の住宅に表現した数少ない例のひとつです。「メゾン・シトロアン」は、建築部材の規格化と、「住宅は住むための機械である」という考えにもとづき、生活に必要な機能を建築に取り入れることを目指した住宅モデルです。一方、敷地が細長い形状だったこと、都市計画の規制があったこと、ギエット自身が1階で生活し庭へ直接出られる住まいを希望したことから、ル・コルビュジエ建築の特徴であるピロティは採用されませんでした。そのため、道路側にキッチンやトイレを配置した、独特の3階建て住宅になっています。
クルチェット邸
Maison du Docteur Curutchet
1949~1953年にアルゼンチンのブエノスアイレス州ラ・プラタに建設されたクルチェット邸は、第二次世界大戦後の建築家ル・コルビュジエを代表する重要な作品です。この設計を依頼したのは、アルゼンチン人外科医のペドロ・ドミンゴ・クルチェットです。彼は優秀な医師であり、音楽・絵画・文学に造詣の深い教養人でもありました。クルチェットは外科クリニックを開業するにあたり、単に診療所付き住宅を求めるのではなく、「新しい時代の住まいのあり方」を表現できる建築家として、ル・コルビュジエに設計を依頼しました。敷地は小さいながらも公園に面した恵まれた場所で、この計画に魅力を感じたル・コルビュジエは、クルチェットに宛てた手紙の中で、「シンプルで、敷地や用途に適切に応えた、調和のある小さな傑作をつくる」と伝えています。
国立西洋美術館
The National Museum of Western Art / Musée National des Beaux-Arts de l’Occident
国立西洋美術館は東京の上野恩賜公園内にあり、実業家松方幸次郎が収集した美術品コレクション(松方コレクション)を基礎に、西洋美術作品を収蔵・展示するために建設されました。第二次世界大戦末期、松方コレクションはフランス政府に接収されていましたが、1953年に日本へ寄贈返還されることとなります。その際、フランス政府は返還の条件として、新たな美術館を建設することを求めました。これに応えるため、フランスの建築家ル・コルビュジエの基本設計をもとに、彼の弟子である前川國男、坂倉準三、吉阪隆正によって日本で実施設計が行われました。1959年に完成した国立西洋美術館は、近代建築の巨匠ル・コルビュジエによる日本唯一の作品であり、その後の日本現代建築にも大きな影響を与えたのです。
サヴォワ邸と庭師小屋
Villa Savoye et loge du jardinier
1928年、ピエール・サヴォワとウジェニー・サヴォワ夫妻は、パリ郊外のポワシーに週末を過ごすための別荘を建てることを決めました。彼らは、当時すでに前衛的な作品で知られていた建築家ル・コルビュジエに別荘の建築を依頼しました。その依頼はサヴォワ夫人からル・コルビュジエに宛てた手紙によって行われ、そこには温水設備、電気やガスの設備、照明の雰囲気や床材の指定など細かな要望が具体的に記されていました。この建築には、ル・コルビュジエの従兄弟であるピエール・ジャンヌレも協力しました。当時のポワシーはのどかな田園地帯で、別荘の敷地はセーヌ川を望む木々に囲まれた広大な草地でした。ル・コルビュジエはこの自然環境をできるだけ損なわないように、「家は草地の上に、何も乱すことなく置かれた物体のように存在するべきだ」と考え建築に取り組んだのです。
チャンディガールのキャピトル・コンプレックス
Complexe du Capitole de Chandigarh
1952年にインドのパンジャーブ州チャンディガールで始まった都市計画は、「チャンディガールのキャピトル・コンプレックス」として、建築家ル・コルビュジエによる最も壮大な近代建築のひとつとして知られています。1947年にインドがイギリスから独立した際、パンジャーブ州は東西に分割され、東側はインド領、西側はパキスタン領になりました。当時、州都であったラホールがパキスタン側に属することになったため、新たな州都がチャンディガールに建設されることになったのです。この都市計画は、独立を果たしたインドが自由と近代化へ向かう姿を象徴しており、民主主義を支える立法・行政・司法の3つの建物と、ル・コルビュジエの思想を表現する4つのモニュメントで構成されています。
ノートル・ダム・デュ・オ礼拝堂(ロンシャンの礼拝堂)
Chapelle Notre-Dame-du-Haut
フランス北東部ヴォージュ山脈の南、ロンシャンに位置するノートル・ダム・デュ・オの丘は、11世紀以前の歴史はよく分かっていませんが、その地形から古代には戦略上重要な場所であった可能性があり、ローマ軍の駐屯地があったとも考えられています。カトリック修道会であるドミニコ会の巡礼地として6世紀末には礼拝所が設けられ、9世紀には毎年9月8日に聖母マリアの誕生祭を祝い、祈りをささげる巡礼者たちが訪れていたようです。残念ながら、当時の礼拝堂の姿を伝える資料は残っていません。20世紀に入ると、8月15日の聖母被昇天を祝う巡礼が行われるようになりました。第二次世界大戦中、ロンシャンは爆撃を受け、ノートル・ダム・デュ・オの丘の礼拝堂は破壊され、ドイツ軍の軍用無線局や観測所が置かれました。戦後、礼拝堂再建の設計が建築家ル・コルビュジエに依頼されました。彼は当初、教会のために働くことを拒否していましたが、1950年にロンシャンを訪れ、そこで目にした風景に心を奪われ、この依頼を受けることを決意したのです。1955年にル・コルビュジエによって礼拝堂が完成し、その後1970年代にジャン・ブルーヴェが鐘楼を、2011年にレンゾ・ピアノが聖クララ修道院と案内所を設計しました。この丘全体が、歴史的、芸術的、精神的価値を併せ持つ場所となったのです。
マルセイユのユニテ・ダビタシオン
Unité d’Habitation in Marseille
1945年、フランスの復興・都市計画大臣ラウル・ドートリーは、建築家ル・コルビュジエに、第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたフランス南部マルセイユにおける大規模集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」の建設を依頼しました。ル・コルビュジエは、生涯で5つのユニテ・ダビタシオンを設計しています。なかでもマルセイユのユニテ・ダビタシオンは最初の作品であり、1947年から1952年にかけて建設されました。この集合住宅は「垂直の庭園都市」という考えのもとに計画されました。「ピロティ」とよばれる柱の上に持ち上げられた高床式の建物は、長さ135m、幅24m、高さ56mの直方体の形をしています。18階建ての建物には、約1,500~1,700人の住民が暮らし、23種類のタイプに分かれた330戸の住居が設けられています。また、7階と8階にはスーパーや郵便局、ホテル、レストランなどがあり、さらに屋上テラスには幼稚園やスポーツ施設が設けられるなど、都市の機能も備えているのです。
ラ・ロッシュとジャンヌレ邸
Maisons La Roche et Jeanneret
1923年、建築家ル・コルビュジエによってフランスのパリ16区に設計された「ラ・ロッシュ邸とジャンヌレ邸」は、建築において近代に相応しい芸術を作ろうとする「ピュリスム」の運動を初めて表現した作品です。緑豊かな袋小路に建てられた2棟続きの邸宅は、ひとつの建築作品として設計されました。「ラ・ロッシュ邸」は、裕福な独身の美術収集家であり、スイスの銀行家でもあったラウル・ラ・ロッシュのために設計されました。独身者の住居であると同時に、近代絵画コレクションを展示するギャラリーとしての役割も担っていました。一方、「ジャンヌレ邸」は、ル・コルビュジエの兄であるアルベール・ジャンヌレ夫婦のために設計されました。3人の子どもを持つ家族のための住宅として、多くの部屋と生活に必要な設備が備えられています。
レマン湖畔の小さな家
Villa Le Lac