Properties & Sights

構成資産・みどころ一覧

(プラハの歴史地区)

カレル大学

Charles University / Univerzita Karlova
カレル大学
カレル大学は、1348年にボヘミア王であり神聖ローマ皇帝でもあったカレル4世によって創設された大学です。ボローニャ大学やパリ大学を手本として設立され、アルプス以北・パリ以東で最初の「ストゥディウム・ゲネラーレ(国際的な大学)」となりました。創設当初は神学・法学・医学・教養学の4学部で構成され、ヨーロッパ各地から学生や学者が集まる学術拠点となりました。カレル大学は、黄金時代を築いたカレル4世の時代を象徴する存在のひとつとして知られています。
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カレル橋

Charles Bridge / Karlův most
カレル橋
カレル橋は、チェコの首都プラハを流れるヴルタヴァ川に架かる、中世ヨーロッパを代表する石橋のひとつです。もともとこの場所には12世紀に建設された別の橋が架かっていましたが、1342年の洪水で被害を受けてしまいます。1357年、神聖ローマ皇帝カレル4世の命により新たな橋としてカレル橋の建設が始まり、15世紀初頭に完成しました。その後、橋は旧市街とプラハ城を結ぶ重要な役割を担い、商人や王族、巡礼者など多くの人々が行き交いました。全長およそ516mの橋には、17~18世紀を中心に設置された30体の聖人像が並んでいます。特に、14世紀のボヘミア司祭の聖ヤン・ネポムツキー像は有名で、像の台座に触れると幸運が訪れると言われていることから、観光客が多く訪れています。また、アジアで宣教を行ったフランシスコ・ザビエルの像があり、ザビエルを支える東洋人と思われる人物の姿も彫られています。カレル橋は中世に築かれた歴史的景観を今に伝える存在として、現在も多くの人々に親しまれています。
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国民劇場(プラハ)

National Theatre / Národní Divadlo
国民劇場(プラハ)
「国民劇場」は、チェコ国民によって建設資金が集められた、民族のアイデンティティと独立の意志を象徴する建物です。1844年、国民の手によってプラハに壮麗な劇場を建設するという構想が提起されました。実際に募金活動が開始されたのは1851年のことです。その1年後、最初の募金により小さな製塩所跡地を購入します。これにより、プラハ城を望むヴルタヴァ川のほとりで劇場建設が始まったのです。しかし、その狭い敷地と台形の形状は、建築家たちにとって大きな課題となりました。その後、ボヘミアがオーストリアの専制支配を受けた時代には、国民劇場建設が中断され、当初の構想からより簡素な建物への設計変更が行われました。1862年、建築家イグナーツ・ウルマンの設計によって、敷地の南側に建てられた「仮劇場」が開場します。この仮劇場の建物は、後に現在の国民劇場の一部となり、その外壁は劇場の後方に今も見ることができます。
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ストラホフ修道院

Strahov Monastery / Strahovský klášter
ストラホフ修道院
1143年、ボヘミア公ウラディスラフ2世とオロモウツのジンドリフ・ズディーク司教によって、プレモントレ会の男性修道院が設立されました。これが「ストラホフ修道院」で、ここで生活する修道士たちは、その衣服から「白き修道士」と呼ばれ、チェコの精神的・文化的発展に不可欠な存在となりました。ストラホフ修道院は、創設当時「シオン」と呼ばれていましたが、後に現在の地名であるストラホフとして知られるようになります。また、1627年には、修道院の大聖堂にプレモントレ会の創始者である聖ノルベルトの遺骨が移されています。このように長い歴史を持つストラホフ修道院ですが、近現代には大きな試練を迎えます。1948年から1989年までの約41年間、チェコは共産党政権の時代に入ると、宗教への弾圧が強まります。1950年、修道院は閉鎖され、多くの修道士たちは投獄されました。共産党政権崩壊後の1990年、修道院は再びプレモントレ会に返還され現在に至っています。
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聖ヴィート大聖堂

St. Vitus Cathedral / Katedrála svatého Víta
聖ヴィート大聖堂
「聖ヴィート大聖堂」は、プラハで最も大きく重要な教会です。ここでは礼拝のほか、多くのボヘミア王や女王の戴冠式、そして葬儀が執り行われてきました。現在の聖堂は3代目の建物で、最初のものは、929年にヴァーツラフ公によりプラハ丘陵の要塞に創設されたロマネスク様式の円形教会堂でした。その後、971年に聖ヴィート大聖堂参事会が、さらにその2年後にはプラハ司教区が設立されたことで、プラハ城と首都中心部にあるこの教会堂の重要性が高まっていきました。1060年には三廊式バシリカ(内部が3つの空間に区切られた建築)に建て替えられ、最初の円形教会堂の5倍もの規模を誇るようになったのです。
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ティーンの聖母聖堂

Church of the Mother of God before Týn / Kostel Matky Boží před Týnem
ティーンの聖母聖堂
高さ約80mの2本の尖塔を持つ「ティーンの聖母聖堂」は、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の右岸、チェコのプラハ旧市街の東側に位置するゴシック様式の教会です。ティーンとは、かつて周囲を柵で囲んでいた敷地「ティンスキー・ドヴール」に由来します。13世紀半ば、ここは外国人商人たちが宿泊し、関税を支払うための場所として使われていたことから、この呼び名が定着しました。この場所の最も古い記録は、1135年の文献で、「聖母マリア教会」と「病院」があったことが記録されています。13世紀半ばになると、名前の由来にもなった教会の隣にある敷地が、外国人商人のための施設として使われ始めました。13世紀末から14世紀初頭にかけて、教会は地域の中心である教区教会となり、信者の増加に対応するため大規模な改築と拡張工事が行われました。これにより、3つの通路(身廊)や地下室、西側の塔を持つ新しい建物となり、1310年には塔に鐘が吊るされました。この時代の建物で現存しているのは「聖ニコラス礼拝堂」のみです。
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プラハ旧市庁舎

Old Town Hall / Staroměstská radnice
プラハ旧市庁舎
旧市庁舎は、1338年に旧市街の自治の中心として設けられた、プラハを代表する歴史的建造物です。建物は一度に造られたものではなく、複数の中世の家屋を増築しながら形成されました。高さ約70mの塔を備え、長い歴史の中でプラハの政治や市民生活の中心的な役割を果たしてきました。特に有名なのが、1410年に設置された天文時計「プラハのオルロイ」です。現在も稼働する世界最古級の天文時計として知られ、太陽や月の動き、時間、暦などを表示する精巧な仕組みを備えています。また、毎正時には使徒たちが現れるからくり時計の演出が行われます。1945年のプラハ蜂起では戦闘による火災で大きな被害を受けましたが、その後修復されました。現在も旧市街広場を象徴する存在として親しまれており、塔の展望台からはプラハ歴史地区の美しい街並みを一望することができます。
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プルーホニツキー公園

Průhonice Park / Průhonický park
プルーホニツキー公園
プルーホニツェの領地は、1800年にノスティッツ=リーネック伯ヨハン・ネポムクによって購入されました。彼は当時ここにあった城の改修工事に着手しました。1840年にヨハン・ネポムクが亡くなると、この領地は息子のアルベルトへと相続され、その後、アルベルトの娘であるマリア・アントニア・ガブリエラへと引き継がれました。そして1885年、マリアがエルンスト・エマヌエル・シルバ=タロウカ伯爵と結婚したことで、プルーホニツェに新たな時代が幕を開けることになります。
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