Properties & Sights

構成資産・みどころ一覧

(執筆協力:細谷 正文)

アズハル・モスク

Al-Azhar Mosque
アズハル・モスク
972年、ファーティマ朝時代に建設されたモスクです。当初は質素なデザインで、中庭と列柱を多用した当時の典型的なモスクでしたが、その後の統治者により拡張工事が行われ、現在の規模となりました。カイロは、ファーティマ朝によってイスラム勢力の政治・経済・宗教の中心地へと発展していき、アズハル・モスクもイスラム神学やイスラム法研究の拠点となりました。1171年にファーティマ朝がアイユーブ朝によって打倒されると、金曜モスクとしての地位を失いましたが、マムルーク朝支配下の1266年に、再びモスクでの説教が復活され、規模も拡大されました。その後のオスマン帝国の時代にも、大規模な拡張が行われ、各時代の様式が組み合わされ混在するという、カイロの豊かなイスラムの歴史を反映したモスクです。各ミナレットが少し不揃いなのも、各時代の寄進者によりバラバラに建てられてきたことが理由です。
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アムル・イブン・アル・アース・モスク

‘Amr ibn al-‘As Mosque
アムル・イブン・アル・アース・モスク
アラビア半島から進攻してきたイスラム軍の総司令官アムル・イブン・アル・アースは、640年、現在のオールド・カイロ地区付近に、アフリカでの軍事拠点としてフスタートを建設しました。アムル・イブン・アル・アースは、預言者ムハンマドに直接会ったイスラム教徒(教友、サハーバとも)の一人とされる人物です。641年(642年とも)、彼はフスタートに自らの名を冠したモスクを建立しました。これはアフリカ大陸で最初のモスクとされます。当初のモスクは、日干しレンガやヤシ材を用いた簡素で小規模な建築であったと考えられています。
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アリー・カプー宮殿

Ali Qapu Palace
アリー・カプー宮殿
アリー・カプー宮殿は、イマーム広場の西辺にある宮殿です。もともとこの場所にはティムール朝時代の宮殿があり、それをサファヴィー朝の第5代王・アッバース1世が現在の6階建て高さ38mの建物に改築しました。外側のテラスからは広場が一望でき、王はここから式典や競技を観覧したといわれています。最上階には「陶磁器の間」と呼ばれる空間があります。天井から壁はムカルナス(鍾乳石に似せた装飾)があしらわれており、壁面は瓶や壺の形にくり抜かれています。かつてはそこに陶磁器が飾られていました。この壁面の穴は単なる装飾だけでなく、部屋の音響調整をもたらす効果があり、陶磁器の間は音楽堂として機能していました。内部装飾も素晴らしく、複雑な細工やモザイク画に加えて、イラン芸術の粋といわれる人や動物をモチーフとした細密画(ミニアチュール)で飾られており、一見の価値ありと言えます。
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イブン・トゥールーン・モスク

Ahmad Ibn Tulun Mosque
イブン・トゥールーン・モスク
アッバース朝よりエジプト総督に任じられたアフマド・イブン・トゥールーンは、軍隊を率いてエジプト入りした後、単に総督としての地位に飽き足らずに、一種の独立政権(トゥールーン朝)を確立しました。そして、それまでのフスタートの町が人口の増加で手狭になってきたのを機会に、その北東に新たにアル・カターイーの町を建設し、行政の首都としました。879年、アル・カターイーの主要な集会モスクとして建設されたのが、「イブン・トゥールーンのモスク」です。モスク本体は123m×140mの規模、中庭は90㎡の正方形で、四方を列柱アーチ式の回廊が囲んでいます。当時としては先端の建築技術で建設されたようですが、様式としては、中庭を囲む回廊や外階段のついたミナレットなど、メディナの「預言者のモスク」以来の古典的建築様式を踏襲しており、イブン・トゥールーンが若い頃滞在したアッバース朝の首都サーマッラーの大モスクの影響も色濃く現れています。
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イマームのモスク

Emam Mosque / Masjed-e Emam
イマームのモスク
サファヴィー朝第5代の王アッバース1世が整備した都・イスファハーンの中心である「王の広場」の南辺に立つモスクです。建造は17世紀初頭で、イーワーン(アーチ型天井の窪み)型の門は高さ33m、4本あるミナレットは高さ42m、そして中央のドームは高さ53mという大きさです。その規模もさることながら、外壁やドームの青いタイルがとても印象的で、壁や天井の複雑で美しいアラベスク模様にも圧倒されます。それ故に「イスラム世界で最も美しいモスク」のひとつといわれています。ここはずっと「王のモスク(シャー・モスク)」と呼ばれてきましたが、1979年のイスラム革命で王政が倒されてからは、イスラムの宗教指導者を意味する「イマーム」という名を冠して「イマームのモスク」と改称されました。
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カイセリーヤ門

Qaysariyyeh Gate
カイセリーヤ門
イマーム広場の北辺にある門で、17世紀に建てられたサファヴィー朝時代の歴史的なモニュメントです。かつては3階建てでしたが現在は2階建てとなっており、壁面には美しい壁画が施されています。この門からイスファハーンの経済の中心である大バザールへつながっており、この門によって王の広場と民衆の世界が結ばれていました。大バザールはこの門から約2㎞にわたって延び、もうひとつの世界遺産『イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)』まで続いています。
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シェイフ・ロトフォッラー・モスク

Sheikh Lotfollah Mosque
シェイフ・ロトフォッラー・モスク
広場の東側、アリー・カプー宮殿の対面にあるのがシェイフ・ロトフォッラー・モスクです。完成は1619年(1618年とも)で、広場を囲む他の建物より一足早く建てられました。シェイフ・ロトフォッラーとは、アッバース1世の妃の父である、レバノン出身の説教師(シェイフ)の名に因みます。モスクの規模は小さく、一般的なモスクと異なり、中庭もミナレットもありません。しかし、その精緻な内部装飾により「イランで最も美しいモスク」や「イラン芸術の白眉」と称されています。
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スルタン・ハサン・モスクとマドラサ

Mosque and Madrasa of Sultan Hasan
スルタン・ハサン・モスクとマドラサ
カイロの「イスラム地区」と呼ばれる旧市街で、サラディンの城塞(シダデル)の手前にある巨大な建造物です。14世紀にマムルーク朝のスルタンであったナースィル・ハサンが建設し、1363年に完成しました。その巨大さは、高さ55mのドームや、カイロで最大のミナレット(高さ80m)を見ればよくわかります。一説には、建材にギザのピラミッドの表面を覆っていた化粧石板が使われたと言われています。また、その規模だけでなく、繊細な内部装飾や黄金で飾られたミフラーブなど、イスラム芸術の粋を集めた美しさで見どころ満載です。しかし、この建物の完成の直前にスルタン・ハサンは暗殺されてしまい、彼はこの壮麗な建物の完成を見ることはできませんでした。彼の棺もここに納められています。
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ハーン・ハリーリ

Khan El-Khalili
ハーン・ハリーリ
ハーン・ハリーリは、カイロの「イスラム地区」の中央にある広大な市場バザールです。ここは14世紀から続く古い市場ですが、もともとは12世紀アイユーブ朝のサラディンにより開かれた交易の場で、その後マムルーク朝時代に隊商宿(キャラバンサライ)が多く建てられたことで広大な市場となりました。現在は衣類やスカーフ、パピルスの文書絵画、香水、香辛料、真鍮細工などを扱う商店が2,000以上も連なり、日々賑わいを見せています。中世の雰囲気を残す石畳や迷路のような路地が続き、歴史を感じさせます。
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