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アギア・トリアダ修道院
Monastery of the Holy Trinity (Agia Triada)
ギリシャ語で「聖三位一体」を意味するアギア・トリアダ修道院は、標高約565mの奇岩の上に立ちます。メテオラで最も古い修道院のひとつで、1438年に修道士ドゥメティオスによって建造されたと考えられていますが、1362年にはすでに修道院として存在していたという記述もあります。修道院の主聖堂(カトリコン)は1475~76年にかけて建てられました。聖堂にはイコノスタシスやフレスコ画は17~18世紀に描かれたものです。また、17世紀に建設された洗礼者ヨハネに捧げる円形堂形式の礼拝堂もあります。他にも修道院はいくつかありますが、四方が断崖絶壁で囲まれているためか、絵葉書などにもよく使用される修道院であり、メテオラで最も絵になる修道院とも言われています。
アギオス・ステファノス修道院
Monastery of Saint Stephen (Agios Stefanos)
イパパンティ修道院
Monastery of the Presentation of Jesus Christ (Ypapanti)
ヴァルラーム修道院
Monastery of Varlaam
王家の谷
Valley of the Kings
古代エジプトの人々は、ナイル川の東岸を「生者の都」とし、西岸を「死者の都(ネクロポリス)」と考えていました。その西岸に王たちが墓を造るようになったのは紀元前1520年頃のことなのですが、過去にピラミッドで盗掘が目立ったこともあり、その建設は当初、秘密裏で行われていました。トトメス1世の墓の建設に関わった高官の碑文からも、そのことがうかがえるのが興味深いです。また、墓づくりの職人の集落がやがて出来、兵士が墓守をしていたことから、新王国時代(紀元前1550年頃~前1070年頃)の末期までは王墓群は盗掘から守られていたようです。今となっては、トトメス1世からラメセス11世までの約60の王墓が発見されていますが、全ての墓が発見されたというわけではありません。なお、「王家の谷」という名称はフランスの考古学者であるシャンポリオンが名付けました。実際には王以外の王族も埋葬されることがありました。
王妃の谷
Valley of the Queens
カルナク神殿
Karnak Temple
聖ニコラウス・アナパフサス修道院
Monastery of Saint Nikolaos Anapafsas
聖ニコラウス・アナパフサス修道院は、14世紀末に創建されましたが、現在の聖堂は16世紀に再建されたものです。メテオラの中では比較的低い奇岩の上にひっそりと立っており、この地の静寂さにちなみ「アナパフサス(静けさをもたらすもの)」と、尊称を込めて呼ばれました。この修道院の特筆すべき点が、16世紀のクレタ島出身の画家・テオファネスによるフレスコ画が数多く残されている点でしょう。テオファネスはポスト・ビザンツ芸術の先駆者であり、この修道院では「磔にされたキリスト」や「楽園で動物たちに名前をつけるアダム」などのフレスコ画を残しています。カストラキ村からメテオラへと向かう道中で、最初に訪れることのできる修道院でもあります。
ハトシェプスト女王葬祭殿
Hatshepsut Temple
ナイル川西岸にあるハトシェプスト女王葬祭殿は、新王国時代第18王朝のハトシェプスト女王(在位:紀元前1473年頃~前1458年頃)が治世7年目から約15年かけてつくった葬祭殿です。ハトシェプスト女王は、王家の谷に初めて墓を築いたトトメス1世の娘であり、トトメス2世の妃でもありました。彼女は夫の死後、トトメス3世の摂政となるのですが、やがて自らをファラオと名乗り、約20年間にわたってエジプトを支配しました。古代エジプトでは、「ファラオは男性がなるもの」という伝統があったので、これは極めて異例の事態でした。そこで、彼女は公の場に出るときは顎髭をつけたりして、男装をしていたと言われています。彼女の死後、トトメス3世は積年の恨みを晴らすため、葬祭殿にあった男装の女王の立像を破壊し、女王にまつわるレリーフを削ったと言われています。キリスト教が伝わると葬祭殿はコプト教の修道院として利用され、現在一帯はアラビア語で「北の修道院」を意味する「デイル・エル・バハリ」と呼ばれています。
メガロ・メテオロン修道院
Monastery of the Transfiguration of the Savior (Great Meteoron)
ラメセス2世葬祭殿(ラメセウム)
Temple of Ramses II (Ramesseum)
ナイル川西岸にあるラメセス2世葬祭殿は、新王国時代の第19王朝のファラオ・ラメセス2世が建設した葬祭殿です。ラメセス2世は紀元前1279年頃に即位し、90歳を超えるまで約70年にもわたってエジプトを統治しました。この葬祭殿の建築に必要とした労働者は約3,000人以上と言われており、着工から約20年で完成したと言われています。葬祭殿は、王の葬祭だけでなく生前の儀式にも使われていたと考えられています。ヒエログリフを解読したことでも知られる、フランスの古代エジプト学者シャンポリオンは、ラメセス2世葬祭殿を「ラメセウム」と呼び、「テーベで最も高貴にして典雅な建物」と称えました。今でもその威厳ある葬祭殿を拝むことができます。
ルクソール神殿
Luxor Temple
ルクソール神殿は、エジプト最大の神殿であるカルナク神殿に付属する副神殿です。カルナク神殿の南西約3kmに位置しています。副神殿でありながら、重要な祭礼の舞台でもあり、「南の聖域」を意味する「イペト・レスィト」と呼ばれていました。神殿は、新王国時代のアメンホテプ3世(在位:紀元前1390年頃~前1352年頃)により造営され、その後ラメセス2世(在位:紀元前1279年頃~前1213 年頃)により大改築が行われました。第一塔門には、ラメセス2世が築いた高さ25mの巨大なオベリスクが立っています。元々は2本ありましたが、現地に残るのは1本のみです。もう1本は19世紀にフランスに贈られ、現在も遥か遠くのパリのコンコルド広場に存在しています。神殿内にはアメンホテプ3世やラメセス2世の中庭、大列柱廊などがあります。「誕生の間」には、アメンホテプ3世が、トトメス4世(在位:紀元前1400年頃~1390年頃)に変装したアメン・ラー神から誕生したという内容のレリーフが刻まれており、自らの権威を示すものとなっています。神殿は、古代ローマ帝国時代には皇帝崇拝の礼拝堂が築かれ、レリーフの上にフレスコ画が描かれました。また、イスラム教が興ってからはモスクとしても利用されました。
ルサヌー修道院
Monastery of Roussanou