Properties & Sights

オーストリア共和国 | 構成資産・みどころ一覧

ウィーン国立歌劇場

Vienna State Opera / Wiener Staatsoper
ウィーン国立歌劇場
ウィーン国立歌劇場は、1869年にハプスブルク帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の時代に開場した、世界屈指のオペラハウスです。ネオ・ルネサンス様式で建設され、リング通りを代表する建築のひとつとして知られています。しかし、華やかな歴史だけではなく、第二次世界大戦中のナチス政権下では芸術活動への統制が強まり、多くの芸術家が厳しい状況に置かれました。1944年には戦争の影響で劇場も閉鎖され、1945年の空襲では舞台や客席を含む建物の大部分が焼失します。長年使用されてきた舞台装置や大量の衣装も失われました。その後、約10年に及ぶ修復を経て1955年に再開場します。戦争を乗り越え、“ウィーン文化復興の象徴”として再び人々を迎えています。
詳細ページを見る Arrow-right

ザルツブルク大司教宮殿(レジデンツ)

Salzburg Residenz / Residenz zu Salzburg
ザルツブルク大司教宮殿(レジデンツ)
ザルツブルクは798年に大司教座が置かれて以来、カトリック文化の一大拠点として繁栄を極めました。ザルツァハ川の左岸、旧市街の中心に建つザルツブルク大司教宮殿(レジデンツ)は、まさにその権力の象徴であり、何世紀にもわたり歴代大司教たちの政治の拠点、そして住居として機能してきました。ここを現在見られるような豪奢な姿へと生まれ変わらせる礎を築いたのが、1587年に大司教に選ばれたヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウです。彼は25年間にわたる在位期間中、古い建物を次々と取り壊し、イタリア・ローマに比肩するような宮殿や教会、修道院を築くことに心血を注ぎました。この都市改造を支えた巨額の建造費は、かつて「白い黄金」と呼ばれた岩塩の交易でまかなわれていたのです。
詳細ページを見る Arrow-right

ショッテン修道院

Scottish Abbey / Schottenstift
ショッテン修道院
ショッテン修道院は、1155年にオーストリア公ハインリヒ2世ヤゾミルゴットによって創建された、ウィーン最古級のベネディクト会修道院です。アイルランド系の修道士たちが招かれたことから、「ショッテン」の名で知られるようになりました。中世には祈りの場であるだけでなく、学問や教育の拠点としても重要な役割を果たしました。現在も修道院内には名門校ショッテンギムナジウムが置かれています。17〜18世紀には大規模な改築が行われ、現在見られるバロック様式の教会や建物群が整えられました。
詳細ページを見る Arrow-right

聖シュテファン大聖堂

St. Stephen's Cathedral / Domkirche St. Stephan
聖シュテファン大聖堂
聖シュテファン大聖堂の歴史は、1137年に最初のロマネスク様式の教会建設が始まったことにさかのぼります。その後、火災や増改築を繰り返しながら、13〜15世紀にかけて現在の壮大なゴシック様式へ発展しました。特にハプスブルク家のルドルフ4世は大聖堂の拡張を進め、ウィーンを象徴する存在へと成長させました。高さ136mの南塔は中世ヨーロッパでも有数の高さを誇り、街のランドマークとして親しまれています。長い歴史の中ではオスマン帝国による侵攻や戦争も経験しましたが、それでも人々に守られ続けてきた、ウィーンの歴史そのものを映す建築です。
詳細ページを見る Arrow-right

ベルヴェデーレ宮殿

Belvedere Palace / Schloss Belvedere
ベルヴェデーレ宮殿
ベルヴェデーレ宮殿は、ウィーンを代表するバロック様式の宮殿です。ハプスブルク家の総司令官として、オスマン帝国軍との戦いで功績を残したオイゲン公(サヴォイア家出身)が、夏の離宮として建設しました。宮殿は「上宮」と「下宮」に分かれ、その間には左右対称の美しい庭園が広がっています。なかでも上宮は丘の上に建ち、庭園越しに望む景観が大きな魅力です。「ベルヴェデーレ」という名称にも、“美しい眺め”という意味があります。また、下宮はオイゲン公の居城となり、「大理石の間」「黄金の間」など贅沢な装飾が施された空間が存在します。
詳細ページを見る Arrow-right

ホーエンザルツブルク城

Fortress Hohensalzburg / Festung Hohensalzburg
ホーエンザルツブルク城
ザルツブルクは何世紀にもわたり大司教によって統治され、カトリック文化の中心地のひとつとして発展しました。この街のランドマークとも言えるホーエンザルツブルク城は、メンヒスベルクの丘にそそり立っています。11世紀に築かれてから、以後600年にもわたって増改築が繰り返され、長きにわたり難攻不落の要塞として存立していました。そもそも、この城の建設は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウス7世による叙任権闘争が発端でした。1077年、有名な「カノッサの屈辱」を経て両者は和解へと向かいますが、教皇側についたザルツブルク大司教ゲープハルトは、皇帝側が報復をしてきたときの隠れ家として、同年、この城の建設に着手したのです。
詳細ページを見る Arrow-right

モーツァルトの生家

Mozart's Birthplace / Mozarts Geburtshaus
モーツァルトの生家
ザルツブルクが生んだ歴史上最も著名な人物といえば、作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトでしょう。旧市街屈指の繁華街、ゲトライデ通り9番地に彼の生家があります。黄色い外観が目をひくこの建物は、現在、博物館として公開されており、オーストリアで最も訪問者の多い名所のひとつです。1756年1月27日、この建物の4階で誕生したモーツァルトは、両親や姉とともに少年時代をここで過ごしました。館内には、彼が幼い頃に愛用していたヴァイオリンやクラヴィコードなどが展示されています。さらに、直筆の楽譜をはじめ、肖像画や家族と交わした手紙など、貴重な資料も見ることができます。
詳細ページを見る Arrow-right

リンクシュトラーセ

Ringstrasse / Ringstraße
リンクシュトラーセ
リンクシュトラーセは、ウィーン旧市街を囲む全長約5.3kmの大通りで、19世紀後半に整備されました。かつてこの場所には中世以来の城壁がありましたが、1857年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が城壁撤去を命じ、その後19世紀後半にかけて整備されました。沿道には国立歌劇場、国会議事堂、市庁舎、美術史美術館、ブルク劇場など、歴史主義様式による壮麗な建築群が並びます。また、公園や広場も一体的に整備され、19世紀ヨーロッパ都市計画の象徴ともいえる景観を形成しています。リンクシュトラーセは、ハプスブルク帝国時代の繁栄や文化的成熟を今に伝える存在として、ウィーン歴史地区の重要な構成要素となっています。
詳細ページを見る Arrow-right