Properties & Sights

フランス共和国 | 構成資産・みどころ一覧

アンヴァリッド

The Hôtel des Invalides
アンヴァリッド
アンヴァリッドは4,000人の傷痍軍人のための療養所として、1670年にルイ14世の命で建設されました。アンヴァリッドには、病院や兵舎だけでなく、ホスピスや修道院も含まれ、王のために戦い傷ついた兵士だけでなく、戦地から戻り好き勝手に放蕩生活を送る兵士を収容する意味もありました。1706年に完成したアンヴァリッドを象徴する黄金のドーム(礼拝堂)は、ルイ9世の棺を安置するために築かれました。地下墓所にはナポレオン1世の棺も置かれています。またアンヴァリッドは、現在でも100名ほどの傷痍軍人が生活する現役の施設でもあります。
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エッフェル塔

The Eiffel Tower
エッフェル塔
フランス革命100周年を記念する1889年のパリ万博の目玉に決まったのが、ギュスターヴ・エッフェルが率いるエッフェル社が出した、当時の世界最高の高さを誇る鉄塔案でした。エッフェルは、アメリカ合衆国の世界遺産になっている『自由の女神像』の内部構造や、ポルトガル共和国のポルトにある「マリア・ピア橋」などを設計しており技術力が認められていました。1887年1月26日に建設が開始されると、わずか2年2カ月と5日後の1889年3月31日に記録的な速さで完成しました。5,300枚の図面を基に、150人の工場労働者、約300人の現場労働者が、鉄7,300トン、リベット(ネジ)250万個、塗料60トンを使って完成させました。
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オルセー美術館

The Musée d'Orsay
オルセー美術館
オルセー美術館のある場所には19世紀に建てられたオルセー宮殿がありましたが、19世紀末の激動の時代に焼失し、そのまま放置されていました。その地を活用したのが、1900年のパリ万博です。万博を訪れる人々のための駅舎兼ホテルとして建て直されました。その駅舎が美術館として生まれ変わったのは1986年のことです。現在ではパリの新しい名所として多くの人が訪れています。ジャン・フランソワ・ミレーの「落穂ひろい」やクロード・モネの「日傘の女」、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの「自画像」、オーギュスト・ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」などの絵画作品のほか、フランソワ・ポンポンの「白熊」など、近代の作品を中心に現代の作品もコレクションに含んでいます。
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サヴォワ邸と庭師小屋

Villa Savoye et loge du jardinier
サヴォワ邸と庭師小屋
1928年、ピエール・サヴォワとウジェニー・サヴォワ夫妻は、パリ郊外のポワシーに週末を過ごすための別荘を建てることを決めました。彼らは、当時すでに前衛的な作品で知られていた建築家ル・コルビュジエに別荘の建築を依頼しました。その依頼はサヴォワ夫人からル・コルビュジエに宛てた手紙によって行われ、そこには温水設備、電気やガスの設備、照明の雰囲気や床材の指定など細かな要望が具体的に記されていました。この建築には、ル・コルビュジエの従兄弟であるピエール・ジャンヌレも協力しました。当時のポワシーはのどかな田園地帯で、別荘の敷地はセーヌ川を望む木々に囲まれた広大な草地でした。ル・コルビュジエはこの自然環境をできるだけ損なわないように、「家は草地の上に、何も乱すことなく置かれた物体のように存在するべきだ」と考え建築に取り組んだのです。
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サント・シャペル

The Sainte Chapelle
サント・シャペル
13世紀にフランス国王ルイ9世がビザンツ帝国皇帝から聖遺物であるキリストの「茨の冠」など22点を購入し、それらを納めるために建設されました。その時の購入金額は王国の収入の約半分もしたと伝わります。サント・シャペルを設計したのが誰なのかはわかっていませんが、シテ島にある王の邸宅の中に位置する礼拝堂として使われ、2階部分の豪華な礼拝堂は王の居室と直接つながっていました。フランス革命の混乱の中で多くの聖遺物は失われましたが、「茨の冠」は難を逃れ、現在はノートル・ダム大聖堂に納められています。
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シャイヨー宮

The Palais de Chaillot
シャイヨー宮
エッフェル塔からイエナ橋を挟んでちょうど反対側の丘の上にあるシャイヨー宮のある場所には、かつてフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスが建てたシャイヨー城がありましたが、フランス革命の際に大きな被害を受けました。現在のトロカデロ庭園を囲むようなU字型の宮殿となったのは、1937年のパリ万博の時です。シャイヨー宮の建物の間にある人権広場からはエッフェル塔が美しく見えることもあり、ヒトラーがパリを征服した時には広場で記念写真を撮ったり、NATO本部がシャイヨー宮に置かれたほか、世界人権宣言を採択した国連総会が開催されるなど、フランスを代表しパリを象徴する場所としても使われてきました。現在も人気の観光スポットとなっています。
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ノートル・ダム大聖堂

The Cathedral of Notre-Dame
ノートル・ダム大聖堂
パリ発祥の地であるシテ島にたつノートル・ダム大聖堂は、信仰だけでなく、政治や文化、歴史、教会建築など、さまざまな点から見てパリを代表する建造物のひとつです。現在みられる大聖堂は、モーリス・ド・シュリー司教によって1163 年に建設が開始され、1225年に身廊とファサードが完成。1250年にファサードの上に2つの塔がつくられました。その後も増改築が続けられましたが、1789年のフランス革命で大きな被害を受けます。廃墟となりかけていた大聖堂を保護したのは、ナポレオンでした。ナポレオンは自ら修復した大聖堂でフランス皇帝としての戴冠式を行い、ナポレオン1世となりました。
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ノートル・ダム・デュ・オ礼拝堂(ロンシャンの礼拝堂)

Chapelle Notre-Dame-du-Haut
ノートル・ダム・デュ・オ礼拝堂(ロンシャンの礼拝堂)
フランス北東部ヴォージュ山脈の南、ロンシャンに位置するノートル・ダム・デュ・オの丘は、11世紀以前の歴史はよく分かっていませんが、その地形から古代には戦略上重要な場所であった可能性があり、ローマ軍の駐屯地があったとも考えられています。カトリック修道会であるドミニコ会の巡礼地として6世紀末には礼拝所が設けられ、9世紀には毎年9月8日に聖母マリアの誕生祭を祝い、祈りをささげる巡礼者たちが訪れていたようです。残念ながら、当時の礼拝堂の姿を伝える資料は残っていません。20世紀に入ると、8月15日の聖母被昇天を祝う巡礼が行われるようになりました。第二次世界大戦中、ロンシャンは爆撃を受け、ノートル・ダム・デュ・オの丘の礼拝堂は破壊され、ドイツ軍の軍用無線局や観測所が置かれました。戦後、礼拝堂再建の設計が建築家ル・コルビュジエに依頼されました。彼は当初、教会のために働くことを拒否していましたが、1950年にロンシャンを訪れ、そこで目にした風景に心を奪われ、この依頼を受けることを決意したのです。1955年にル・コルビュジエによって礼拝堂が完成し、その後1970年代にジャン・ブルーヴェが鐘楼を、2011年にレンゾ・ピアノが聖クララ修道院と案内所を設計しました。この丘全体が、歴史的、芸術的、精神的価値を併せ持つ場所となったのです。
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マルセイユのユニテ・ダビタシオン

Unité d’Habitation in Marseille
マルセイユのユニテ・ダビタシオン
1945年、フランスの復興・都市計画大臣ラウル・ドートリーは、建築家ル・コルビュジエに、第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたフランス南部マルセイユにおける大規模集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」の建設を依頼しました。ル・コルビュジエは、生涯で5つのユニテ・ダビタシオンを設計しています。なかでもマルセイユのユニテ・ダビタシオンは最初の作品であり、1947年から1952年にかけて建設されました。この集合住宅は「垂直の庭園都市」という考えのもとに計画されました。「ピロティ」とよばれる柱の上に持ち上げられた高床式の建物は、長さ135m、幅24m、高さ56mの直方体の形をしています。18階建ての建物には、約1,500~1,700人の住民が暮らし、23種類のタイプに分かれた330戸の住居が設けられています。また、7階と8階にはスーパーや郵便局、ホテル、レストランなどがあり、さらに屋上テラスには幼稚園やスポーツ施設が設けられるなど、都市の機能も備えているのです。
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ラ・ロッシュとジャンヌレ邸

Maisons La Roche et Jeanneret
ラ・ロッシュとジャンヌレ邸
1923年、建築家ル・コルビュジエによってフランスのパリ16区に設計された「ラ・ロッシュ邸とジャンヌレ邸」は、建築において近代に相応しい芸術を作ろうとする「ピュリスム」の運動を初めて表現した作品です。緑豊かな袋小路に建てられた2棟続きの邸宅は、ひとつの建築作品として設計されました。「ラ・ロッシュ邸」は、裕福な独身の美術収集家であり、スイスの銀行家でもあったラウル・ラ・ロッシュのために設計されました。独身者の住居であると同時に、近代絵画コレクションを展示するギャラリーとしての役割も担っていました。一方、「ジャンヌレ邸」は、ル・コルビュジエの兄であるアルベール・ジャンヌレ夫婦のために設計されました。3人の子どもを持つ家族のための住宅として、多くの部屋と生活に必要な設備が備えられています。
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ルーヴル宮(ルーヴル美術館)

The Louvre Place
ルーヴル宮(ルーヴル美術館)
セーヌ右岸に位置するルーヴル美術館は、フランス国王フィリップ2世が12世紀に築いた要塞を起源としています。16世紀半ばに国王フランソワ1世が改築し、現在のような城館となりました。その後も歴代の王が王宮として改築や増築を続け、17世紀のルイ14世の時代には、ルイ・ル・ヴォーやシャルル・ル・ブランなど、後に豪華なヴェルサイユ宮殿を築く芸術家の手でアポロンのギャラリーなどがつくられました。アポロンのギャラリーはヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」のモデルにもなっています。しかし、ルイ14世はアポロンのギャラリーが完成する前に王宮をヴェルサイユに遷したため、アポロンのギャラリーは長い間、未完成のまま残されました。ルーヴル宮が本格的に美術品を展示する美術館になったのは、フランス革命の後のことでした。
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