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アイアンブリッジ峡谷
Ironbridge Gorge
アジャンターの石窟寺院群
Ajanta Caves
アッコの旧市街
Old City of Acre
イスラエル北部の地中海に面するアッコは、フェニキア時代から継続的に居住されてきた、城壁に囲まれた港街です。1104年、第1回十字軍の指導者の1人であるボードゥアン1世がアッコを占領し、パレスチナにおける十字軍活動の拠点として港湾都市が築かれました。1187年、アイユーブ朝のサラディン軍によってエルサレムが征服された後、アッコはエルサレム王国最後の拠点となりましたが、1291年にマムルーク朝の攻撃を受けて陥落しました。その後、200年以上にわたりマムルーク朝によって統治されました。アッコの地下には、十字軍によって築かれた要塞やキリスト教の礼拝堂、要塞と港をつなぐトンネル、商店街など十字軍の遺構がそのまま埋もれており、十字軍によって築かれた街全体が遺跡として残っている唯一の例であるとされています。
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
アフパットとサナインの修道院
Monasteries of Haghpat and Sanahin
アマルフィ海岸
Costiera Amalfitana
ソレントからサレルノに至る約30kmにわたる絶景の海岸線とその街並みが世界遺産に登録されています。この町は中世初期から漁村群にはじまり、そそり立つ岩壁に沿うように家屋や吊り橋、風の塔などが作られ、町として発展していきました。限られた平坦な土地にはワインになるブドウ畑やレモン畑が作られ、海岸線と町と相まった文化的景観も評価されています。アマルフィは、9世紀から11世紀にかけて海洋貿易によって繁栄した海洋国家でした。イスラムの国々とも貿易を通して交流し、家々が迷路のように路地や階段でつながった様子は、トルコのスークのよう。漁師の守り神・聖アンドレアに捧げられた「アマルフィ大聖堂」や、「聖アンドリュー大聖堂」は「アラブ・ノルマン」様式として知られる東洋と西洋の要素の融合が見て取れます。
アミアンの大聖堂
Amiens Cathedral
アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区
Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht
13世紀にアムステル川にダムをつくり、海水の侵入を防いでそこに集落が成立したのが現在の「アムステルダム」の起源です。現在の運河地区は16世紀末から17世紀初頭にかけての湾岸都市プロジェクトとして建設されました。一番外側の「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がる運河をつくり、さらに同心円状に運河を整備し、その間の土地(沼沢地)を排水して市街地化していきました。この町の運河と都市景観は美しいだけでなく実用的でかつ経済的なものです。16世紀末以降、オランダは海洋国家として黄金期を迎えていました。日本を含むアジアとの交易等で莫大な富を蓄え、アムステルダムは世界有数の富裕都市となりました。そしてその非常に均質な街並みは19世紀に至るまで大規模都市計画のモデルとなりました。
アランフエスの文化的景観
Aranjuez Cultural Landscape
アルブラとベルニナの景観とレーティッシュ鉄道
Rhaetian Railway in the Albula / Bernina Landscapes
アルマデンとイドリア-水銀鉱山の遺跡
Heritage of Mercury. Almadén and Idrija
アンコールの遺跡群
Angkor
アントニ・ガウディの作品群
Works of Antoni Gaudí
『アントニ・ガウディの作品群』は、スペイン東部・カタルーニャ地方の中心都市バルセロナとその周辺に点在する、建築家アントニ・ガウディ(本名:アントニ・ガウディ・イ・コルネ)が手掛けた7つの建築物によって構成されています。ガウディは、1852年に銅版器具職人の息子として生まれ、バルセロナの建築学校に進学しました。26歳の時、パリ万博に作品を出展したことがきっかけで、最大の支援者となる実業家エウゼビ・グエルと出会います。グエルはガウディのパトロン的な存在として、自邸や別邸の設計を委ねたほか、数々の傑作の建設に貢献しました。1883年、ガウディはサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の建築主任となり設計に奔走します。しかし、1926年に建築途中の聖堂を残し、不慮の事故でこの世を去ってしまいました。
イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)
Masjed-e Jāmé of Isfahan
イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)は、8世紀後半のアッバース朝時代につくられたモスクを起源とする、イスファハーンで最も古いモスクです。創建時は日干しレンガ造りでしたが、12世紀の大火後に再建され、ササン朝ペルシア時代の宮殿建築で用いられた「4(チャハル)イーワーン」と呼ばれる様式をイスラム教の宗教建築と融合させた最初の建築となりました。「イーワーン」とは、三方を壁で囲み、開けた前方部たアーチが設けられた空間のことです。それを4つ向かい合わせ、中庭を4方向から取り囲むのが「4イーワーン」です。これによりモスクはより壮大なものとなり、モスク設計における新しいレイアウトと美学の原型となる建築物となりました。
厳島神社
Itsukushima Shinto Shrine
イビサ島の生物多様性と文化
Ibiza, Biodiversity and Culture
Ir.D.F.ヴァウダヘマール:D.F.ヴァウダ技師による蒸気水揚げポンプ場
Ir.D.F. Woudagemaal (D.F. Wouda Steam Pumping Station)
イラン縦貫鉄道
Trans-Iranian Railway
頤和園:北京の夏の離宮と皇帝庭園
Summer Palace, an Imperial Garden in Beijing
北京の中心部から北西約15kmに位置する頤和園は、敷地総面積約290万㎡を誇り、中国に現存する最大かつ最後に建造された皇室庭園です。12世紀半ばに、金王朝時代に建造された小規模な離宮を前身とし、1750年に清の乾隆帝が広大な庭園へと整備して清漪園(せいいえん)と名付けられました。中国の名だたる庭園や名景、有名建築の精華を取り入れたものとなりました。自然景観を模倣した庭園は、建物や楼閣、橋などと見事に調和し、中国だけでなく、日本や朝鮮半島の庭園にも大きな影響を及ぼしました。第二次アヘン戦争で北京に侵攻した英仏連合軍により庭園は破壊されてしまいますが、その30年後の1886年、西太后が海軍の経費を流用して復元し、頤和園と改称しました。
イワノヴォの岩窟教会群
Rock-Hewn Churches of Ivanovo
石見銀山遺跡とその文化的景観
Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape
殷墟
Yin Xu
ヴァールベリのグリメトン無線局
Grimeton Radio Station, Varberg
スウェーデン南部、ヴァールベリ市の東7kmにあるグリメトン無線局は、1922〜1924年にかけて建設された、大西洋を越える無線通信時代の初期を象徴する遺産です。海沿いに広がる約110万㎡の広大な敷地には、当時スウェーデン国内最高の高さを誇った127mのアンテナ鉄塔6基や、アンテナ付きの短波送信機、初代アレクサンダーソン製の送信機を持つ建物、職員のための住宅街などが含まれています。主要な建物は建築家のカール・オーケルブラッドによって新古典主義様式で設計され、当時スウェーデンで最も高い建造物となったアンテナ鉄塔は、構造エンジニアのヘンリック・クルーガーによって設計されました。大西洋を横断する無線通信初期の施設としては非常に保存状態が良いことが特徴です。
ヴァティカン市国
Vatican City
キリスト教世界で最も神聖な場所のひとつであるヴァティカン市国は、約2,000年の歴史とカトリック教会の精神性の証として存在しています。ローマ教皇を国家元首とするこの国は人口800人、総面積0.44km2と世界最小の独立国でありながら、国全体が世界遺産に登録されている唯一の場所です。サン・ピエトロ大聖堂の立つヴァティカンの丘は、イエス・キリストの最初の弟子であり初代教皇でもある聖ペテロの墓所であったとされています。4世紀になると、ローマ帝国皇帝として最初にキリスト教を保護したコンスタンティヌス1世の命により、バシリカ式の教会堂が建てられました。主要な巡礼地でもあるヴァティカンは、キリスト教の歴史と直接的に結びついているのみならず、ルネサンスやバロック美術の理想であり、模範的な創造物でもあります。
ヴァッセのアポロン・エピクリオス神殿
Temple of Apollo Epicurius at Bassae
ウィーンの歴史地区
Historic Centre of Vienna
ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会
Palace of Westminster and Westminster Abbey including Saint Margaret’s Church
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
ヴェルサイユ宮殿と庭園
Palace and Park of Versailles