World Heritage Sites

世界遺産一覧

(文化遺産)

アーグラ城

Agra Fort
アーグラ城
インド北部、ニューデリーの南約200kmの古都アーグラにあるムガル帝国の旧都城です。16世紀に第3代皇帝アクバルが建設しましたが、現在城内に残る建築物の大部分は第5代シャー・ジャハーン時代の造営です。外見は赤砂岩造りの二重の城壁と門が象徴的で「赤い城」の名の由来となっています。シャー・ジャハーンの時代には宮廷建築群など華麗なムガル朝の建築が花開きましたが、17世紀のデリーへの遷都、その後の反乱や略奪などでその栄華は衰えました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (iii)
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アープラヴァシ・ガート

Aapravasi Ghat
アープラヴァシ・ガート
モーリシャスの首都ポートルイスに位置する「アープラヴァシ・ガート」は契約労働システムの発祥の地です。アープラヴァシ・ガートには多くの移民がサトウキビ農園での労働者として送り込まれました。移民の大半はインドからの移民でした。これらの年季労働者の3分の1は祖国に帰国するか、別の地へ移住しましたが、3分の2はモーリシャスに永住しました。現在のモーリシャスの人口の70%は当時の移民の子孫たちであり、この地は彼らの記憶や伝統等も表す、モーリシャスのアイデンティティの象徴にもなっています。
地域: アフリカ / 国名: モーリシャス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2006年 / 登録基準: (vi)
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アーヘンの大聖堂

Aachen Cathedral
アーヘンの大聖堂
アーヘンの大聖堂は、古典様式とビザンツ様式を融合した「カロリング・ルネサンス」を象徴する建物であり、八角形の中心部を十六角形の周歩廊が取り囲む集中式の構造を持っています。そのドーム天井はアルプス以北で最大のドーム建築とされ、現存しないもののその天井を飾っていたモザイク装飾なども世界遺産登録の際に評価されました。大聖堂は中世以降増築を重ねられており、ゴシック様式の内陣やバロック様式の円蓋など様々な建築様式を複合させた特徴的な建造物となっています。また、世界遺産としては1978年に最初に登録された12件の遺産のうちのひとつとしても有名です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1978年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(vi)
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アーメダバードの歴史都市

Historic City of Ahmadabad
アーメダバードの歴史都市
インド西部にある「アフマダの都市」という名の「アフマダーバード」(英語読みでは「アーメダバード」)は、15世紀にこの地を支配していたイスラム系のグジャラート・スルタン朝のアフマド・シャー1世により建設されました。ここにはこのスルタン統治時代の建築物も数多く残っています。その後16世紀からムガル帝国の支配下に、さらに18世紀からはマラータ同盟都市となりましたが、約600年間繁栄し続け、ほぼ原形を保ってきた街並みが残されています。「プーラ」と呼ばれる伝統的な通りや「ポル」という門を持つ集合住宅が特徴的です。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(v)
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アイアンブリッジ峡谷

Ironbridge Gorge
アイアンブリッジ峡谷
イギリス中部、バーミンガム西部のセヴァーン川上流に位置するアイアンブリッジ峡谷には、18~19世紀の産業革命期の象徴ともいえる鉄鋼業地帯が広がっています。 この峡谷に架かるアイアンブリッジは、全長約60m、総重量約400tというスケールで世界初の鉄橋として誕生し、峡谷の名称の由来となりました。 アイアンブリッジは、産業革命期のイギリスで発展した製鉄技術と大量生産を背景に、輸送効率の向上を目的として建設されました。そして1781年に開通してから約250年が経った現在、歩行者専用ではありますが、今も渡ることができます。
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アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群

Luther Memorials in Eisleben and Wittenberg
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群
アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念碑群は、ドイツ中部のザクセン=アンハルト州に位置し、マルティン・ルターとその盟友であるフィリップ・メランヒトンの生涯に深く関わる場所です。これらには、ヴィッテンベルクのルターの部屋、ルターの同士メランヒトンの家、聖マリア聖堂、ヴィッテンベルク城の付属聖堂、アイスレーベンのルターの生家と没した家が含まれます。特にヴィッテンベルク城の付属聖堂は、1517年10月31日にルターが有名な「95か条の論題」を掲げた場所であり、これは宗教改革の幕開けとなり、西洋の宗教史・政治史に新たな時代をもたらしました。宗教改革とルターの生涯における決定的な出来事の舞台として、ドイツ国内だけでなく、西洋世界の政治、文化、精神的な歴史において極めて重要な意義を持っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (iv)(vi)
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アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋

Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge
アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋
フランス南部のローヌ川沿いにあるアヴィニョンは、今は小さく静かな街ですが、歴史的にみるとキリスト教カトリック世界の中心地として大きな影響力をもった場所でした。フランス王フィリップ4世と教皇ボニファティウス8世の対立から始まる、教皇権と王権の優位を巡る争いにより、フィリップ4世の意向の下でボニファティウス8世の次の教皇クレメンス5世が1309年に教皇庁をアヴィニョンに遷しました。そこから1377年までの68年間、教皇庁宮殿が築かれ、ノートルダム・デ・ドン大聖堂にゴシック様式の礼拝堂などが増築されたほか、貴族や芸術家、文化人が訪れる華やかな宗教都市として発展しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: フランス共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1995年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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アウクスブルクの水管理システム

Water Management System of Augsburg
アウクスブルクの水管理システム
これは、14世紀以降現代に至るまで継続的に機能してきた給水・排水・エネルギー利用といった水利用のシステムを総合的に示す遺産です。この技術の中でも特筆すべきは、衛生学に関する研究が進むはるか以前の1545年から飲料水(湧き水を利用)と加工用水(河川の水を利用)とを厳格に分離していた点です。水源と二種類の水を分離するための運河網や水路群、15世紀から17世紀にかけて建てられた給水塔などがこのシステムに含まれており、アウクスブルクが立地する地形(台地)に合わせて形成されています。これらのシステムは、アウクスブルクの都市としての発展や繁栄の礎となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ドイツ連邦共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2019年 / 登録基準: (ii)(iv)
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アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)

Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)
アウシュヴィッツ・ビルケナウは、ナチス・ドイツがユダヤ人を中心とする民族の絶滅を目的に設立した最大の強制収容所であり、ホロコーストの象徴的な現場です。1940年にポーランドのオシフィエンチムに設立され、1942年から1944年にかけて、ユダヤ人を中心に約150万人が組織的に殺害されました。この場所が選ばれた理由は、鉄道での輸送・運搬が容易で、周囲からの隔離が比較的簡単にできること、そしてナチス・ドイツが考える劣等民族をドイツ本国内に入れないようにするためでした。この地にて殺害された人の大半はユダヤ人だったとされ、他にも政治犯や犯罪者、精神や身体に障害のある人、ロマなどの少数民族なども命を落としました。この収容所は、20世紀における人類の残酷さの象徴です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポーランド共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (vi)
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アガデスの歴史地区

Historic Centre of Agadez
アガデスの歴史地区
サハラ砂漠南端に位置するアガデスは、サハラ砂漠の玄関口として有名であり、ニジェール北部で最大の都市となっています。サハラ交易を生業としてきた遊牧民トゥアレグ族が創設したアイール・スルタン国の拠点となりました。アイール・スルタン国は15世紀から16世紀にかけて創設された国であり、名前からもわかる通りイスラームを受容しています。トゥアレグ族の人々は次第に定住化し、それに伴い市街が形成されるようになりました。伝統的なスルタン国制度は今も残っており、アガデスには現在も約2万人の人々が暮らしています。
地域: アフリカ / 国名: ニジェール共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2013年 / 登録基準: (ii)(iii)
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アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂

Archaeological Area and the Patriarchal Basilica of Aquileia
アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂
イタリア北東部のアドリア海北端、ナティッサ川沿いにあるローマ帝国の都市遺跡です。紀元前181年に共和政ローマによって軍事目的で築かれた植民都市で、452年にアッティラ王率いるフン族により略奪・破壊されるまで、数百年間にわたり、地中海とヨーロッパ内陸部を結ぶ交易の拠点として栄えました。当時の繁栄は残された公共施設跡や個人邸宅跡からうかがい知ることができます。この都市遺跡はまだ大部分が未発掘のままです。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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アグリジェントの考古地区

Archaeological Area of Agrigento
アグリジェントの考古地区
イタリアのシチリア島西部にある『アグリジェントの考古地区』は、紀元前6世紀に「アグラガス」という名で建設された古代ギリシャの植民都市の遺跡です。人口は約30万人ほどだったと言われ、紀元前406年にフェニキア人の都市であるカルタゴに滅ぼされるまで、約150年以上繁栄しました。その美しさに関しては、当時の叙情詩人であるピンダロスに、「人間が建設した最も美しい町」と言わせるほどでした。古代遺跡は、地中海を見下ろすアクロポリスにあり、「神殿の谷」と言われる一帯には、約20のギリシャ神殿がほぼ一直線状に並んでいます。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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アジャンターの石窟寺院群

Ajanta Caves
アジャンターの石窟寺院群
インド西部ムンバイから北東に360kmの岩崖に、インド最古期の仏教壁画が残る石窟寺院があります。約600mほどの岩崖に点在する大小30の石窟は、前期(紀元前2世紀〜後2世紀)と後期(グプタ朝最盛期の5世紀〜7世紀)にかけて造営されました。高さ 石窟寺院群は、インドにおける仏教の衰退とともに忘れ去られていましたが、19世紀初頭に英国駐留軍の士官がトラ狩りの最中に偶然「発見」し、再び日の目を見ることとなりました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(vi)
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アシャンティ族の伝統的建造物群

Asante Traditional Buildings
アシャンティ族の伝統的建造物群
ガーナのクマシ北東に位置するこの建造物群は、18世紀に最盛期を迎えた偉大なアシャンティ文明の現存する最後の遺構です。これらの建物には、10の祠堂などが含まれており、それらは中庭を囲むように配置されています。木材、竹、泥漆喰で造られましたが、元々は茅葺き屋根でした。これらのアシャンティの伝統的建造物群は、18世紀末から19世紀末にかけて強大で裕福だったアシャンティ王国を象徴する重要な伝統的建築様式によって成っています。
地域: アフリカ / 国名: ガーナ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1980年 / 登録基準: (v)
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アスキア墳墓

Tomb of Askia
アスキア墳墓
マリ共和国の南東部ガオには、高さ17mもあるピラミッド型をしたアスキア墳墓が残っています。これは1495年、かつてニジェール川流域を中心に繁栄したソンガイ帝国の時代に造営されたもので、ガオはその都でした。この帝国を治めていたアスキア・モハメド王は、信心深いイスラム教徒で、後にイスラム教を国教に定めました。アスキア・モハメド央の泥を固めてつくられている墳墓は、丸みを帯びた形が特徴で、西アフリカのサヘル地域特有の建築様式を代表する建造物です。15世紀から16世紀にかけて、同帝国は岩塩と金を中心としたサハラ交易を掌握しましたが、これはその時代の栄華を物語るものだとも言えます。付近一帯には墳墓のほか、平屋根の2つのモスク、共同墓地、野外集会所も残存します。2012年、地域紛争の勃発による破壊などを理由に、危機遺産リストに登録されました。
地域: アフリカ / 国名: マリ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群

Monuments of Oviedo and the Kingdom of the Asturias
アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群
スペイン北西部、アストゥリアス地方の中心都市オビエドは、かつてアストゥリアス王国時代に首都として君臨していました。この地はイスラム勢力に征服されたのち、レコンキスタの口火を切った西ゴート王国の貴族ペラーヨによって奪還され、718年にアストゥリアス王国が建国されます。その後、8~10世紀にかけて首都オビエドに幾つものキリスト教の教会が建てられ、現在ではオビエド市街や郊外に残る6つの教会と関連施設が世界遺産として登録されています。特徴的なのは、プレロマネスク様式の1つであるアストゥリアス様式で建造されている点です。その代表例がサンタ・マリア・デル・ナランコ教会で、装飾や彫刻、ファサードなどがビザンツ様式から着想を得て建てられています。この教会建築が後のイベリア半島における建築様式の発展に強い影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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アスマラ:アフリカのモダニズム都市

Asmara: A Modernist African City
アスマラ:アフリカのモダニズム都市
アスマラは、標高2,000mを超える高地に位置するエリトリアの首都です。1890年代以降、宗主国・イタリアの植民地支配の軍事拠点となり、アフリカ大陸に進出するための要、「第2のローマ」として発展しました。1935年以降には、当時のイタリアに起こっていた近代建築運動(モダニズム建築運動)「イタリア合理主義」の様式を応用した大規模な建設計画が実施され、都市が整備されました。
地域: アフリカ / 国名: エリトリア国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iv)
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アゾレス諸島の港町アングラ・ド・エロイズモ

Central Zone of the Town of Angra do Heroismo in the Azores
アゾレス諸島の港町アングラ・ド・エロイズモ
ポルトガル本土から飛行機で約2時間半、北大西洋に浮かぶアゾレス諸島は9つの島から成る火山群島です。15世紀初頭にポルトガル人が発見し、植民地としました。この群島の中心部、テルセイラ島にある「アングラ・ド・エロイズモ」は、大航海時代に、欧州と新大陸、アフリカ西海岸とを行き交う船の寄港地として栄えた港湾都市です。ここは、天然の港に恵まれ、航海に欠かせない真水の供給が可能であったこと、防御に最適な環境であることなど、港湾都市としての要素を備えていました。そして、戦略的にも有利なロケーションにあったことから、19世紀に蒸気船が登場するまで、新大陸への中継地として発展しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ポルトガル共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (iv)(vi)
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アタプエルカの考古遺跡群

Archaeological Site of Atapuerca
アタプエルカの考古遺跡群
スペイン北部ブルゴス近郊にある『アタプエルカの考古遺跡群』では、約100万年前のヨーロッパ最古の人類化石が次々と発見されてきました。これらの人類の化石遺跡は、祖先の姿と生活様式を解明する貴重な手掛かりとなり、アフリカ系祖先から現生人類への進化の系譜が記録されています。遺跡群はグラン・ドリーナ地区、シマ・デ・ロス・ウエソス地区などから構成されており、先史時代の化石の他にも、狩猟の場面や幾何学的なモチーフなどが描かれた絵や彫刻のパネルも見つかっています。化石や遺構の眠る洞窟内では、現在も発掘作業が続けられています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (iii)(v)
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アッコの旧市街

Old City of Acre
アッコの旧市街
イスラエル北部の地中海に面するアッコは、フェニキア時代から継続的に居住されてきた、城壁に囲まれた港街です。1104年、第1回十字軍の指導者の1人であるボードゥアン1世がアッコを占領し、パレスチナにおける十字軍活動の拠点として港湾都市が築かれました。1187年、アイユーブ朝のサラディン軍によってエルサレムが征服された後、アッコはエルサレム王国最後の拠点となりましたが、1291年にマムルーク朝の攻撃を受けて陥落しました。その後、200年以上にわたりマムルーク朝によって統治されました。アッコの地下には、十字軍によって築かれた要塞やキリスト教の礼拝堂、要塞と港をつなぐトンネル、商店街など十字軍の遺構がそのまま埋もれており、十字軍によって築かれた街全体が遺跡として残っている唯一の例であるとされています。
地域: 西・南アジア / 国名: イスラエル国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (ii)(iii)(v)
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アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群

Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
中世の面影を残す街並みを持つ都市アッシジは、ローマの北約130㎞の位置にあるスバジオ山の斜面に扇上に広がります。この街の裕福な商人の家に生まれたフランチェスコは、戦争で捕虜となり熱病に侵された際に、神の啓示を受けたとされています。やがて、説教活動を始め、愛と平和を説き、貧しくあることが神の道としました。そして、清貧であることを実践する彼の教えに感銘を受けた同志と共に、フランシスコ修道会を設立しました。アッシジの貴族の令嬢であったキアラは、フランチェスコに弟子入りして、フランシスコ会の女子修道会を設立しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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アッシュル(カラット・シェルカット)

Ashur (Qal'at Sherqat)
アッシュル(カラット・シェルカット)
バグダッドの北約390km、メソポタミアのチグリス川中流域に位置するアッシュルは、かつて存在したアッシリア帝国最初の首都となった都市です。現在ではカラット・シェルカットと呼ばれています。都市の起源は紀元前3千年紀前半、シュメール人の初期王朝が存在していた時代に遡ります。アッカド帝国(紀元前2334~前2154年頃)の時代には重要な中心地であり、ウル第3王朝(紀元2112~前2004年頃)には統治下に置かれていました。紀元前14世紀から前9世紀にかけては、アッシリア帝国の都が置かれ、西アジアの交易都市として発展していきます。しかし、紀元前612年に新バビロニアとメディアにより破壊され、その後1~2世紀のパルティア時代に都市は再建されました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラク共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (iii)(iv)
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アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)

Via Appia. Regina Viarum
アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)
アッピア街道は、紀元前312年にローマの執政官アッピウス・クラウディウス・カクエスの指導のもとに建設されました。最初は軍事的な目的で、ローマとカプアを結ぶために造られ、その後、ベネヴェントゥム、タレントゥム、ブリンディジウムへと延伸されました。これにより、東方や小アジアへのローマの拡大が促進され、街道は軍事征服だけでなく、農業生産や交易の発展にも寄与し、ローマ帝国の繁栄を支える重要なインフラとなりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2024年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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アテネのアクロポリス

Acropolis, Athens
アテネのアクロポリス
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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アニの考古遺跡

Archaeological Site of Ani
アニの考古遺跡
トルコ北東部にある『アニの考古遺跡』は、アルメニアとの国境に近い高原に築かれた中世の都市遺跡です。深い渓谷に囲まれたエリアにあり、住居・教会・城壁などが残っています。10~11世紀にはアルメニア王国バグラトゥニ朝の首都として栄え、シルク・ロードの支線を押さえたことで交易の中心地となりました。その後、ビザンツ帝国やセルジューク朝などに支配され、多文化が交わる都市として発展しますが、モンゴルの侵入と1319年の大地震で衰退しました。このアニでは、アルメニア、ジョージア、イスラムの文化が融合した独自の建築様式が生まれ、中世建築の発展を一望できる貴重な遺跡となっています。現在では、多様な建築技術や都市計画を学べる場所として、歴史や考古学を学ぶ学生にとっても重要な研究対象となっています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2016年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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アビラの旧市街と城壁外の教会群

Old Town of Ávila with its Extra-Muros Churches
アビラの旧市街と城壁外の教会群
11世紀、レコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教徒を再入植させることに成功したアビラは、イスラム勢力からの反撃に備えるために街全体を城壁で取り囲み要塞化しました。9年の歳月を費やして完成した城壁は、高さ12m×全長2.5kmの規模を誇り、半円形の88の塔に9つの門を備えて、堅牢な姿でそびえ立っています。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (iii)(iv)
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アフパットとサナインの修道院

Monasteries of Haghpat and Sanahin
アフパットとサナインの修道院
301年に世界で初めてキリスト教を国教としたアルメニアの、ロリ地方に位置する『アフパットとサナインの修道院』は、主に10世紀から13世紀に創設された2つの修道院です。長きにわたりアルメニア教会の中心拠点として重要な役割を果たしてきたこの場所は、10世紀以降に最盛期を迎え、500人程度の僧が暮らし学んでいました。ビザンツ教会建築とコーカサスの伝統的な建築様式の要素が融合した独特な建築様式を持ち、アルメニアの宗教建築を代表する修道院群となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: アルメニア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (ii)(iv)
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アフラージュ-オマーンの灌漑システム

Aflaj Irrigation Systems of Oman
アフラージュ-オマーンの灌漑システム
アフラージュとは、井戸の底を横穴でつなげた灌漑システムのことです。そのもととなるファラジ(アフラージュはファラジの複数形)はオマーンに約3,000あると言われています。その歴史は古く、紀元前2500年頃から存在していたという説もあります。アフラージュでは地下水や地表水などの限られた水資源が収集され、家庭用およびナツメヤシを含めた農業用水として公平に分配されました。その際、日時計などで各水路に水を流す時間を管理していました。このあたりは年間降水量が非常に少ないため、水の分配は命に関わることでした。先人たちの知恵により造られたこれらの灌漑施設は、今でも現役で稼働しており、重要な役割を果たしています。
地域: 西・南アジア / 国名: オマーン国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2006年 / 登録基準: (v)
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アフロディシアス

Aphrodisias
アフロディシアス
アフロディシアスは、トルコの南西部、モルシナス渓谷の上流にあり、都市遺跡とその北東部にある大理石の採石場で構成されています。古くはレルゴノポリス、メガロポリスと呼ばれていましたが、紀元前2世紀にローマ帝国の支配が強化されたことで、この街は神聖な場所としての重要性を増し、美、愛、自然、豊かさの女神アフロディーテに由来してアフロディシアスの名前が付けられました。街の中心には、女神を祀ったアフロディーテ神殿つくられ、現在も堂々とした14本の柱を見ることができます。発掘調査によると、劇場の壁に書かれた文字に「カエサルから女神アフロディーテに贈った黄金のエロス像」とあることから、カエサルはこの街に来て女神に忠誠を捧げたと考えられています。
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2017年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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アボメーの王宮群

Royal Palaces of Abomey
アボメーの王宮群
アボメーの王宮群は、1625年から1900年にかけて栄えた強力なダホメ王国の主要な歴史的記念物です。ダホメ王国は奴隷貿易で富を得たため、これにより一帯は「奴隷海岸」と呼ばれました。12人の王が王位を継承する中で、王たちは代々、土壁で囲まれた同じ敷地内に宮殿を建て続けました。10の宮殿跡が世界遺産になっています。これらの宮殿は、当時の政治的、文化的中心地であり、失われた王国の栄光の過去を伝える貴重な証言となっています。
地域: アフリカ / 国名: ベナン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (iii)(iv)
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