World Heritage Sites

世界遺産一覧

(登録基準(i)(ii)(iii))

アグリジェントの考古地区

Archaeological Area of Agrigento
アグリジェントの考古地区
イタリアのシチリア島西部にある『アグリジェントの考古地区』は、紀元前6世紀に「アグラガス」という名で建設された古代ギリシャの植民都市の遺跡です。人口は約30万人ほどだったと言われ、紀元前406年にフェニキア人の都市であるカルタゴに滅ぼされるまで、約150年以上繁栄しました。その美しさに関しては、当時の叙情詩人であるピンダロスに、「人間が建設した最も美しい町」と言わせるほどでした。古代遺跡は、地中海を見下ろすアクロポリスにあり、「神殿の谷」と言われる一帯には、約20のギリシャ神殿がほぼ一直線状に並んでいます。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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アジャンターの石窟寺院群

Ajanta Caves
アジャンターの石窟寺院群
インド西部ムンバイから北東に360kmの岩崖に、インド最古期の仏教壁画が残る石窟寺院があります。約600mほどの岩崖に点在する大小30の石窟は、前期(紀元前2世紀〜後2世紀)と後期(グプタ朝最盛期の5世紀〜7世紀)にかけて造営されました。高さ 石窟寺院群は、インドにおける仏教の衰退とともに忘れ去られていましたが、19世紀初頭に英国駐留軍の士官がトラ狩りの最中に偶然「発見」し、再び日の目を見ることとなりました。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1983年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(vi)
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アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群

Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
中世の面影を残す街並みを持つ都市アッシジは、ローマの北約130㎞の位置にあるスバジオ山の斜面に扇上に広がります。この街の裕福な商人の家に生まれたフランチェスコは、戦争で捕虜となり熱病に侵された際に、神の啓示を受けたとされています。やがて、説教活動を始め、愛と平和を説き、貧しくあることが神の道としました。そして、清貧であることを実践する彼の教えに感銘を受けた同志と共に、フランシスコ修道会を設立しました。アッシジの貴族の令嬢であったキアラは、フランチェスコに弟子入りして、フランシスコ会の女子修道会を設立しました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2000年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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アテネのアクロポリス

Acropolis, Athens
アテネのアクロポリス
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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アンコールの遺跡群

Angkor
アンコールの遺跡群
アンコール遺跡群は9~15世紀にかけてのクメール王朝の首都で、当時の繁栄を現代に残しています。400㎢という広大な範囲に、600以上の寺院や水利施設などの遺構が残っています。登録エリア内には多くの村が点在し、アンコール朝の時代まで祖先が遡る村も存在します。アンコール朝の歴代の王は即位のたびに都城と寺院を造営し、自身を神格化させました。クメール美術が花開いた地域であると同時にクメール美術を代表する地域でもあり、東南アジア全域に大きな影響を及ぼしました。
地域: 東・東南アジア / 国名: カンボジア王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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イスタンブルの歴史地区

Historic Areas of Istanbul
イスタンブルの歴史地区
トルコ北西部のイスタンブルは、アナトリア半島、バルカン半島、黒海、地中海の間に位置し、ヨーロッパとアジアを隔てるボスフォラス海峡の両岸にまたがる、トルコ最大の都市です。その立地が表すように、ヨーロッパとアジアの文明が交差する十字路であり、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国といった大帝国の都が置かれてきました。都市の起源は紀元前7世紀頃に遡り、古代ギリシャの都市国家メガラが、王の名にちなみビザンティオンという名の都市を建設したことが始まりとされています。2世紀末に、ローマ帝国に占領されて「ビザンティウム」と改名。330年には帝都がローマからこの地へと遷され、当時のローマ皇帝コンスタンティヌスの名にちなんで都市名は「コンスタンティノポリス」(コンスタンティノープル)と名付けられました。395年にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンティノープルはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都となりました。西ローマ帝国はわずか80年後の476年に滅亡したのに対し、ビザンツ帝国はその後1,000年以上も続きました。また、1054年キリスト教会が東西に分裂すると、西のローマはカトリック教会、東のコンスタンティノープルはギリシャ正教会の本拠地となりました。 
地域: 西・南アジア / 国名: トルコ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1985年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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頤和園:北京の夏の離宮と皇帝庭園

Summer Palace, an Imperial Garden in Beijing
頤和園:北京の夏の離宮と皇帝庭園
北京の中心部から北西約15kmに位置する頤和園は、敷地総面積約290万㎡を誇り、中国に現存する最大かつ最後に建造された皇室庭園です。12世紀半ばに、金王朝時代に建造された小規模な離宮を前身とし、1750年に清の乾隆帝が広大な庭園へと整備して清漪園(せいいえん)と名付けられました。中国の名だたる庭園や名景、有名建築の精華を取り入れたものとなりました。自然景観を模倣した庭園は、建物や楼閣、橋などと見事に調和し、中国だけでなく、日本や朝鮮半島の庭園にも大きな影響を及ぼしました。第二次アヘン戦争で北京に侵攻した英仏連合軍により庭園は破壊されてしまいますが、その30年後の1886年、西太后が海軍の経費を流用して復元し、頤和園と改称しました。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1998年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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ヴァッセのアポロン・エピクリオス神殿

Temple of Apollo Epicurius at Bassae
ヴァッセのアポロン・エピクリオス神殿
ペロポネソス半島中央部のアルカディア地方の緑の丘に、壮大な神殿がそびえたっています。この神殿は紀元前5世紀後半のギリシャ文明最盛期にあたる、紀元前420~前400年頃にフィガリア人により建設されました。当時、近隣ではペストが流行していたのですが、この地方には被害が及ばなかったため、市民はそれをアポロン神の加護だと信じて、標高1,160mの地に神殿を建てました。僻地に建設されたこともあり、1765年に発見されるまで1,700年以上歴史の舞台から姿を消していましたが、同時に石材などが盗まれることもなく、結果的に保存状態の良いままで遺されました。 
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(古代ローマの別荘群)

Villa Romana del Casale
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(古代ローマの別荘群)
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレは、イタリアのシチリア島中央部の街ピアッツァ・アルメリーナ郊外にある古代ローマ人の貴族の別荘跡です。3~4世紀に建てられたもので、ローマ帝国の時代以降も、ビザンツ帝国や東ゴート王国などの下で住居として使用されてきました。しかし、12世紀頃には放棄されて、建物は土に埋もれていました。20世紀に入って始められた発掘作業により、32本もコリント式の円柱が並ぶ大広間を中心に、40以上も部屋があり、床いっぱいにモザイク装飾がなされている豪華で広大な別荘跡であることが知られました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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ヴェネツィアとその潟

Venice and its Lagoon
ヴェネツィアとその潟
イタリアのアドリア海に位置するヴェネツィアは118の島と176の運河、400以上の橋からなる都市です。異民族の攻撃から避難したウェネティ人が潟(イタリア語でラグーナ)に都市を築きました。7世紀には本格的な建物が建てられ、8世紀には形式上ではビザンツ帝国に従属しつつも、実質的に独立を保ち、東方貿易の拠点として発展しました。10世紀には主要な海運国となり、1797年のナポレオン1世から侵略を受けるまで約1,100年間自治都市として独立し続けました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi)
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ウシュマルの古代都市

Pre-Hispanic Town of Uxmal
ウシュマルの古代都市
ユカタン半島北部に建設されたマヤ文明の古代都市ウシュマルは7~10世紀頃に繁栄し、多くの建築物が建設されました。建物の数や種類も豊富で、ユカタン半島北部地域の政治・経済・交易の中心地として発展し、最盛期には約2万5000人が生活していたと言われています。建物の配置からは当時の文化が高度な天文知識を有していたことがうかがえます。またウシュマルにはセノーテ(地下水がたまった井戸や泉)が存在せず、雨水をためるための貯水槽が160個以上発見されています。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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ウルネスの木造教会

Urnes Stave Church
ウルネスの木造教会
ノルウェーの西海岸にあるソグネフィヨルドの更に奥まった場所に位置するルストラフィヨルドを見下ろす120mの崖の上に立つ、1130年代初頭に建造されたノルウェーで最古の木造教会です。一部の資材は以前この場所にあった教会のものを再利用していますが、木材のみを使用しており、屋根や柱などはもちろん半円アーチ構造の身廊部分もすべて木造となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ノルウェー王国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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雲岡石窟

Yungang Grottoes
雲岡石窟
雲岡石窟は、山西省武周山南麓の断崖面の全長およそ1kmの範囲に現存する、252の石窟です。452年に即位した北魏の文成帝が、高僧曇曜(どんよう)の提言に従い、460年に開鑿を行ったのがその始まりです。文成帝は「曇曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に、自身を含めた5人の皇帝を模した大仏を建立しました。494年、洛陽に遷都したことを機に造営は終息に向かい、石窟は存在を忘れられていきましたが、1902年に建築家の伊東忠太が建築研究のため中国を訪れ再発見しました。仏像は5万体以上あり、第20窟の如来坐像は傑作とされています。仏像は制作年によって様式が異なり、徐々に中国独自のものになっていった様子がうかがえます。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2001年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域

Sanctuary of Asklepios at Epidaurus
エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域
ペロポネソス半島東部の谷間に位置するエピダウロスは、医療の神アスクレピオスが祀られている聖地です。元々は先史時代から治癒の力をもつ神々に捧げられ、紀元前800年頃に治癒の神・アポロンの聖域となった丘がありました。その後紀元前6世紀頃までに、ギリシャ神話においてアポロンの息子とされ、人間の健康と幸福の守護神であるアスクレピオスに捧げられた聖域が、アポロンの聖域の丘から1kmほど離れた平地に築かれました。二柱の治癒の神の聖地であるエピダウロスには、ギリシャ中から病で苦しむ人々が訪れるようになりました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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オークニー諸島の新石器時代遺跡

Heart of Neolithic Orkney
オークニー諸島の新石器時代遺跡
オークニー諸島はスコットランドの海岸から北へ15km離れた沖合にあります。この遺産は、諸島最大の島、メインランド島にある4つの新石器時代遺跡によって構成されています。紀元前4,000年ごろ、農耕文化は北西ヨーロッパにまで広まり、この地で定着していきました。遺跡からは、消滅した5,000年前の生活様式や社会構造、祭祀や埋葬に対する考え方に至るまで、当時の文化を垣間見ることができます。また、この地の巨石文化は北西ヨーロッパを象徴するだけでなく、イギリスのストーンヘンジやアイルランドのボイン渓谷の起源でもあると考えられています。
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オアハカの歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡

Historic Centre of Oaxaca and Archaeological Site of Monte Albán
オアハカの歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡
メキシコ南部のオアハカ州に位置する「オアハカの歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡」はモンテ・アルバンの考古遺跡とオアハカ・デ・フアレス(オアハカ)の歴史地区の異なる2つの文化遺産で構成されます。モンテ・アルバン考古遺跡はサポテカ文明の中心都市として繁栄したオアハカ渓谷における重要な考古遺跡です。一方でオアハカは16世紀のスペイン植民地時代の植民都市や都市計画の好例となった歴史都市です。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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オリンピアの考古遺跡

Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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カステル・デル・モンテ

Castel del Monte
カステル・デル・モンテ
イタリア南部のプーリア州にある城塞で、1240年に神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2 世によって築かれました。その設計は「8」に拘っています。この城の外観を上空から見ると、八角形の中庭を、城の本体となる八角形の壁が取り囲んでいて、さらに周壁の角には八角形の小塔が8つ配置されています。また、屋根の貯水槽にたまった雨水が各部屋に供給されるといった工夫がなされています。その一方で、この時代の城郭によく見られる堀や馬小屋などはなく、軍事的な要塞としての機能が見られません。また、出入り口となる扉付近はローマ古典様式、壁の窓はゴシック様式、そして浴槽の設備などにはイスラム文化の影響も伺えて、さまざまな建築様式が美しく融合した城となっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産

18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex
カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産
イタリア南西部、ナポリ近郊カゼルタに、ポーランド継承戦争が終わった18世紀の終わり、混迷の時代に、ナポリ王・カルロ7世(ブルボン家・カルロス3世)の命により、ヴェルサイユとマドリードの王宮に対抗してイタリアで最も壮大な王宮と庭園、水道橋等が建築されました。建築したのはルイージ・ヴァンヴィテッリとその息子。王宮以外にも、広大な森林地帯に24の国の庁舎、付属劇場等が作られ、19世紀にはブルボン家の貴族たちが春と秋の離宮として利用されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: イタリア共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と保護熱帯雨林群

Ancient Maya City and Protected Tropical Forests of Calakmul, Campeche
カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と保護熱帯雨林群
ユカタン半島のカンペチェ州内陸にあるカラクムルは紀元前1000年頃から紀元後1000年頃までマヤ文明のカーン王朝の本拠地として発展した古代都市です。文明崩壊後、都市は完全に放棄され、無人状態が続きました。そのため都市は全体として非常に良い状態で保たれ、当時の都市の様子や生活、文化を鮮明に知ることができます。また象形文字の碑文やレリーフ彫刻も当時の様子を記録しています。しかし9~10世紀頃に古典マヤ文明が崩壊した理由は判明しておらず、謎ものこる古代都市です。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 2002年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(ix)(x)
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キーウ:聖ソフィア聖堂と関連修道院群、キーウ・ペチェルーシク大修道院

Kyiv: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kyiv-Pechersk Lavra
キーウ:聖ソフィア聖堂と関連修道院群、キーウ・ペチェルーシク大修道院
9~13世紀にキリスト教圏の東端で栄えたキエフ大公国(キーウ・ルーシ)が首都キーウに残したキリスト教関連の建築物群です。キエフ大公国は10世紀末にギリシャ正教を国教として公認し、ビザンツ様式の教会や修道院が数多く建てられました。キーウの中心部にある聖ソフィア聖堂はキーウ・ルーシ全盛期の11世紀にヤロスラフ賢公によって建設されたキーウ最古の聖堂です。後にロシア各地の聖堂建築に影響を及ぼしたことから、「ロシア聖堂の母」と呼ばれます。郊外の高台に立つキーウ・ペチェルーシク大修道院はやはり11世紀に建設され、宗教・学問・教育の広い分野で中世ロシア有数の「知の中心」でした。13世紀にモンゴル軍により破壊されましたが、19世紀になって再興されました。世界遺産には、ペレストヴォ地域にある救世主聖堂も併せて登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ウクライナ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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グアダラハラの救貧施設

Hospicio Cabañas, Guadalajara
グアダラハラの救貧施設
19世紀初期、メキシコ中西部の都市グアダラハラに、孤児や高齢者、障害者など、恵まれない人々のための施設が建設されました。この救貧施設は「オスピシオ・カバーニャス」と呼ばれた新古典主義の建物で、平面は幅164m、奥行き145mの長方形をしており、高さが7.5mある内部はバリアフリーの設計になっています。建物内部の壁や天井は、1920年代に興ったメキシコ壁画運動の一環として制作された壁画で覆われています。なかでも、併設された教会の主礼拝堂のドーム型天井を飾る『炎の人』は、壁画運動の推進者であるホセ・クレメンテ・オロスコの最高傑作といわれています。
地域: 北米 / 国名: メキシコ合衆国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1997年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群

Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region
ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群
ナイル川流域には、クシュ王国の文化を物語る重要な遺跡群が広がっています。クシュ王国はアフリカ最古級の黒人国家であり、紀元前900年から前270年にかけて栄えたナパタ文化と、前270年から後350年にかけて栄えたメロエ文化の2つに分かれています。前10世紀にクシュ王国が誕生し、前730年にはピアンキ王がエジプト全域を統治することになります。そこから約70年という長いナパタ王国時代が続きます。遺跡群にはピラミッド付きの墓、寺院、住居、宮殿などが含まれています。これらの遺跡は、古代の建築技術や宗教儀式を今に伝える貴重な証拠となっており、古代文明の深い歴史を感じさせます。また、当時の社会構造を理解するための手がかりとして非常に重要です。
地域: アフリカ / 国名: スーダン共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2003年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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高句麗古墳群

Complex of Koguryo Tombs
高句麗古墳群
北朝鮮の首都、平壌周辺の高句麗古墳群は、高句麗王国の中・後期にあたる4〜7世紀ごろに建造された63基からなる古墳群で、その多くに美しい壁画が残されています。高句麗は、現在の中国東北部と朝鮮半島にかけて栄えた最強の王国のひとつでした。これまでに中国と朝鮮半島で発見された1万以上の高句麗の古墳のうち、壁画が描かれている古墳は約90か所で、これらの古墳のほぼ半分は世界遺産登録された地域にあります。壁画の図柄は、青龍、白虎、朱雀、玄武を描いた四神図や狩猟図、それに日本の高松塚古墳のものと似た女性像など多岐にわたっています。衣装、食べ物、住居生活、埋葬の習慣、さらには宗教的儀式など、今は消えてしまった高句麗文化の豊かさを伝える証となっています。高松塚古墳やキトラ古墳の壁画との関連性も指摘されており、高句麗王国が日本を含む東アジアに大きな影響を与えていたことを示唆しています。
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古代高句麗王国の都城と古墳群

Capital Cities and Tombs of the Ancient Koguryo Kingdom
古代高句麗王国の都城と古墳群
『古代高句麗王国の都城と古墳群』は、中国の吉林省集安市及び遼寧省桓仁満族自治県周辺に位置する世界遺産です。五女山城や国内城、丸都山城といった王国初期の都市遺跡に加え、王の碑や王陵、貴族の墓群が登録されています。丸都山城には、広大な宮殿跡や37の墳墓が残り、山と調和するように設計された都市計画となっています。防御性と自然美を兼ね備えた山城の構造は、後の東アジアの城づくりにも大きな影響を与えました。最初の都とされる五女山城は、現在も発掘調査の途上にあり、全容はいまだ明らかになっていません。しかし、どちらも人と自然が一体となった都市の歴史が残っており、高句麗の文化と世界観を今に伝えています。
地域: 東・東南アジア / 国名: 中華人民共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2004年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(v)
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コトルの文化歴史地域と自然

Natural and Culturo-Historical Region of Kotor
コトルの文化歴史地域と自然
コトルはアドリア海に面したコトル湾に位置する港町です。古くからロヴツェン山という天然の要塞もあったことから、ローマ時代から争奪の対象となってきました。15世紀にヴェネツィア共和国の支配を受けますが、それ以前に建設された聖トリフォン大聖堂や宮殿など中世の面影も色濃く残っています。要塞都市としての景観だけでなく集落や宮殿、修道院、岩山の斜面の段々畑と海の景観とも調和した都市です。コトルは海洋交易によって栄え、何世紀にもわたり芸術活動の中心地であったため、コトルの美術や金細工、建築学校はアドリア海岸の芸術に深い影響を与えました。
地域: ヨーロッパ / 国名: モンテネグロ / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1979年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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コルドバの歴史地区

Historic Centre of Cordoba
コルドバの歴史地区
スペイン南西部、アンダルシア地方にあるコルドバは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の文化が融合する歴史ある商業都市です。紀元前3世紀に共和制ローマの支配下に入った時にはカルタゴの植民都市が存在し、6世紀には西ゴート王国がこの地を統治します。その後イスラム勢力が制圧し、756年に後ウマイヤ朝の首都としてヨーロッパにおけるイスラム教の最重要拠点となります。10世紀には、コンスタンティノープル、ダマスカス、バクダードと並ぶ大都市として繁栄し、市街には300以上のモスクが立ち並びました。 一方、コルドバはキリスト教世界が目指すレコンキスタ(国土回復運動)の対象都市となります。1212年にムワッヒド朝が衰退すると、1236年にはカスティーリャ王国のフェルナンド3世によってコルドバは奪還され、大モスク「メスキータ」はキリスト教聖堂へ改修されるなど、キリスト教文化が浸透していきました。歴史地区では、それぞれの宗教文化の痕跡が今も残されています。その他にも、フェルディナント王子とイサベル女王が居城とした「カトリック両王のアルカサル」や、キリスト教支配の初期に築かれた「カラオーラの塔」など、レコンキスタを象徴する建築物も見ることができます。
地域: ヨーロッパ / 国名: スペイン / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1984年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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ゴンバデ・カーブース

Gonbad-e Qābus
ゴンバデ・カーブース
ゴンバデ・カーブースは、イラン北部にある、ズィヤール朝の首都だったゴルガン(またはジョルジャン)の近くに1,006年に建設された高さ53mの焼きレンガ造りの塔です。形はやや先細りの円筒形で先端部は円錐形となっています。内部は空洞で初期のムカルナス様式の装飾があり、壁の厚さは3m近くあります。土台部分の碑文にはアラビア語で「アミール・カーブース・ワシュムギール自身が生きている間に建設を命じた」と書かれており、この時期のズィヤール朝皇帝でアラビア詩人でもあったカーブースのための建造物であることがわかります。初期イスラム建築の革新的な設計と幾何学的で斬新なデザインは、これ以降イランだけでなく中東・中央アジアへと広まっていきました。建設1000年を迎えた後2012年に世界遺産に登録されました。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2012年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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サーンチーの仏教遺跡

Buddhist Monuments at Sanchi
サーンチーの仏教遺跡
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
地域: 西・南アジア / 国名: インド / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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スーサ

Susa
スーサ
スーサは、イランの南西部にある古代ペルシャ帝国(アケメネス朝)の古都です。紀元前6世紀に帝国の最盛期を築いたダレイオス1世がパサルガダエから遷都しました。もともとこの地は、アケメネス朝以前は紀元前3,000年ごろにまで遡る古代エラム王国の首都でした。また、アケメネス朝以後もパルティア王国等の重要都市となり、何千年にもわたり中東地域の中心的存在でした。アケメネス朝時代に帝国中に張り巡らされ、迅速な情報収集と物流により帝国の繁栄の基礎を築いた道「王の道」はすべてここを起点として各地へ伸びていました。現在のスーサには「アクロポリス」「アパダーナ」「王の都市」「技師の都市」の4つの遺構が残されています。
地域: 西・南アジア / 国名: イラン・イスラム共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2015年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)
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