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アーヘンの大聖堂
Aachen Cathedral
アイアンブリッジ峡谷
Ironbridge Gorge
アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋
Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge
アグリジェントの考古地区
Archaeological Area of Agrigento
アストゥリアス王国とオビエドの宗教建築物群
Monuments of Oviedo and the Kingdom of the Asturias
スペイン北西部、アストゥリアス地方の中心都市オビエドは、かつてアストゥリアス王国時代に首都として君臨していました。この地はイスラム勢力に征服されたのち、レコンキスタの口火を切った西ゴート王国の貴族ペラーヨによって奪還され、718年にアストゥリアス王国が建国されます。その後、8~10世紀にかけて首都オビエドに幾つものキリスト教の教会が建てられ、現在ではオビエド市街や郊外に残る6つの教会と関連施設が世界遺産として登録されています。特徴的なのは、プレロマネスク様式の1つであるアストゥリアス様式で建造されている点です。その代表例がサンタ・マリア・デル・ナランコ教会で、装飾や彫刻、ファサードなどがビザンツ様式から着想を得て建てられています。この教会建築が後のイベリア半島における建築様式の発展に強い影響を与えました。
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区
Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht
13世紀にアムステル川にダムをつくり、海水の侵入を防いでそこに集落が成立したのが現在の「アムステルダム」の起源です。現在の運河地区は16世紀末から17世紀初頭にかけての湾岸都市プロジェクトとして建設されました。一番外側の「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がる運河をつくり、さらに同心円状に運河を整備し、その間の土地(沼沢地)を排水して市街地化していきました。この町の運河と都市景観は美しいだけでなく実用的でかつ経済的なものです。16世紀末以降、オランダは海洋国家として黄金期を迎えていました。日本を含むアジアとの交易等で莫大な富を蓄え、アムステルダムは世界有数の富裕都市となりました。そしてその非常に均質な街並みは19世紀に至るまで大規模都市計画のモデルとなりました。
アルダビールのシャイフ・サフィ・アッディーン廟と関連建造物群
Sheikh Safi al-din Khānegāh and Shrine Ensemble in Ardabil
アンコールの遺跡群
Angkor
アントニ・ガウディの作品群
Works of Antoni Gaudí
『アントニ・ガウディの作品群』は、スペイン東部・カタルーニャ地方の中心都市バルセロナとその周辺に点在する、建築家アントニ・ガウディ(本名:アントニ・ガウディ・イ・コルネ)が手掛けた7つの建築物によって構成されています。ガウディは、1852年に銅版器具職人の息子として生まれ、バルセロナの建築学校に進学しました。26歳の時、パリ万博に作品を出展したことがきっかけで、最大の支援者となる実業家エウゼビ・グエルと出会います。グエルはガウディのパトロン的な存在として、自邸や別邸の設計を委ねたほか、数々の傑作の建設に貢献しました。1883年、ガウディはサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の建築主任となり設計に奔走します。しかし、1926年に建築途中の聖堂を残し、不慮の事故でこの世を去ってしまいました。
イスタンブルの歴史地区
Historic Areas of Istanbul
トルコ北西部のイスタンブルは、アナトリア半島、バルカン半島、黒海、地中海の間に位置し、ヨーロッパとアジアを隔てるボスフォラス海峡の両岸にまたがる、トルコ最大の都市です。その立地が表すように、ヨーロッパとアジアの文明が交差する十字路であり、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国といった大帝国の都が置かれてきました。都市の起源は紀元前7世紀頃に遡り、古代ギリシャの都市国家メガラが、王の名にちなみビザンティオンという名の都市を建設したことが始まりとされています。2世紀末に、ローマ帝国に占領されて「ビザンティウム」と改名。330年には帝都がローマからこの地へと遷され、当時のローマ皇帝コンスタンティヌスの名にちなんで都市名は「コンスタンティノポリス」(コンスタンティノープル)と名付けられました。395年にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンティノープルはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都となりました。西ローマ帝国はわずか80年後の476年に滅亡したのに対し、ビザンツ帝国はその後1,000年以上も続きました。また、1054年キリスト教会が東西に分裂すると、西のローマはカトリック教会、東のコンスタンティノープルはギリシャ正教会の本拠地となりました。
厳島神社
Itsukushima Shinto Shrine
Ir.D.F.ヴァウダヘマール:D.F.ヴァウダ技師による蒸気水揚げポンプ場
Ir.D.F. Woudagemaal (D.F. Wouda Steam Pumping Station)
ヴァティカン市国
Vatican City
キリスト教世界で最も神聖な場所のひとつであるヴァティカン市国は、約2,000年の歴史とカトリック教会の精神性の証として存在しています。ローマ教皇を国家元首とするこの国は人口800人、総面積0.44km2と世界最小の独立国でありながら、国全体が世界遺産に登録されている唯一の場所です。サン・ピエトロ大聖堂の立つヴァティカンの丘は、イエス・キリストの最初の弟子であり初代教皇でもある聖ペテロの墓所であったとされています。4世紀になると、ローマ帝国皇帝として最初にキリスト教を保護したコンスタンティヌス1世の命により、バシリカ式の教会堂が建てられました。主要な巡礼地でもあるヴァティカンは、キリスト教の歴史と直接的に結びついているのみならず、ルネサンスやバロック美術の理想であり、模範的な創造物でもあります。
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の都市景観群(シチリア島南東部)
Late Baroque Towns of the Val di Noto (South-Eastern Sicily)
ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター・アビーとセント・マーガレット教会
Palace of Westminster and Westminster Abbey including Saint Margaret’s Church
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
ヴォーバンによる要塞建築群
Fortifications of Vauban
ウラジーミルとスーズダリの白い建造物群
White Monuments of Vladimir and Suzdal
ヴロツワフの百周年記念ホール
Centennial Hall in Wrocław
雲岡石窟
Yungang Grottoes
雲岡石窟は、山西省武周山南麓の断崖面の全長およそ1kmの範囲に現存する、252の石窟です。452年に即位した北魏の文成帝が、高僧曇曜(どんよう)の提言に従い、460年に開鑿を行ったのがその始まりです。文成帝は「曇曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に、自身を含めた5人の皇帝を模した大仏を建立しました。494年、洛陽に遷都したことを機に造営は終息に向かい、石窟は存在を忘れられていきましたが、1902年に建築家の伊東忠太が建築研究のため中国を訪れ再発見しました。仏像は5万体以上あり、第20窟の如来坐像は傑作とされています。仏像は制作年によって様式が異なり、徐々に中国独自のものになっていった様子がうかがえます。
エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域
Sanctuary of Asklepios at Epidaurus
オークニー諸島の新石器時代遺跡
Heart of Neolithic Orkney
オアハカの歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡
Historic Centre of Oaxaca and Archaeological Site of Monte Albán
オリンピアの考古遺跡
Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
海事都市グリニッジ
Maritime Greenwich
ロンドン南東部、テムズ川沿いに位置するグリニッジはイギリスにおける水上交通の要となった海事都市です。かつては王宮のひとつに過ぎなかったグリニッジですが、大航海時代~19世紀末までイギリスの海の玄関口として大いにその役割を果たしてきました。その大航海時代の名残を見られるのが1675年建造のグリニッジ天文台です。バロック様式の天文台で観測された恒星図によってイギリスの位置と時間が定められました。そして1884年の国際会議によってグリニッジ天文台が経度0度の本初子午線が通る基点として決定されます。その後、天文台はサセックスへ移転しますが、子午線の位置が変わることはありませんでした。王立天文台でのロバート・フックとジョン・フラムスティードの研究は、地球の動きを正確に測定することを可能にし、航海術の発展にも貢献しました。
カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産
18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex
カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と保護熱帯雨林群
Ancient Maya City and Protected Tropical Forests of Calakmul, Campeche
キーウ:聖ソフィア聖堂と関連修道院群、キーウ・ペチェルーシク大修道院
Kyiv: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kyiv-Pechersk Lavra
9~13世紀にキリスト教圏の東端で栄えたキエフ大公国(キーウ・ルーシ)が首都キーウに残したキリスト教関連の建築物群です。キエフ大公国は10世紀末にギリシャ正教を国教として公認し、ビザンツ様式の教会や修道院が数多く建てられました。キーウの中心部にある聖ソフィア聖堂はキーウ・ルーシ全盛期の11世紀にヤロスラフ賢公によって建設されたキーウ最古の聖堂です。後にロシア各地の聖堂建築に影響を及ぼしたことから、「ロシア聖堂の母」と呼ばれます。郊外の高台に立つキーウ・ペチェルーシク大修道院はやはり11世紀に建設され、宗教・学問・教育の広い分野で中世ロシア有数の「知の中心」でした。13世紀にモンゴル軍により破壊されましたが、19世紀になって再興されました。世界遺産には、ペレストヴォ地域にある救世主聖堂も併せて登録されています。