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アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
アンコールの遺跡群
Angkor
アンテケラの支石墓遺跡
Antequera Dolmens Site
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
雲岡石窟
Yungang Grottoes
雲岡石窟は、山西省武周山南麓の断崖面の全長およそ1kmの範囲に現存する、252の石窟です。452年に即位した北魏の文成帝が、高僧曇曜(どんよう)の提言に従い、460年に開鑿を行ったのがその始まりです。文成帝は「曇曜五窟」と呼ばれる5つの石窟に、自身を含めた5人の皇帝を模した大仏を建立しました。494年、洛陽に遷都したことを機に造営は終息に向かい、石窟は存在を忘れられていきましたが、1902年に建築家の伊東忠太が建築研究のため中国を訪れ再発見しました。仏像は5万体以上あり、第20窟の如来坐像は傑作とされています。仏像は制作年によって様式が異なり、徐々に中国独自のものになっていった様子がうかがえます。
オフリド地方の自然及び文化遺産
Natural and Cultural Heritage of the Ohrid region
オリンピアの考古遺跡
Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
カザンラクのトラキア人の古墳
Thracian Tomb of Kazanlak
カスビのブガンダ王国の王墓
Tombs of Buganda Kings at Kasubi
カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産
18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex
キーウ:聖ソフィア聖堂と関連修道院群、キーウ・ペチェルーシク大修道院
Kyiv: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kyiv-Pechersk Lavra
9~13世紀にキリスト教圏の東端で栄えたキエフ大公国(キーウ・ルーシ)が首都キーウに残したキリスト教関連の建築物群です。キエフ大公国は10世紀末にギリシャ正教を国教として公認し、ビザンツ様式の教会や修道院が数多く建てられました。キーウの中心部にある聖ソフィア聖堂はキーウ・ルーシ全盛期の11世紀にヤロスラフ賢公によって建設されたキーウ最古の聖堂です。後にロシア各地の聖堂建築に影響を及ぼしたことから、「ロシア聖堂の母」と呼ばれます。郊外の高台に立つキーウ・ペチェルーシク大修道院はやはり11世紀に建設され、宗教・学問・教育の広い分野で中世ロシア有数の「知の中心」でした。13世紀にモンゴル軍により破壊されましたが、19世紀になって再興されました。世界遺産には、ペレストヴォ地域にある救世主聖堂も併せて登録されています。
グウィネズのエドワード1世王の城郭群
Castles and Town Walls of King Edward in Gwynedd
13世紀後半から14世紀初期にかけて北ウェールズのグウィネズに築かれた、ボーマリス城とハーレフ城、カーナーヴォン城と市壁、コンウィ城と市壁の4つの城と2つの市壁が世界遺産に登録されています。この一帯は、かつてグウィネズ王国が置かれた場所でした。イングランド王のエドワード1世は1277年と1282~1284年にかけてウェールズに侵攻すると、最後まで激しく抵抗したこの地に抵抗を抑えるための城と市壁を築き始めました。王の命令でウェールズ一帯に築かれた城郭群は「アイアン・リング(鉄の輪)」と呼ばれています。世界遺産に登録されている4つの城は、王に仕えた軍事建築家のジェームズ・オブ・セント・ジョージによるもので、中でもボーマリス城とハーレフ城は傑作と称されています。
グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区
Alhambra, Generalife and Albayzín, Granada
アンダルシア地方グラナダに位置するアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区は、かつてのイスラム王朝時代の宮殿都市としての面影を残す遺構です。1232年、住民から招かれたイスラム勢力ナスル族のムハンマド1世によって、この地にグラナダ王国(ナスル朝)が興りました。当時は8世紀から続くレコンキスタ(国土回復運動)の最中にあり、周辺には小さなイスラム教国が残るのみでした。ナスル朝は、キリスト教勢力の大国カスティーリャ王国の封建的家臣として従うことで領土を守ってきました。しかし、14世紀半ばにヨーロッパでおきたペスト大流行や、キリスト教国同士の争いで滞っていたレコンキスタの最熱などにより、1479年に強大なスペイン王国が成立します。これに伴って、グラナダは1492年に陥落しレコンキスタは完結を迎えました。
京杭大運河
The Grand Canal
ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群
Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region
ナイル川流域には、クシュ王国の文化を物語る重要な遺跡群が広がっています。クシュ王国はアフリカ最古級の黒人国家であり、紀元前900年から前270年にかけて栄えたナパタ文化と、前270年から後350年にかけて栄えたメロエ文化の2つに分かれています。前10世紀にクシュ王国が誕生し、前730年にはピアンキ王がエジプト全域を統治することになります。そこから約70年という長いナパタ王国時代が続きます。遺跡群にはピラミッド付きの墓、寺院、住居、宮殿などが含まれています。これらの遺跡は、古代の建築技術や宗教儀式を今に伝える貴重な証拠となっており、古代文明の深い歴史を感じさせます。また、当時の社会構造を理解するための手がかりとして非常に重要です。
高句麗古墳群
Complex of Koguryo Tombs
北朝鮮の首都、平壌周辺の高句麗古墳群は、高句麗王国の中・後期にあたる4〜7世紀ごろに建造された63基からなる古墳群で、その多くに美しい壁画が残されています。高句麗は、現在の中国東北部と朝鮮半島にかけて栄えた最強の王国のひとつでした。これまでに中国と朝鮮半島で発見された1万以上の高句麗の古墳のうち、壁画が描かれている古墳は約90か所で、これらの古墳のほぼ半分は世界遺産登録された地域にあります。壁画の図柄は、青龍、白虎、朱雀、玄武を描いた四神図や狩猟図、それに日本の高松塚古墳のものと似た女性像など多岐にわたっています。衣装、食べ物、住居生活、埋葬の習慣、さらには宗教的儀式など、今は消えてしまった高句麗文化の豊かさを伝える証となっています。高松塚古墳やキトラ古墳の壁画との関連性も指摘されており、高句麗王国が日本を含む東アジアに大きな影響を与えていたことを示唆しています。
コトルの文化歴史地域と自然
Natural and Culturo-Historical Region of Kotor
コルドバの歴史地区
Historic Centre of Cordoba
スペイン南西部、アンダルシア地方にあるコルドバは、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の文化が融合する歴史ある商業都市です。紀元前3世紀に共和制ローマの支配下に入った時にはカルタゴの植民都市が存在し、6世紀には西ゴート王国がこの地を統治します。その後イスラム勢力が制圧し、756年に後ウマイヤ朝の首都としてヨーロッパにおけるイスラム教の最重要拠点となります。10世紀には、コンスタンティノープル、ダマスカス、バクダードと並ぶ大都市として繁栄し、市街には300以上のモスクが立ち並びました。
一方、コルドバはキリスト教世界が目指すレコンキスタ(国土回復運動)の対象都市となります。1212年にムワッヒド朝が衰退すると、1236年にはカスティーリャ王国のフェルナンド3世によってコルドバは奪還され、大モスク「メスキータ」はキリスト教聖堂へ改修されるなど、キリスト教文化が浸透していきました。歴史地区では、それぞれの宗教文化の痕跡が今も残されています。その他にも、フェルディナント王子とイサベル女王が居城とした「カトリック両王のアルカサル」や、キリスト教支配の初期に築かれた「カラオーラの塔」など、レコンキスタを象徴する建築物も見ることができます。
ゴレスタン宮殿
Golestan Palace
ゴンバデ・カーブース
Gonbad-e Qābus
ゴンバデ・カーブースは、イラン北部にある、ズィヤール朝の首都だったゴルガン(またはジョルジャン)の近くに1,006年に建設された高さ53mの焼きレンガ造りの塔です。形はやや先細りの円筒形で先端部は円錐形となっています。内部は空洞で初期のムカルナス様式の装飾があり、壁の厚さは3m近くあります。土台部分の碑文にはアラビア語で「アミール・カーブース・ワシュムギール自身が生きている間に建設を命じた」と書かれており、この時期のズィヤール朝皇帝でアラビア詩人でもあったカーブースのための建造物であることがわかります。初期イスラム建築の革新的な設計と幾何学的で斬新なデザインは、これ以降イランだけでなく中東・中央アジアへと広まっていきました。建設1000年を迎えた後2012年に世界遺産に登録されました。
サーンチーの仏教遺跡
Buddhist Monuments at Sanchi
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
サン・ジミニャーノの歴史地区
Historic Centre of San Gimignano
始皇帝陵と兵馬俑坑
Mausoleum of the First Qin Emperor
スーサ
Susa
スーサは、イランの南西部にある古代ペルシャ帝国(アケメネス朝)の古都です。紀元前6世紀に帝国の最盛期を築いたダレイオス1世がパサルガダエから遷都しました。もともとこの地は、アケメネス朝以前は紀元前3,000年ごろにまで遡る古代エラム王国の首都でした。また、アケメネス朝以後もパルティア王国等の重要都市となり、何千年にもわたり中東地域の中心的存在でした。アケメネス朝時代に帝国中に張り巡らされ、迅速な情報収集と物流により帝国の繁栄の基礎を築いた道「王の道」はすべてここを起点として各地へ伸びていました。現在のスーサには「アクロポリス」「アパダーナ」「王の都市」「技師の都市」の4つの遺構が残されています。
スピエンヌにある新石器時代の火打石の鉱山発掘地(モンス)
Neolithic Flint Mines at Spiennes (Mons)
セゴビアの旧市街とローマ水道橋
Old Town of Segovia and its Aqueduct
スペインの中心部、カスティーリャ・イ・レオン州にあるセゴビアは、エレスマ川とクラモレス川の2つの川に挟まれた地形を有効活用した要塞都市です。紀元前80年にはローマ帝国の支配下に入ったこの地は、ローマ帝国の重要拠点であり、イベリア半島の交通の要所でした。ローマ人が築いた水道橋は128本の柱が支える2層アーチで構成され、全長813m、最高部の高さ28.5mの規模を誇ります。ローマ水道橋は西暦50年頃に建設されたと考えられていますが保存状態も良好で、歴史的なセゴビアの街並みから切り離すことのできない街のシンボルとなっています。12世紀には、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によって、ローマ時代に要塞として建造された建物をアルカサル(王宮)へ改築します。また、1525年に建設が始まったカテドラル(司教座大聖堂)は完成までに約200年以上の歳月を要しました。
蘇州の園林
Classical Gardens of Suzhou
泰山
Mount Taishan
中国東部の山東省にそびえる標高1,535mの泰山は、世界遺産の登録基準(i)から(vii)までの全てを認められている唯一の世界遺産です。東岳の泰山、西岳の崋山(陝西省)、南岳の衡山(湖南省)、北岳の恒山(山西省)、中岳の嵩山(河南省)という中国五岳の筆頭であり、多くの人々の信仰を集める道教の聖地です。『史記』 によると紀元前219年、秦の始皇帝はこの山の山頂で天を、そして山麓で地を祀る 「封禅」という儀式を行いました。これは始皇帝以前に72人の王が行っていた儀式を再現したものであるとされます。前漢(前202~後8年)の7代皇帝の武帝はこの儀式を国家的な祭祀として採用し、清(1636~1912年)の康熙帝まで、歴代の皇帝がこの地で封禅を行いました。
隊商都市ペトラ
Petra