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アジャンターの石窟寺院群
Ajanta Caves
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域
Sanctuary of Asklepios at Epidaurus
エローラーの石窟寺院群
Ellora Caves
『エローラーの石窟寺院群』は、5世紀頃から10世紀頃にかけて造営された石窟寺院群です。インドのデカン高原西部の岩山の南西面に約2kmにわたって、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の石窟寺院が34存在します。最初に掘られたのは仏教窟で、5世紀〜8世紀に第1窟から第12窟までつくられました。そのうち第10窟(ヴィシュヴァカルマ窟、「大工の石窟」とも)は最も有名な仏教窟のひとつで、内部には木造を模した高い天井が広がり、仏陀が椅子に座っている様子を表現した仏倚坐像が、仏塔(ストゥーパ)を背にして鎮座しています。このように、石窟寺院の内部に仏塔や仏像を安置して礼拝する祠堂をチャイティヤ窟といいます。仏教窟の最北端に位置する第12窟(ティーン・タル窟)は3層構造でつくられており、仏教窟の中では最も大きな窟です。
オリンピアの考古遺跡
Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
カスビのブガンダ王国の王墓
Tombs of Buganda Kings at Kasubi
京杭大運河
The Grand Canal
ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群
Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region
ナイル川流域には、クシュ王国の文化を物語る重要な遺跡群が広がっています。クシュ王国はアフリカ最古級の黒人国家であり、紀元前900年から前270年にかけて栄えたナパタ文化と、前270年から後350年にかけて栄えたメロエ文化の2つに分かれています。前10世紀にクシュ王国が誕生し、前730年にはピアンキ王がエジプト全域を統治することになります。そこから約70年という長いナパタ王国時代が続きます。遺跡群にはピラミッド付きの墓、寺院、住居、宮殿などが含まれています。これらの遺跡は、古代の建築技術や宗教儀式を今に伝える貴重な証拠となっており、古代文明の深い歴史を感じさせます。また、当時の社会構造を理解するための手がかりとして非常に重要です。
古代都市テーベと墓地遺跡
Ancient Thebes with its Necropolis
コナーラクのスーリヤ寺院
Sun Temple, Konârak
サーンチーの仏教遺跡
Buddhist Monuments at Sanchi
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
始皇帝陵と兵馬俑坑
Mausoleum of the First Qin Emperor
聖カトリーナ修道院地域
Saint Catherine Area
聖カトリーナ修道院は、エジプト北東部のシナイ半島南部、シナイ山(標高2285m)北麓にあるギリシア正教の修道院です。この山のふもとは、『旧約聖書』でモーセが神から「十戒」を授けられた場所とされ、古くからユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒にとって宗教的に重要な意味を持つ聖地とされてきました。険しい山岳地帯の続く過酷な環境にもかかわらず、一帯には数多くの考古学的・宗教的遺跡やモニュメントがあり、巡礼者らにインスピレーションや心の平穏をもたらす景観を形成しています。初期キリスト教会では、辺境地に修道院共同体を設立して禁欲的な修道生活を送ることが広く行われましたが、聖カトリーナ修道院は、そうした修道院の中でも最も初期のものの一つです。今も修道士たちが静かな祈りの生活を続ける、世界最古のキリスト教修道院となっています。
セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
Cathedral, Alcázar and Archivo de Indias in Seville
スペイン南西部の都市セビーリャに残る大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館は、イスラム文化の痕跡、カトリック教会の権力、王室の主権、そしてスペインがアメリカ大陸の植民地を通じて獲得した貿易力を示す建造物群です。1403年にモスクの跡地に建設された大聖堂は、五廊式の構造をもつ世界で最も広大で豪華な宗教建築のひとつです。クリストファー・コロンブスの墓があることでも知られています。隣接する「ヒラルダの塔」は、1172〜98年にムワッヒド朝のヤアクーブ・アルマンスールが、大モスクのミナレットとして建設したもので、レコンキスタ(国土回復運動)後に鐘楼に転用されました。頂上には塔の名前の由来となった、キリスト教信仰の勝利を表す女性の銅像「ヒラルディージョ」が設置されています。
泰山
Mount Taishan
中国東部の山東省にそびえる標高1,535mの泰山は、世界遺産の登録基準(i)から(vii)までの全てを認められている唯一の世界遺産です。東岳の泰山、西岳の崋山(陝西省)、南岳の衡山(湖南省)、北岳の恒山(山西省)、中岳の嵩山(河南省)という中国五岳の筆頭であり、多くの人々の信仰を集める道教の聖地です。『史記』 によると紀元前219年、秦の始皇帝はこの山の山頂で天を、そして山麓で地を祀る 「封禅」という儀式を行いました。これは始皇帝以前に72人の王が行っていた儀式を再現したものであるとされます。前漢(前202~後8年)の7代皇帝の武帝はこの儀式を国家的な祭祀として採用し、清(1636~1912年)の康熙帝まで、歴代の皇帝がこの地で封禅を行いました。
隊商都市ボスラ
Ancient City of Bosra
シリア南部のハウラン平原に広がるボスラは、1世紀頃、ナバテア王国の北の都でありましたが、2世紀初頭にローマ帝国アラビア属州の州都になると穀倉地帯として繁栄しました。この一帯は湧水が多く、肥沃な土壌に恵まれていました。町には他のローマの都市にあるような聖堂、娯楽施設、公共浴場などが作られていきました。また、長さ100mにも及ぶ地下道は、倉庫の役割を果たしていました。これは、ボスラが地中海とアラビア海を結ぶ通商路の途中にあり、様々な物資を保存しなければならなかったためと考えられています。興味深いのが、この遺跡が全体的に黒っぽいことです。これは、建材が黒い玄武岩であるからであり、他のローマ遺跡が大理石などを使用して全体的に白っぽいので、対照的であります。また、イスラーム勢力が入ってきてからの遺構も残されており、特にアル・オマリ・モスクは8世紀初頭の建造であり、イスラーム世界でも最古のモスクの一つと言われています。
大ジンバブエ遺跡
Great Zimbabwe National Monument
ジンバブエ中南部の都市マスビンゴから約30kmの場所にある『大ジンバブエ遺跡』は、11〜15世紀頃にバンツー語系のショナ族によって築かれた巨大な都市遺跡群です。遺跡群は丘の上に築かれた「アクロポリス(丘の遺跡)」、高い石壁に囲まれた「大神殿(大囲壁)」、石の住居が並ぶ「谷の遺跡」の3つの要素で構成されています。宗教的中心地だったアクロポリスは、王族の居住地や儀式の場があったと考えられています。大神殿は14世紀に築かれたもので、その囲いはモルタルを用いず、加工した花崗岩を積み上げてつくられました。高さ約11mの円錐形の塔や住居跡が残されています。谷の遺跡は谷間に点在する住居群で、日干しレンガや石積みの壁でつくられた建物が特徴です。
タフテ・ソレイマーン
Takht-e Soleyman
ダマスカスの旧市街
Ancient City of Damascus
ツォディロの岩絵群
Tsodilo
ティヴォリのエステ家別荘
Villa d'Este, Tivoli
イタリア中部、ローマ郊外にある街ティヴォリは、ローマの貴族の別荘地として名高い場所でした。北イタリアの有力な貴族であったエステ家の出身である枢機卿イッポリート・デステは、1550年にティヴォリ総督に任命された際に、新しい地位にふさわしい宮殿の建設を計画しました。ベネディクト会の修道院だった建物を住居として改装して、その周囲に大規模な庭園を造らせました。別荘全体の総面積は4万5000㎡に及び、革新的な設計はナポリの建築家ピッロ・リゴーリオが担当しました。丘を削って二つの斜面をつくり、水道橋や地下運河を築いて、近くを流れるアニエーネ川からの豊富な水を確保し、500以上の噴水を持つ庭園を築き、ルネサンス庭園の代表作となりました。
テオティワカンの古代都市
Pre-Hispanic City of Teotihuacan
デルフィの考古遺跡
Archaeological Site of Delphi
トリーアのローマ遺跡、聖ペトロ大聖堂と聖母聖堂
Roman Monuments, Cathedral of St Peter and Church of Our Lady in Trier
ドイツ西部、モーゼル川沿いに位置するトリーアは、1世紀にローマのアウグスティヌス帝が建設した植民都市を起源とし、次の世紀の初めには大きな交易都市として発展しました。3世紀末にはテトラルキア(四分統治)の首都の一つとなり、「第二のローマ」と呼ばれました。アルプス以北で、これほど多くの重要なローマ建築物やローマ時代の遺構が集中して残されている場所は他になく、その規模と質は、ローマ文明の卓越した証拠です。後期古典時代には、トリーアはローマ帝国最大級の都市の一つであり、ガリア、ゲルマニア、ブリタニア、ヒスパニアの長官府が置かれ、ディオクレティアヌス帝の改革後には西方帝国の副帝(カエサル)の座所となりました。
敦煌の莫高窟
Mogao Caves
ナン・マトール:ミクロネシア東部の儀礼的中心地
Nan Madol: Ceremonial Centre of Eastern Micronesia
ミクロネシア連邦のポンペイ島の沖合には、およそ100を数える人工島があります。現地語で「ナン・マトール」と呼ばれ、「神々と人間との間に広がる空間」という意味を持つ遺跡群です。柱状玄武岩とサンゴの巨石や小石を積み上げてつくられた人工島は、幅が約1.5㎞、奥行約700mの海域に点在します。人工島にはそれぞれ宮殿や寺院、墓所、浴場や住居といった機能がありました。外海からの入り口は一つで、人々は、カヌーに乗り移動していたとされています。ナン・マトールは太平洋地域で最大規模を誇る遺跡で、今もなお、地元民によって神聖な場所とみなされています。しかし、マングローブなど植物の繁茂や、水路でのシルト堆積といった脅威により、世界遺産リスト登録と同時に危機遺産リストにも記載されました。
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで
Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
Cultural Landscape and Archaeological Remains of the Bamiyan Valley