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アジャンターの石窟寺院群
Ajanta Caves
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
アフロディシアス
Aphrodisias
アフロディシアスは、トルコの南西部、モルシナス渓谷の上流にあり、都市遺跡とその北東部にある大理石の採石場で構成されています。古くはレルゴノポリス、メガロポリスと呼ばれていましたが、紀元前2世紀にローマ帝国の支配が強化されたことで、この街は神聖な場所としての重要性を増し、美、愛、自然、豊かさの女神アフロディーテに由来してアフロディシアスの名前が付けられました。街の中心には、女神を祀ったアフロディーテ神殿つくられ、現在も堂々とした14本の柱を見ることができます。発掘調査によると、劇場の壁に書かれた文字に「カエサルから女神アフロディーテに贈った黄金のエロス像」とあることから、カエサルはこの街に来て女神に忠誠を捧げたと考えられています。
イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)
Longobards in Italy. Places of the power (568-774 A.D.)
イランのアルメニア教会修道院群
Armenian Monastic Ensembles of Iran
イラン北西部、アルメニアとの国境に近い地域にあるアルメニア正教会の修道院と聖堂です。ここは古代アルメニアの土地でした。古代アルメニアは4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を公認した国です(ローマ帝国より30年ほど早いです)。そしてこの地はアルメニア正教の中心地となり、現在でも重要な巡礼地となっています。アルメニア正教の遺構として残っているのが3つの修道院と聖堂です。そのうちの最古のものは7世紀に建てられた「聖タデウス修道院」で、イエスの十二使徒の一人タデイにちなんでいます。「聖ステファノ修道院」と「生神女マリア聖堂」もアルメニアの伝統様式で建てられており、貴重な遺構です。これらの建物は、地震等での倒壊はあったもののその後再建され、この地を支配したイスラム教の王朝からも保護されてきました。
殷墟
Yin Xu
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
ヴォルビリスの考古遺跡
Archaeological Site of Volubilis
エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域
Sanctuary of Asklepios at Epidaurus
エルサレムの旧市街とその城壁群
Old City of Jerusalem and its Walls
西アジアの地中海東岸地域(レバント地方)に位置するエルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教にとってきわめて重要な意味を持つ聖地です。エルサレムの歴史は非常に古く、約6,000年前には人類が居住していた可能性があります。紀元前14世紀の古代エジプトの文書に登場する「ウルサリム」という記述は、エルサレムに関する初めての確実な言及とされています。ウルサリムは西セム諸語の「シャリムの都市」を意味する語に由来し、それが転訛してエルサレムとなったと考えられています。現代アラビア語では「神聖」を意味する語に定冠詞(Al)が付いたAl Quds(アル・クドゥス)と呼ばれます。これはエルサレム神殿のヘブライ語名である「聖なる家」をアラビア語に翻訳したバイト・アル・マクディスという名称が短縮したものとされています。現在、エルサレムは西エルサレムと東エルサレムに分かれており、世界遺産に登録されている旧市街は東エルサレムに位置しています。旧市街は約1km四方の範囲に広がり、周囲を囲う城壁の全長は約4kmあります。城壁はオスマン帝国のスレイマン1世によって再建されたもので、8つの門のうち7つが現在も使用されています。
円形都市ハトラ
Hatra
オスン-オソボの聖林
Osun-Osogbo Sacred Grove
オリンピアの考古遺跡
Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
カパック・ニャン:アンデスの道
Qhapaq Ñan, Andean Road System
カルタゴの考古遺跡
Archaeological Site of Carthage
フェニキア人によって建設されたカルタゴは、チュニス湾とその周囲の平野を見下ろす丘に位置し、紀元前6世紀から後2世紀ごろにかけて繁栄した広大な考古学的遺跡です。ローマ時代のアフリカ属州の首都として、カルタゴは古代において重要な商業帝国の役割を果たしました。長いポエニ戦争の間、カルタゴはローマの領土を占領しましたが、最終的に146年にローマによって破壊されました。その後、ローマ人が古代都市を、カルタゴの遺跡の上に再建しました。フェニキア、ローマ、キリスト教、アラブ文化が次々と融合し、開花する特別な場所として、この大都市とその港は地中海で広範な交流を促進しました。カルタゴはハンニバルという戦士かつ策略家、探検家ハノン、有名な農学者マゴンを輩出しました。また、その歴史的・文学的な名声を通じて、カルタゴは常に世界的な想像力をかき立ててきました。カルタゴの主要な構成要素には、ビュルサの丘、プニック港、プニック・トフェット、ネクロポリス、劇場、円形劇場、サーカス、住宅地、バシリカ、アントニヌス浴場、マラガ貯水池、そして考古学保護区域が含まれます。
紀伊山地の霊場と参詣道
Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range
キレーネの考古遺跡
Archaeological Site of Cyrene
キレーネの考古遺跡は、リビア北東部にあるギリシャ式の都市の遺跡です。その起源は、エーゲ海のテラ島(現在のサントリーニ島)の人々によって築かれたとされています。言い伝えでは、人口増加や干ばつに苦しんだテラ島の人々が、デルフィで信託を受け、サントリーニ島から船でリビアへ渡り、新天地に都市を建設したといいます。都市名キレーネは、アポロンに愛された泉の女神に由来すると伝えられています。キレーネは地中海貿易の拠点として栄え、アテネやシラクサに次ぐ規模のアクロポリスも築かれました。前4世紀にはアレクサンドロス大王に服属し、その後エジプトのプトレマイオス朝の支配を経て、ローマ帝国の属州となりました。ローマ支配下ではその後、反乱による破壊、ハドリアヌス帝による再建、地震と津波などを経験し、都市は次第に衰退しました。そして7世紀後半、イスラム勢力によって征服され、歴史の舞台から姿を消しました。
ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群
Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region
ナイル川流域には、クシュ王国の文化を物語る重要な遺跡群が広がっています。クシュ王国はアフリカ最古級の黒人国家であり、紀元前900年から前270年にかけて栄えたナパタ文化と、前270年から後350年にかけて栄えたメロエ文化の2つに分かれています。前10世紀にクシュ王国が誕生し、前730年にはピアンキ王がエジプト全域を統治することになります。そこから約70年という長いナパタ王国時代が続きます。遺跡群にはピラミッド付きの墓、寺院、住居、宮殿などが含まれています。これらの遺跡は、古代の建築技術や宗教儀式を今に伝える貴重な証拠となっており、古代文明の深い歴史を感じさせます。また、当時の社会構造を理解するための手がかりとして非常に重要です。
元の上都遺跡
Site of Xanadu
杭州にある西湖の文化的景観
West Lake Cultural Landscape of Hangzhou
五台山
Mount Wutai
古都奈良の文化財
Historic Monuments of Ancient Nara
サーンチーの仏教遺跡
Buddhist Monuments at Sanchi
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
ザンジバル島のストーン・タウン
Stone Town of Zanzibar
サンボー・プレイ・クックの寺院地区:古代イシャナプラの考古遺跡
Temple Zone of Sambor Prei Kuk, Archaeological Site of Ancient Ishanapura
サンボー・プレイ・クックの寺院地区は、カンボジア中央部コンポントム州 に6世紀後半から7世紀前半にかけて栄えた真臘国(チャンラ王国)の都イシャナプラと呼ばれた場所にあります。イシャナプラはスタン・セン川やオー・クル・ケー川が流れる平野にあり、インドと中国とを結ぶ海上交易路の要所であったため、商業だけでなく宗教の中心地としても発展しました。サンボー・プレイ・クックという名前は、クメール語で「豊かな森の寺院」という意味で、7世紀初めに即位したイシャナヴァルマン1世は、この地に多くのヒンドゥー教の寺院が建てました。これらの寺院はアンコール・ワットよりも古く、プレ・アンコール期とされるクメール建築が生まれた初期の特徴がみられます。「空中宮殿(フライング・パレス)」や「怪魚マカラ」など遺跡に残る砂岩の彫刻は、サンボー・プレイ・クック様式と呼ばれています。100以上ある寺院遺跡の多くはレンガ造りで、そのうち10の寺院は東南アジアでは珍しい八角形の祠堂を持っています。約2㎞四方の環濠に囲まれた都城の中には、寺院だけでなく、水路や溜池などの水利施設、古い道などが残されています。しかし、これら遺跡の多くは熱帯の植物に覆われて倒壊の危機に瀕しており、修復・保存への取り組みが国際的協力のもとで進んでいます。
シダーデ・ヴェーリャ、リベイラ・グランデの歴史地区
Cidade Velha, Historic Centre of Ribeira Grande
アフリカ西部セネガルの西方沖合の大西洋に浮かぶ島国カーボ・ヴェルデには、15世紀半ばにポルトガルが建設した植民都市リベイラ・グランデがあります。1494年のスペインとのトルデシリャス条約により、アフリカにおける交易の独占権を得ていたポルトガルはここに交易の拠点として、ヨーロッパ諸国としては初の熱帯地域における植民都市を建設しました。しかし、その交易による富を狙って、他のヨーロッパ諸国から度々攻撃を受けることになり、要塞(サン・フェリペ要塞)も造られました。一方で文化の面では、植民政策や奴隷貿易の拠点であったことから、各地の文化が混ざり合い「クレオール文化」といわれる文化が花開きました。18世紀以降、都市は荒廃し「古い町」という意味のシターデ・ヴェーリャと呼ばれることになります。
シュパイア、ヴォルムス、マインツのユダヤ人共同体(シュム)関連遺産群
ShUM Sites of Speyer, Worms and Mainz
ライン川上流域のシュパイア、ヴォルムス、マインツの3つの都市に残る4つのユダヤ人関連資産が世界遺産として登録されています。これらの3都市にはディアスポラによって離散したユダヤ人のうちドイツや東欧に定住した人々を指す、アシュケナジムのコミュニティが存在していました。世界遺産には、シュパイアのユダヤ人裁判所、ヴォルムスのシナゴーグと旧ユダヤ人墓地、マインツの旧ユダヤ人墓地の4つの資産が登録されています。これらは10世紀以降のユダヤ人共同体の生活を示す貴重な証拠であるとされ、特に11世紀から14世紀にかけてのアシュケナジム特有の慣習の発現と共同体の発展、定住様式などを具体的に反映しています。遺産名に含まれている「シュム(ShUM)」という名称はヘブライ語でシュパイア、ヴォルムス、マインツの頭文字を表しています。
シラクサとパンタリカの岩壁墓地遺跡
Syracuse and the Rocky Necropolis of Pantalica
シチリア島東部の地中海沿岸にあるシラクサは、紀元前8世紀にギリシャのコリントス市が建設した植民都市が起源となります。紀元前5世紀には、アテネに並ぶほどの都市に発展し、ローマの政治家キケロが、「あらゆるギリシャ都市のなかで最も美しい」と讃えました。街には、古代ギリシャ時代につくられ、大聖堂に改築されたアテナ神殿や、15,000人の観客を収容する規模であったギリシャ劇場、そして古代ローマ時代の円形闘技場、要塞などが残されています。この歴史都市は、ビザンティン時代からブルボン王朝までの間に、アラブのイスラム教徒、ノルマン人、ホーエンシュタウフェン朝のフリードリヒ2世、アラゴン王国、両シチリア王国に支配されていて、3,000年にわたる地中海文明の発達を物語っています。
シルク・ロード:長安から天山回廊の交易網
Silk Roads: the Routes Network of Chang'an-Tianshan Corridor