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アル・アインの文化的遺跡群(ハフィート、ヒリ、ビダ・ビント・サウードとオアシス群)
Cultural Sites of Al Ain (Hafit, Hili, Bidaa Bint Saud and Oases Areas)
アル・アハサ・オアシス:進化する文化的景観
Al-Ahsa Oasis, an Evolving Cultural Landscape
アル・ズバラ考古学的地区
Al Zubarah Archaeological Site
ペルシャ湾沿岸の城壁に囲まれた町アル・ズバラは、18世紀後半から19世紀初頭にかけての約50年間という短い期間に真珠採取と貿易の中心地として繁栄しました。クウェート出身のウトゥブ商人によって築かれ、真珠の輸出で大きな役割を果たし、最盛期にはインド洋、アラビア半島、西アジアとの広範な貿易関係が築かれました。アル・ズバラは現在のカタール沿岸部やペルシャ湾岸地域に栄えた要塞化された交易都市の一つであり、イスラム初期あるいはそれ以前から20世紀にかけて続いた沿岸都市の交易と真珠採取の伝統を示す優れた証拠とされています。また、オスマン帝国やヨーロッパ諸国、ペルシャなどの大国の支配を受けることなく繁栄した小さな独立国家群の発展を促し、最終的には現代の湾岸諸国の成立につながった都市基盤の好例と見なされています。
アルト・ドウロのワイン生産地域
Alto Douro Wine Region
アルベロベッロのトゥルッリ
The Trulli of Alberobello
安徽省南部の古村落-西逓・宏村
Ancient Villages in Southern Anhui – Xidi and Hongcun
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
現代人的行動の出現:南アフリカにおける更新世の居住地軍
The Emergence of Modern Human Behaviour: The Pleistocene Occupation Sites of South Africa
古代高句麗王国の都城と古墳群
Capital Cities and Tombs of the Ancient Koguryo Kingdom
サルーム・デルタ
Saloum Delta
サン・ルイスの歴史地区
Historic Centre of São Luís
ジャテツとザーツ・ホップの景観
Žatec and the Landscape of Saaz Hops
城塞歴史都市ハラール・ジュゴル
Harar Jugol, the Fortified Historic Town
城壁都市シバーム
Old Walled City of Shibam
シリア北部の古代集落群
Ancient Villages of Northern Syria
スースの旧市街
Medina of Sousse
蘇州の園林
Classical Gardens of Suzhou
泰山
Mount Taishan
中国東部の山東省にそびえる標高1,535mの泰山は、世界遺産の登録基準(i)から(vii)までの全てを認められている唯一の世界遺産です。東岳の泰山、西岳の崋山(陝西省)、南岳の衡山(湖南省)、北岳の恒山(山西省)、中岳の嵩山(河南省)という中国五岳の筆頭であり、多くの人々の信仰を集める道教の聖地です。『史記』 によると紀元前219年、秦の始皇帝はこの山の山頂で天を、そして山麓で地を祀る 「封禅」という儀式を行いました。これは始皇帝以前に72人の王が行っていた儀式を再現したものであるとされます。前漢(前202~後8年)の7代皇帝の武帝はこの儀式を国家的な祭祀として採用し、清(1636~1912年)の康熙帝まで、歴代の皇帝がこの地で封禅を行いました。
隊商都市ウワダン、シンゲッティ、ティシット、ウワラタ
Ancient Ksour of Ouadane, Chinguetti, Tichitt and Oualata
チャンパネール ‐ パーヴァガドゥ遺跡公園
Champaner-Pavagadh Archaeological Park
ティムリカ・オヒンガの考古遺跡
Thimlich Ohinga Archaeological Site
敦煌の莫高窟
Mogao Caves
バムとその文化的景観
Bam and its Cultural Landscape
イラン南部に位置するバムは、その起源をアケメネス朝ペルシアやパルティア王国時代にまで遡るといわれるオアシス都市です。都市にはカナートと呼ばれる地下水路網が整備され、オアシス都市へと発展をしました。現在も稼働中の国内最古級のカナートが存在します。7世紀以降、数百年にわたり東西交易ルートの中継地として繁栄してきました。中心に立つアルゲ・バムと呼ばれる城塞は壁と二重の内壁をもつ三重構造で、日干しレンガを積み上げてつくられました。紀元前6〜前4世紀頃のアケメネス朝ペルシアに起源を咲かあ登りササン朝ペルシアの時代に建設され、16世紀のサファヴィー朝時代に現在の形になりました。外たやしかし、18世紀にアフガニスタン方面からパシュトゥン人の攻撃を受け、町は放棄されました。
ヒヴァのイチャン・カラ
Itchan Kala
ウズベキスタン、ホラズム地方のアムダリヤ川の南に位置するヒヴァは、16世紀初頭に成立したヒヴァ・ハン国の首都です。この国はウズベク人が興した国であり、隣国のブハラ・ハン国とコーカンド・ハン国で、領土をめぐって激しく争いました。首都ヒヴァは17世紀頃に首都となり、その旧市街で「内城」を意味するイチャン・カラは、二重の城壁で守られています。城壁の影響もあり、保存状態が非常に良いことから、1969年に「博物館都市」に指定されて、今も手厚く保存されています。また、イチャン・カラはヒヴァ・ハン国がこの地を治める以前から栄えており、2,000年以上の歴史を有しています。古来、ペルシア地方に向かうキャラバン達の休息地となっており、オアシス都市としても栄えていました。
ピレネー山脈のペルデュ山
Pyrénées - Mont Perdu
フィリピンのコルディリェーラの棚田群
Rice Terraces of the Philippine Cordilleras
福建土楼群
Fujian Tulou
『福建土楼群』は、中国福建省の約120kmの範囲に点在する、12~20世紀につくられた漢民族客家の伝統的集合住宅です。中庭を囲んだ円形や方形で、外側に設けられた180㎝以上の厚さを持つ土壁は、盗賊の侵入を防ぐ砦としての機能も持ち合わせていました。出入口は基本的に1ヵ所で、下の階には窓がなく、上の階に窓と狭間が設けられています。また消火用の水槽も上の階に設置されていました。1つの土楼には最大800人もの人々が集まって生活し、村のような機能を果たしています。質素な造りの外観に対して、内部は複数の家族が生活しやすいように工夫され、独特な装飾が施されるなど居心地にも配慮されていました。中央には庭があり、その周囲が住宅スペースで、各部屋は同じ大きさで同じ造りで平等に設計された構造になっています。
ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区
Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata
西暦79年、ナポリの東にあるヴェスヴィオ山が大噴火しました。その噴火の火砕流・土石流や火山灰で周辺の古代ローマの都市は壊滅しました。ヴェスヴィオ山の南にあったポンペイの街はそれから千年以上にわたり、火山灰と火山礫に埋もれたままでしたが、16世紀に農民が偶然発見し、18世紀半ばから本格的な発掘が始まりました。ヴェスヴィオ山のすぐ西側にあったヘルクラネウム(現エルコラーノ)も高温の火砕流に襲われた後、火山灰に埋もれました。これらの街で発掘された遺跡から、広場や公共の建築物があり、石で舗装された通りの両側に住宅や店舗が並ぶ古代ローマの街並みを知ることができます。ポンペイ近郊の町トッレ・アヌンツィアータには皇帝ネロの妻ポッパエアの別荘「オプロンティスのヴィラ」が発掘されています。
マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園
The Sassi and the Park of the Rupestrian Churches of Matera
「サッシ」とはイタリア語で岩を意味するサッソ(sasso)の複数形で、ここマテーラにおいては洞窟住居を指します。イタリア南部バジリカータ州のマテーラには深いグラヴィーナ渓谷があり、その石灰岩層に約3,300の洞窟と150以上の岩窟教会が残されています。洞窟住居は約7,000年前から造られ始め、その後屋根等を拡張して居住スペースを広げたものも多く造られるようになりました。しかし、20世紀になって人口が急増し、住環境や衛生状態が悪化したため、1950年代に住民1万5,000人が郊外に強制的に移住させられ、無人の廃墟となってしまいました。近年は世界遺産登録を契機に観光客が増加し、洞窟の5分の1ほどが再利用されているということです。ここには旧石器時代の遺跡もあり、古代からの人々の生活の様相と文化を伝える歴史的価値が高く評価されています。
マプングブエの文化的景観
Mapungubwe Cultural Landscape