1~30件を表示中(全82件中)
アジャンターの石窟寺院群
Ajanta Caves
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)
Via Appia. Regina Viarum
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグタス)
Baptism Site “Bethany Beyond the Jordan” (Al-Maghtas)
イランのアルメニア教会修道院群
Armenian Monastic Ensembles of Iran
イラン北西部、アルメニアとの国境に近い地域にあるアルメニア正教会の修道院と聖堂です。ここは古代アルメニアの土地でした。古代アルメニアは4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を公認した国です(ローマ帝国より30年ほど早いです)。そしてこの地はアルメニア正教の中心地となり、現在でも重要な巡礼地となっています。アルメニア正教の遺構として残っているのが3つの修道院と聖堂です。そのうちの最古のものは7世紀に建てられた「聖タデウス修道院」で、イエスの十二使徒の一人タデイにちなんでいます。「聖ステファノ修道院」と「生神女マリア聖堂」もアルメニアの伝統様式で建てられており、貴重な遺構です。これらの建物は、地震等での倒壊はあったもののその後再建され、この地を支配したイスラム教の王朝からも保護されてきました。
殷墟
Yin Xu
ヴァイマール古典主義文化
Classical Weimar
ヴァルトブルク城
Wartburg Castle
ヴァルトブルク城は、ドイツ中部アイゼナハ市の南の田園地帯の中にある400mほどの高台に建つ城です。その歴史は古く、一説では1067頃に創建されたとの記録もあり、12世紀頃に建てられた城館は、アルプス以北で最も美しく保存状態の良いロマネスク様式の建築のひとつとされています。中世には芸術を愛したテューリンゲン方伯の居城であり、伝説的な歌合戦の舞台として知られ、これを元にリヒャルト・ワーグナーのオペラ『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』を作曲しています。また、ドイツの宗教改革の中心人物として知られるマルティン・ルターが、カトリック教会から破門され罪に問われていた際に、時のザクセン選帝侯にかくまわれ、新約聖書をドイツ語に翻訳した地としても知られています。
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
エローラーの石窟寺院群
Ellora Caves
『エローラーの石窟寺院群』は、5世紀頃から10世紀頃にかけて造営された石窟寺院群です。インドのデカン高原西部の岩山の南西面に約2kmにわたって、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の石窟寺院が34存在します。最初に掘られたのは仏教窟で、5世紀〜8世紀に第1窟から第12窟までつくられました。そのうち第10窟(ヴィシュヴァカルマ窟、「大工の石窟」とも)は最も有名な仏教窟のひとつで、内部には木造を模した高い天井が広がり、仏陀が椅子に座っている様子を表現した仏倚坐像が、仏塔(ストゥーパ)を背にして鎮座しています。このように、石窟寺院の内部に仏塔や仏像を安置して礼拝する祠堂をチャイティヤ窟といいます。仏教窟の最北端に位置する第12窟(ティーン・タル窟)は3層構造でつくられており、仏教窟の中では最も大きな窟です。
オランジュの凱旋門、ローマ劇場とその周辺
Roman Theatre and its Surroundings and the "Triumphal Arch" of Orange
オリンピアの考古遺跡
Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
カスビのブガンダ王国の王墓
Tombs of Buganda Kings at Kasubi
カルタゴの考古遺跡
Archaeological Site of Carthage
フェニキア人によって建設されたカルタゴは、チュニス湾とその周囲の平野を見下ろす丘に位置し、紀元前6世紀から後2世紀ごろにかけて繁栄した広大な考古学的遺跡です。ローマ時代のアフリカ属州の首都として、カルタゴは古代において重要な商業帝国の役割を果たしました。長いポエニ戦争の間、カルタゴはローマの領土を占領しましたが、最終的に146年にローマによって破壊されました。その後、ローマ人が古代都市を、カルタゴの遺跡の上に再建しました。フェニキア、ローマ、キリスト教、アラブ文化が次々と融合し、開花する特別な場所として、この大都市とその港は地中海で広範な交流を促進しました。カルタゴはハンニバルという戦士かつ策略家、探検家ハノン、有名な農学者マゴンを輩出しました。また、その歴史的・文学的な名声を通じて、カルタゴは常に世界的な想像力をかき立ててきました。カルタゴの主要な構成要素には、ビュルサの丘、プニック港、プニック・トフェット、ネクロポリス、劇場、円形劇場、サーカス、住宅地、バシリカ、アントニヌス浴場、マラガ貯水池、そして考古学保護区域が含まれます。
カンチェンジュンガ国立公園
Khangchendzonga National Park
カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と保護熱帯雨林群
Ancient Maya City and Protected Tropical Forests of Calakmul, Campeche
紀伊山地の霊場と参詣道
Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range
キレーネの考古遺跡
Archaeological Site of Cyrene
キレーネの考古遺跡は、リビア北東部にあるギリシャ式の都市の遺跡です。その起源は、エーゲ海のテラ島(現在のサントリーニ島)の人々によって築かれたとされています。言い伝えでは、人口増加や干ばつに苦しんだテラ島の人々が、デルフィで信託を受け、サントリーニ島から船でリビアへ渡り、新天地に都市を建設したといいます。都市名キレーネは、アポロンに愛された泉の女神に由来すると伝えられています。キレーネは地中海貿易の拠点として栄え、アテネやシラクサに次ぐ規模のアクロポリスも築かれました。前4世紀にはアレクサンドロス大王に服属し、その後エジプトのプトレマイオス朝の支配を経て、ローマ帝国の属州となりました。ローマ支配下ではその後、反乱による破壊、ハドリアヌス帝による再建、地震と津波などを経験し、都市は次第に衰退しました。そして7世紀後半、イスラム勢力によって征服され、歴史の舞台から姿を消しました。
京杭大運河
The Grand Canal
ゲベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群
Gebel Barkal and the Sites of the Napatan Region
ナイル川流域には、クシュ王国の文化を物語る重要な遺跡群が広がっています。クシュ王国はアフリカ最古級の黒人国家であり、紀元前900年から前270年にかけて栄えたナパタ文化と、前270年から後350年にかけて栄えたメロエ文化の2つに分かれています。前10世紀にクシュ王国が誕生し、前730年にはピアンキ王がエジプト全域を統治することになります。そこから約70年という長いナパタ王国時代が続きます。遺跡群にはピラミッド付きの墓、寺院、住居、宮殿などが含まれています。これらの遺跡は、古代の建築技術や宗教儀式を今に伝える貴重な証拠となっており、古代文明の深い歴史を感じさせます。また、当時の社会構造を理解するための手がかりとして非常に重要です。
杭州にある西湖の文化的景観
West Lake Cultural Landscape of Hangzhou
古都奈良の文化財
Historic Monuments of Ancient Nara
コナーラクのスーリヤ寺院
Sun Temple, Konârak
サーンチーの仏教遺跡
Buddhist Monuments at Sanchi
インド中部、マディヤプラデーシュ州にある『サーンチーの仏教遺跡』は、高さ約90mの丘の上に、宗教建築が群立しています。約50の遺跡群の中には、3つの大型のストゥーパ(仏塔)や祠堂、僧院など紀元前3世紀~後12世紀までの仏教の遺構が今に残されています。遺跡群はマウリヤ朝第3代の王であるアショーカ王がレンガ積みの小塔を建立したことから始まり、王の石柱と4頭の獅子を組み合わせた柱頭なども発見されています。また、第1ストゥーパはサーンチーを代表する建造物のひとつとして有名です。アショーカ王が各地につくった8万を超すストゥーパのひとつであり最古のもので、直径36.6m、高さ16.5mの大ストゥーパは頂上部を除いてほぼ完全な形で残されていることから、古い仏塔形式の典型として重要視されています。
ザンジバル島のストーン・タウン
Stone Town of Zanzibar
始皇帝陵と兵馬俑坑
Mausoleum of the First Qin Emperor
シャンパーニュの丘陵、醸造所と貯蔵庫
Champagne Hillsides, Houses and Cellars
修道院の島ライヒェナウ
Monastic Island of Reichenau
スイスとの国境に位置するボーデン湖にあるライヒェナウには、724年に創立されたベネディクト会の修道院の痕跡が今も残されています。ライヒェナウ修道院の主聖堂である中修道院には、カロリング期に由来する十字型のバシリカがあり、これはヨーロッパの十字型聖堂の貴重な例となっています。聖マリア・マルコ聖堂はその身廊とつながっており、ヨーロッパにおける文化史の重要な証拠の一つです。下修道院の聖ペテロ・パウロ聖堂の壁画「キリストの栄光」は、ドイツの初期ロマネスク美術の傑作とされています。また、上修道院の聖ゲオルク聖堂では、10世紀から11世紀に描かれたフレスコ画が有名で、アルプス北部において10世紀以前から保存されている風景壁画としては唯一の作品となっています。
シュトルーヴェの測地弧
Struve Geodetic Arc