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アクィレイアの考古地区とバシリカ総主教聖堂
Archaeological Area and the Patriarchal Basilica of Aquileia
アジャンターの石窟寺院群
Ajanta Caves
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂と関連建造物群
Assisi, the Basilica of San Francesco and Other Franciscan Sites
アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)
Via Appia. Regina Viarum
アテネのアクロポリス
Acropolis, Athens
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
アフロディシアス
Aphrodisias
アフロディシアスは、トルコの南西部、モルシナス渓谷の上流にあり、都市遺跡とその北東部にある大理石の採石場で構成されています。古くはレルゴノポリス、メガロポリスと呼ばれていましたが、紀元前2世紀にローマ帝国の支配が強化されたことで、この街は神聖な場所としての重要性を増し、美、愛、自然、豊かさの女神アフロディーテに由来してアフロディシアスの名前が付けられました。街の中心には、女神を祀ったアフロディーテ神殿つくられ、現在も堂々とした14本の柱を見ることができます。発掘調査によると、劇場の壁に書かれた文字に「カエサルから女神アフロディーテに贈った黄金のエロス像」とあることから、カエサルはこの街に来て女神に忠誠を捧げたと考えられています。
アンブヒマンガの丘の王領地
Royal Hill of Ambohimanga
マダガスカル島の首都アンタナナリボ郊外、標高1,468メートルにあるアンブヒマンガの丘は、かつて島を初めて統一したメリナ王国の都でした。二重の城壁と外堀に囲われた王領地には、14の石造りの門があります。歴代の王の墓地、聖なる池や林が点在し、マダガスカルの人々にとってのアイデンティティを象徴する場となっています。アンブヒマンガは、マダガスカル語で〝青く美しい丘〟という意味です。この遺産は、15世紀から19世紀にかけてマダガスカル中央高地で発展した文明や、そこに密接に関わる精神的伝統、さらには王や祖先崇拝などの習俗を今に伝えます。今日も多くのマダガスカル人にとって、畏敬の念を抱かせる神聖な場でありつづけています。
イエス洗礼の地「ヨルダン川対岸のベタニア」(アル・マグタス)
Baptism Site “Bethany Beyond the Jordan” (Al-Maghtas)
イエン・トゥー-ヴィン・ニィエム-コン・ソンおよびキエップバックの記念碑と景観の関連遺産群
Yen Tu-Vinh Nghiem-Con Son, Kiep Bac Complex of Monuments and Landscapes
イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)
Longobards in Italy. Places of the power (568-774 A.D.)
イランのアルメニア教会修道院群
Armenian Monastic Ensembles of Iran
イラン北西部、アルメニアとの国境に近い地域にあるアルメニア正教会の修道院と聖堂です。ここは古代アルメニアの土地でした。古代アルメニアは4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を公認した国です(ローマ帝国より30年ほど早いです)。そしてこの地はアルメニア正教の中心地となり、現在でも重要な巡礼地となっています。アルメニア正教の遺構として残っているのが3つの修道院と聖堂です。そのうちの最古のものは7世紀に建てられた「聖タデウス修道院」で、イエスの十二使徒の一人タデイにちなんでいます。「聖ステファノ修道院」と「生神女マリア聖堂」もアルメニアの伝統様式で建てられており、貴重な遺構です。これらの建物は、地震等での倒壊はあったもののその後再建され、この地を支配したイスラム教の王朝からも保護されてきました。
殷墟
Yin Xu
ヴァイマール古典主義文化
Classical Weimar
ヴァルカモニカ(カモニカ渓谷の岩絵群)
Rock Drawings in Valcamonica
ヴァルトブルク城
Wartburg Castle
ヴァルトブルク城は、ドイツ中部アイゼナハ市の南の田園地帯の中にある400mほどの高台に建つ城です。その歴史は古く、一説では1067頃に創建されたとの記録もあり、12世紀頃に建てられた城館は、アルプス以北で最も美しく保存状態の良いロマネスク様式の建築のひとつとされています。中世には芸術を愛したテューリンゲン方伯の居城であり、伝説的な歌合戦の舞台として知られ、これを元にリヒャルト・ワーグナーのオペラ『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』を作曲しています。また、ドイツの宗教改革の中心人物として知られるマルティン・ルターが、カトリック教会から破門され罪に問われていた際に、時のザクセン選帝侯にかくまわれ、新約聖書をドイツ語に翻訳した地としても知られています。
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
ヴォルビリスの考古遺跡
Archaeological Site of Volubilis
エピダウロスにあるアスクレピオスの聖域
Sanctuary of Asklepios at Epidaurus
エフェソス
Ephesus
エルサレムの旧市街とその城壁群
Old City of Jerusalem and its Walls
西アジアの地中海東岸地域(レバント地方)に位置するエルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教にとってきわめて重要な意味を持つ聖地です。エルサレムの歴史は非常に古く、約6,000年前には人類が居住していた可能性があります。紀元前14世紀の古代エジプトの文書に登場する「ウルサリム」という記述は、エルサレムに関する初めての確実な言及とされています。ウルサリムは西セム諸語の「シャリムの都市」を意味する語に由来し、それが転訛してエルサレムとなったと考えられています。現代アラビア語では「神聖」を意味する語に定冠詞(Al)が付いたAl Quds(アル・クドゥス)と呼ばれます。これはエルサレム神殿のヘブライ語名である「聖なる家」をアラビア語に翻訳したバイト・アル・マクディスという名称が短縮したものとされています。現在、エルサレムは西エルサレムと東エルサレムに分かれており、世界遺産に登録されている旧市街は東エルサレムに位置しています。旧市街は約1km四方の範囲に広がり、周囲を囲う城壁の全長は約4kmあります。城壁はオスマン帝国のスレイマン1世によって再建されたもので、8つの門のうち7つが現在も使用されています。
エローラーの石窟寺院群
Ellora Caves
『エローラーの石窟寺院群』は、5世紀頃から10世紀頃にかけて造営された石窟寺院群です。インドのデカン高原西部の岩山の南西面に約2kmにわたって、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の石窟寺院が34存在します。最初に掘られたのは仏教窟で、5世紀〜8世紀に第1窟から第12窟までつくられました。そのうち第10窟(ヴィシュヴァカルマ窟、「大工の石窟」とも)は最も有名な仏教窟のひとつで、内部には木造を模した高い天井が広がり、仏陀が椅子に座っている様子を表現した仏倚坐像が、仏塔(ストゥーパ)を背にして鎮座しています。このように、石窟寺院の内部に仏塔や仏像を安置して礼拝する祠堂をチャイティヤ窟といいます。仏教窟の最北端に位置する第12窟(ティーン・タル窟)は3層構造でつくられており、仏教窟の中では最も大きな窟です。
円形都市ハトラ
Hatra
オスン-オソボの聖林
Osun-Osogbo Sacred Grove
オランジュの凱旋門、ローマ劇場とその周辺
Roman Theatre and its Surroundings and the "Triumphal Arch" of Orange
オリンピアの考古遺跡
Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
カスビのブガンダ王国の王墓
Tombs of Buganda Kings at Kasubi
カトマンズの谷
Kathmandu Valley
ネパールの首都カトマンズは、標高約1,350mの盆地に位置し、古くからチベットとインドを結ぶ交易と文化の要衝として栄えてきました。仏教とヒンドゥー教が融合することで独特の宗教文化が生まれ、直径約20㎞の範囲内に約900もの歴史的建造物が密集しています。14世紀に確立したマッラ王朝は、15世紀後半に3人の王子がカトマンズ、パタン(ラリトプル)、バクタプル(バドガオン)にそれぞれ王国を築き、栄華を競うように宮殿や寺院、堂塔などを建設しました。これらの建造物には芸術性の高い彫刻が多く見られ、独特の建築や工芸は「ネワール文化」と呼ばれています。3つの王国は18世紀にグルカ王国によって滅ぼされましたが、その後も優れた建築物は造られ続けました。2015年のネパール大地震で大きな被害を受け、現在も修復作業が進められています。
カパック・ニャン:アンデスの道
Qhapaq Ñan, Andean Road System
カルタゴの考古遺跡
Archaeological Site of Carthage
フェニキア人によって建設されたカルタゴは、チュニス湾とその周囲の平野を見下ろす丘に位置し、紀元前6世紀から後2世紀ごろにかけて繁栄した広大な考古学的遺跡です。ローマ時代のアフリカ属州の首都として、カルタゴは古代において重要な商業帝国の役割を果たしました。長いポエニ戦争の間、カルタゴはローマの領土を占領しましたが、最終的に146年にローマによって破壊されました。その後、ローマ人が古代都市を、カルタゴの遺跡の上に再建しました。フェニキア、ローマ、キリスト教、アラブ文化が次々と融合し、開花する特別な場所として、この大都市とその港は地中海で広範な交流を促進しました。カルタゴはハンニバルという戦士かつ策略家、探検家ハノン、有名な農学者マゴンを輩出しました。また、その歴史的・文学的な名声を通じて、カルタゴは常に世界的な想像力をかき立ててきました。カルタゴの主要な構成要素には、ビュルサの丘、プニック港、プニック・トフェット、ネクロポリス、劇場、円形劇場、サーカス、住宅地、バシリカ、アントニヌス浴場、マラガ貯水池、そして考古学保護区域が含まれます。
カンチェンジュンガ国立公園
Khangchendzonga National Park