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アユタヤの歴史都市
Historic City of Ayutthaya
タイ中部のアユタヤ県に位置する『アユタヤの歴史都市』は、約400年間にわたるアユタヤ王朝の繁栄を象徴する遺産です。アユタヤは1350年に建設され、15世紀にはアンコール朝を滅ぼしてスコータイを併合し、強大な王朝を築きました。この地域は3つの川に囲まれた恵まれた立地にあり、外交や商業が急速に発展していきました。また、シャム湾の潮汐波より高い場所に位置しているため、海上軍艦による攻撃を防ぐことができました。こうした戦略的な位置を活用することで、アユタヤは繁栄を続け、アユタヤ王朝第2の都市として中心的存在となりました。しかし、1767年にビルマ軍による攻撃を受け、アユタヤは壊滅的な被害を受けます。その後は再建されることなく、広大な考古学的遺跡としてその歴史が語り継がれています。遺跡にはプラ・プラーン様式という、砲弾状の高い塔堂を特徴とした建築様式がみられるのも特徴的です。
コモド国立公園
Komodo National Park
シャーク湾
Shark Bay, Western Australia
スオメンリンナ要塞
Fortress of Suomenlinna
スクレの歴史都市
Historic City of Sucre
スコータイと周辺の歴史地区
Historic Town of Sukhothai and Associated Historic Towns
ドナウ・デルタ
Danube Delta
ドロットニングホルムの王領地
Royal Domain of Drottningholm
ストックホルムの西、メーラレン湖に浮かぶローヴェン島にある『ドロットニングホルムの王領地』は、17〜18世紀に建設されたスウェーデン王家の宮殿を含む建造物群です。「ドロットニングホルム」とは「王妃(女王)の小島」を意味し、その名の通り歴代のスウェーデン王妃と深いかかわりをもっています。この地には16世紀末に王妃カタリーナ・ヤーゲロニカのために建てられた夏の離宮が存在していましたが、後に焼失してしまいます。その後、1661年に王妃ヘドヴィーク・エレオノーラが建築家ニコデムス・テッシンに再建を依頼し、テッシンの息子に工事は引き継がれました。建設はおよそ100年にわたって続けられ、バロック様式の宮殿と庭園が完成しました。
パリのセーヌ河岸
Paris, Banks of the Seine
プランバナンの寺院群
Prambanan Temple Compounds
ボロブドゥールの仏教寺院群
Borobudur Temple Compounds
『ボロブドゥールの仏教寺院群』は、ジャワ島中部にある仏教の石造遺跡群です。8〜9世紀にかけてシャイレンドラ朝によって建設されました。インドから伝播した仏教の流れは、主に東南アジア方面で広まった「上座部仏教」と、中国経由で日本にも伝わってきた「大乗仏教」に大別されますが、この遺産は大乗仏教の寺院遺跡です。王朝がわずか100年で滅亡すると、近くにあるムラピ山の火山灰に埋もれ、植物に覆われて忘れ去られていきました。それから約1,000年後の1814年、英国のジャワ総督代理とオランダ人技師により、密林の中から「発見」されました。最大規模のボロブドゥール寺院、ムンドゥー寺院とパウォン寺院から構成され、3つの寺院はほぼ東西一直線に並んでいます。
ラウマの旧市街
Old Rauma
ラホール城とシャーラマール庭園
Fort and Shalamar Gardens in Lahore
ラホールはパキスタン北東部、インドの国境付近にある都市で、ムガル帝国第3代皇帝のアクバル(在位:1542~1605)はこの地に都を置き、11世紀以前から伝わる城砦を再建する形で現在のラホール城を築きました。彼は焼成レンガと赤砂岩を特徴的に用いて、謁見の間であった「ハーネ・ハース・オ・アーム」などの象徴的な施設を建造しました。次代のジャハーンギール(在位:1605~1627)は、アクバルが着工した広大な北側の中庭を完成させると主に、砦の北壁や北西壁に装飾を施しました。さらに次代のシャー・ジャハーン(在位:1627~58)は、白大理石をふんだんに用いた「真珠のモスク」や謁見の間「ディーワーネ・アーム」、世界で最も美しい宮殿の一つとも言われる「シーシュ・マハル」などの豪奢な建造物を築いています。これらの建造物はムガル帝国の建築様式の優れた見本を構成しています。
ランギリ・ダンブッラの石窟寺院
Rangiri Dambulla Cave Temple
ランスのノートル・ダム大聖堂、サン・レミ旧修道院、トー宮
Cathedral of Notre-Dame, Former Abbey of Saint-Rémi and Palace of Tau, Reims
ランスが大きく発展したのは、496年頃にフランク王国のクローヴィス1世がこの地でキリスト教カトリックの洗礼を受けたことがきっかけです。クローヴィスはゲルマン人のフランク族を統一すると、481年にフランク王国メロヴィング朝をひらきました。彼はゲルマン人のアレマン族との戦いで、イエス・キリストが勝利に導いてくれたら洗礼を受けると天に誓います。そうして見事勝利を収めたため、王妃や約3,000人のフランク族の兵士と一緒に洗礼を受けました。このことは、カトリック教会がフランク王国という強い後ろ盾を得たことを意味しました。この時、クローヴィスに洗礼を与えたのが聖レミギウス(サン・レミ)だと伝わります。その後、1825年のシャルル10世まで32人の王がランスで戴冠式を行い、そのうち25人の王が現在のノートル・ダム大聖堂で戴冠式を行いました。