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ヴルコリニェツの伝統的集落
Vlkolínec
エル・ビスカイノ鯨保護区
Whale Sanctuary of El Vizcaino
エンゲルスベリの製鉄所
Engelsberg Ironworks
スウェーデン、ヴェストマンランド地方にある『エンゲルスベリの製鉄所』は、17~19世紀にかけてスウェーデンの鉄鋼産業に多大な影響を残しました。ここは、スウェーデンの基幹産業が、鉄鉱石の採掘、製鉄となるに至る歴史を伝える場所です。12世紀に農業活動を補うために、この地で鉄鉱石の採掘、製錬のための工場建設が始まりました。そして18世紀末には、鉱石粉砕機や炭貯蔵庫、そして現在も残る高炉などが当時の最新技術で導入され、生産量が大幅に増加します。しかし、技術の進歩に追いつけず、最終的には1919年に操業を停止しました。現在では高炉の他に、検査官の家や庭師の家、工場主の木造家屋など50軒以上の建物がほぼ完全な形で保存されています。
コロとその港
Coro and its Port
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道
Routes of Santiago de Compostela: Camino Franc?s and Routes of Northern Spain
「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」は、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラにある聖ヤコブの棺を目指す、キリスト教の巡礼路です。1993年に、ピレネー山脈からスペイン北部を東西に貫く巡礼路が、世界遺産に登録されました。「サンティアゴ」とは、スペイン語で、キリスト教の使徒のひとりである聖ヤコブのこと。聖ヤコブがスペインにおいて福音を説いたという伝説は、7世紀初頭には存在していました。「使徒の休む場所は、福音を説いた場所にあるべきである」という聖ヒエロニムスの教えがあることから、聖ヤコブの遺体は、殉教地のエルサレムからスペインに移送されたと信じられていました。9世紀に聖ヤコブの墓が発見されると、この報せが西ヨーロッパの各地に広がり、サンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、ヴァティカンに次ぐ聖地としてカトリック世界に定着していきました。
白神山地
Shirakami-Sanchi
デリーのクトゥブ・ミナールとその関連施設
Qutb Minar and its Monuments, Delhi
デリーのフマユーン廟
Humayun's Tomb, Delhi
パラナ川沿いのイエズス会布教施設群:ラ・サンティシマ・トリニダ・デ・パラナとヘスス・デ・タバランゲ
Jesuit Missions of La Santísima Trinidad de Paraná and Jesús de Tavarangue
パラグアイは、周囲をアルゼンチン、ブラジル、ボリビアに囲まれた内陸国です。同国の南部、ラプラタ川の源流のひとつバラナ川北岸に残るミッションは、イエズス会修道士たちが先住民のグアラニ人とともに暮らしたレドゥクシオンの跡です。グアラニ人は、南アメリカの先住民族の一つで、主にパラナ川からパラグアイ川にかけての地域に住んでいました。レドゥクシオンとは、16世紀以降南アメリカで、イエズス会が、先住民をキリスト教化するために設置した大規模集落のことです。ここでの農業と工芸は大きな利益をあげ、一帯は「パラグアイのイエズス会国家」と呼ばれました。 1609年にスペイン王がパラグアイの国境地帯をイエズス会に譲渡し、バラナ川流域にイエズス会伝道団ごとに30ヵ所のレドゥクシオンが築かれたことから始まります。最古の歴史を持つサン・コスメ・イ・ダミアンでは学校や墓地、住居、日時計などの遺構が残っています。タパランゲには、広場を中心に建物が建設される教化集落特有の市街地があります。約4,000人が暮らしたとされるラ・サンティシマ・トリニダ・デ・パラナは、最も熱心に伝道に取り組んだ場所で、パラナ川流域の伝道の中心地でした。イエズス会の建築家フアン・バウティスタ・プリモーリの設計したラ・サンティシマ・トリニダ聖堂は、1706年に築かれ、キリスト教の聖堂建築とグアラニ人の装飾芸術が融合したものとなっています。
バンスカー・シチアウニツァの鉱山都市と近隣の技術遺産
Historic Town of Banská Štiavnica and the Technical Monuments in its Vicinity
姫路城
Himeji-jo
フィリピンのバロック様式の教会群
Baroque Churches of the Philippines
フエの歴史的建造物群
Complex of Hué Monuments
ブハラの歴史地区
Historic Centre of Bukhara
ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群
Brú na Bóinne - Archaeological Ensemble of the Bend of the Boyne
『ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群』は、アイルランドに現存する最大の先史遺跡であり、首都ダブリンの北約40km、ボーニャ川とマトック川に挟まれた尾根に位置しています。現在は主に農地として利用されているこの地域は、100年以上にわたり考古学者や歴史学者によって広範囲に調査され、多くの特徴が発掘調査によって明らかになってきました。遺産は、ニューグレンジ、ノウス、ダウスの3カ所にある大型石室墓と、点在する40以上の古墳で構成されています。これらの古墳群は、古代における重要な儀式の中心地であったと考えられているほか、鉄器時代、初期キリスト教時代、中世といった後の時代にも遺跡が築かれており、極めて重要な歴史的価値を有しています。
法隆寺地域の仏教建造物群
Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area
『法隆寺地域の仏教建造物群』は、法隆寺に属する47棟と法起寺の三重塔1棟の合計48棟で構成されています。法隆寺西院の金堂、五重塔、中門、回廊、法起寺三重塔など、7世紀後半から8世紀にかけて建立された11棟の建造物は、現存する世界最古級の木造建造物です。中国の優れた政治や文化、仏教を積極的に取り入れていた厩戸王(聖徳太子)は、601年に斑鳩宮を築き、推古天皇と共に移り住みました。そして、その西に607年頃、若草伽藍(斑鳩寺)を建立しました。これが法隆寺の起源とされています。同じ頃に中宮寺や岡本宮(法起寺)も建立され、斑鳩伽藍群が完成したと考えられています。622年に厩戸王が没すると、643年には蘇我入鹿の兵によって斑鳩宮が焼き払われ、斑鳩寺も670年に焼失しました。若草伽藍の遺構は、法隆寺境内の地下に「若草伽藍跡」として残されています。現在の法隆寺は、7世紀後半から8世紀初頭にかけて、現在の法隆寺西院の位置に再建されたものです。
モルドヴァ地方の教会群
Churches of Moldavia
屋久島
Yakushima
屋久島は、九州本土の最南端から約60kmの洋上に位置する、周囲約132㎞、東西約28km、南北約24kmのほぼ円形の島です。東京都の23区ほどの小さな島には、標高1,936mの宮之浦岳をはじめ、標高1,800mを超える山が7座、1,000m以上の山が46座も連なっています。このような山々の存在から、「洋上のアルプス」と呼ばれています。屋久島は、亜熱帯の北限にあたる北緯30度付近に位置しているため、標高が上がるにつれて植生が大きく変化します。海岸部には亜熱帯性植物を含む海岸植生が見られ、山地には温帯雨林、山頂付近には冷温帯性のササ草地や高層湿原が広がるなど、垂直方向の植生分布が見られる点が非常に貴重です。このように、小さな島の中に日本の自然植生が凝縮されており、地球上でも極めて稀な例とされています。
要塞教会のあるトランシルヴァニアの村落
Villages with Fortified Churches in Transylvania
ルーマニアの首都ブカレストの北西約220㎞、カルパティア山脈に囲まれたトランシルヴァニア地方にある7つの村が世界遺産として登録されています。12~13世紀、トランシルヴァニアに入植した「ザクセン人(ドイツ人)」は集落を築き、自身の財産と村を守るために要塞教会を設置しました。戦時にはここが軍事拠点となり、教会の内部には倉庫を置いて、長期の攻撃にも耐えられる工夫がありました。このような要塞教会をもつ集落は、トランシルヴァニア地方に250ほど築かれた歴史があります。そのうち、ビエルタン、プレジュメル、ビスクリ、ドゥルジウ、サスキズ、クルニク、バレア・ビイロルの7つの村は、13~16世紀の建築様式を残し、村の様子は中世以来の生活を今に伝えています。
レヴォチャ、スピシュ城と関連する文化的建造物群
Levoča, Spišský Hrad and the Associated Cultural Monuments