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17世紀ポート・ロイヤルの考古学的遺跡群
The Archaeological Ensemble of 17th Century Port Royal
ジャマイカ南東部、キングストンハーバーの河口に位置する『17世紀ポート・ロイヤルの考古学的遺跡群』はかつて栄えた奴隷貿易の重要拠点でした。17世紀にイギリス人入植者によって築かれた都市集落は整った方形の区画で分けられており、通りにはロンドンにある通りと同じ名前が付けられました。また、海賊の本拠地でもあり「キリスト教世界で最も邪悪な都市」とも呼ばれていました。しかし、1962年の地震によって大きな被害を受け、街の大部分が崩壊・水没してしまいます。街にはこの地が奴隷貿易の拠点であったことを示す港や6つの砦など要塞の遺構も存在していますが、その一部は水没したままとなっています。しかし、この残された遺構が重要な考古学的証拠となり、17世紀のアメリカ大陸におけるイギリス植民地時代の存在を今日も物語っています。
キューバ南東部におけるコーヒー農園発祥地の景観
Archaeological Landscape of the First Coffee Plantations in the South-East of Cuba
キューバがスペインの植民地だった19世紀につくられた、初めてのコーヒー農園の跡です。世界遺産に登録された範囲は、東京23区の総面積の約1.3倍の814.75㎢にもおよびます。171のプランテーションからなる広大な敷地には、所有者の家、水道橋、製粉所、発酵タンク、乾燥小屋のほか、加工したコーヒー豆を市場に運ぶための道路なども含まれ、開拓当時のコーヒー生産と、農業技術を示す文化的景観が残されています。コーヒー農園は20世紀まで続けられましたが、他国の新しい生産の手法におされ、やがてキューバでの生産は衰退していきました。現在は、農園のオーナーの屋敷跡や農園跡地が点在しています。19世紀に本格化したコーヒー農園の経営は、原生林を開拓した当時の農業形態を今に伝える世界で唯一の遺構とされています。
グランマ号上陸記念国立公園
Desembarco del Granma National Park
グランマ号上陸記念国立公園は、キューバの南東部、シエラ・マエストラ山脈西側部分に位置する国立公園です。「グランマ号」はキューバの革命家フィデル・カストロが乗っていたヨットの名前で、グランマ号が上陸した岬があることが園名の由来となっています。この場所には、海上360mから海中180mに及ぶ石灰岩の海岸段丘が完全な形で残ります。海岸段丘とは、その名の通り海岸に沿って見られる階段状の地形のことです。地殻変動による隆起や海水面の低下によって、海面付近の浅く平らな海底が陸地となることが繰り返されて形成されます。この地域では、サンゴ礁由来の石灰岩が隆起して海岸段丘となり、その後の風化や溶食でカルスト地形が発達しました。最大100mの段丘崖を含む手つかずの景観や、直径77mのドリーネ(巨大な陥没穴)といった壮大なカルスト地形などが残ります。
ココス島国立公園
Cocos Island National Park
コパンのマヤ遺跡
Maya Site of Copan
サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城
San Pedro de la Roca Castle, Santiago de Cuba
1588年、無敵艦隊を有していたスペインは、イギリスとのアルマダ海戦で歴史的大敗を経験します。それまで海上で圧倒的優位を誇っていましたが、この敗北を機に両国の軍事バランスは逆転します。その影響はカリブ海にも波及し、スペイン王フェリペ2世による植民地防衛強化策の一環として、1590年~1610年にキューバ東部の拠点であるサンティアゴ・デ・クーバ湾口の岬(スペイン語で「モロ」)に三角堡(ラヴリン)と砲台が建設されました。17世紀にイギリスがアメリカ大陸で植民地政策の展開を進め、スペインと対立が深まる中で、サンティアゴ・デ・クーバの総督ペドロ・デ・ラ・ロカ・イ・ボルハは、既存の三角堡の地に石造要塞の建設を開始しました。この要塞建築にはイタリアの軍事建築家フアン・バウティスタ・アントネッリも参加したので、ルネサンス様式を基本とした堅牢さと機能美を備えた要塞が建てられました。それが、断崖上に建設されたサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城です。城の名前は総督に由来しています。
シエンフエゴスの歴史地区
Urban Historic Centre of Cienfuegos
植民都市サント・ドミンゴ
Colonial City of Santo Domingo
カリブ海に浮かぶ島国ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴは、1492年にクリストファー・コロンブスが到着してから、新大陸最古のスペイン植民地政策の活動拠点となった都市です。都市は1498年にコロンブスの弟バーソロミュー・コロンブスによって築かれました。マヨール広場を中心に格子状に街路が交わる配置は、その後の新世界における都市計画に影響を与えました。代表的な建築物には、16世紀初めに完成した新大陸最古の病院サン・ニコラス・デ・パリ病院があります。新大陸最古の大聖堂であるサンタ・マリア・ラ・メノール大聖堂はゴシック様式とルネサンス様式の特徴を併せ持っています。コロンブスの遺骨を納めた棺が安置されていましたが、1992年にコロンブス記念灯台に移されました。
ティカル国立公園
Tikal National Park
グアテマラの北部の密林にあるティカル国立公園には、ユカタン半島で興ったマヤ文明の最大級の都市遺跡が残っています。1696年にスペイン人によって発見されたこの都市は、当時ローマ帝国の遺跡と間違えられた程。また、マヤ文字が解読されていなかったので詳しいことはわかりませんでした。ところが19世紀半ばのアメリカの外交官、ジョン・ロイド・ステファンズの徹底的な調査の結果、これらはローマ帝国の遺跡ではなく、先住民の祖先が築いたものだということがわかり始めました。さらに1950年代後半にマヤ文字の解読が進むと、強大な権力をもつ王のもと、周辺国家と戦争や政略結婚を繰り返し、交易で繁栄した都市国家であったということが判明しました。少なくとも33人の王がいたとされ、王の遺体なども発見されています。
ディキスの石球のある先コロンブス期の首長制集落群
Precolumbian chiefdom settlements with stone spheres of the Diquís
トリニダとロス・インヘニオス渓谷
Trinidad and the Valley de los Ingenios
キューバではスペイン人の入植とほぼ同時にサトウキビ栽培や製糖が始まりましたが、18世紀末に「砂糖革命」が起き、この産業は大規模産業へと発展します。その中心的な存在となったのがトリニダ近郊に広がる肥沃な盆地でした。ロス・インヘニオスとは「砂糖工場」という意味であり、まさしくこの渓谷に56もの砂糖工場が存在したと言われています。砂糖によって巨万の富を得た農園主の一部は、現在の首都であるハバナに豪華な邸宅を建て不在地主となるのですが、トリニダに残った農園主もそれに対抗するように、トリニダに豪華な宮殿を建てるようになりました。その結果、ブルネート邸やカンテロ邸のようなバロック様式の館が中心広場の周辺にいくつも並びました。
ハイチの国立歴史公園:シタデル、サン・スーシ宮、ラミエ地区
National History Park – Citadel, Sans Souci, Ramiers
ハイチ北部にあるラミエの国立歴史公園には、ハイチの独立に関連するシタデルとサン・ スーシ宮が残っています。17世紀末からフランス統治下のハイチでは、50万人もの黒人奴隷がいましたが、 その後奴隷が解放され、ハイチは1804年に独立しました。独立運動の指導者ジャン・ジャック・デサリーヌを倒して権力を握った黒人将軍アンリ・クリストフは、その権威の象徴としてヴェルサイユ宮殿を模したサン・スーシ宮を建設しました。ポツダムやウィーンのものを彷彿とさせる階段状の庭園も特徴です。背後のラ・フェリエール山 にあるシタデルは、高さ50m、厚さ5mもの城壁を持ち、約5,000人を収容できる兵舎と365もの大砲を備えていた城塞です。現在はどちらも廃墟となっています。ハイチ唯一の世界遺産です(2025年11月現在)。
ハバナの旧市街と要塞群
Old Havana and its Fortification System
この地にスペイン人が入ってきたのは、1492年のコロンブスのキューバ上陸の頃です。彼は約40日間に渡りキューバを探検しましたが、彼は亡くなるまでこの地をアジアと思っていました。その後、この地はアジアではなく一つの島であることが判明し、1511年、ディエゴ・ベラスケスがキューバを征服してからは、キューバに居住区が次々と建設されていきます。しかし、16世紀まではまだまだ街といえるほどのものではなく、街が発展していくのは17世紀に入ってからです。徐々に発展し、バロック様式とイスラームの要素を取り入れたスペインのムデハル様式が合体したスペイン・バロック様式が採用されていき、後述する要塞と合わせて、ヨーロッパの世界観を醸し出す市街が形成されていくのです。
ピトンズ管理地区
Pitons Management Area
ビニャーレス渓谷
Viñales Valley
ブリムストーン・ヒル要塞国立公園
Brimstone Hill Fortress National Park
カリブ海のセント・キッツ島にあるブリムストーン・ヒル要塞は、17~18世紀のイギリスの軍事建設として、典型的な要塞です。英国軍の設計に基づき、アフリカ人奴隷によって建設され、100年以上の建築期間を経て巨大な要塞となりました。この要塞は、高さ230mの2つの峰を持つ火山丘の地形を利用して、沿岸防衛と市民の避難場所として機能しました。セント・キッツ島は、ヨーロッパ人(特にフランス人とイギリス人)によって植民地化された最初の西インド諸島として、この地域の覇権をめぐる戦いの舞台でした。ブリムストーン・ヒルがヨーロッパ人の軍事目的に使われたのは、1690年にイギリス人がフランス人を追い出すために大砲を設置したのが始まりです。1853年に英国軍が撤退した後も多くの遺構が残されており、植民地時代の歴史と軍事建築の発展を物語る貴重な遺産です。
ベリーズ・バリア・リーフ自然保護区
Belize Barrier Reef Reserve System
モルヌ・トロワ・ピトン国立公園
Morne Trois Pitons National Park
リオ・プラタノ生物圏保存地域
Río Plátano Biosphere Reserve
歴史都市ブリッジタウンとその要塞
Historic Bridgetown and its Garrison