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アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋
Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge
アミアンの大聖堂
Amiens Cathedral
アルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟:ショーヴェ・ポン・ダルク洞窟
Decorated cave of Pont d’Arc, known as Grotte Chauvet-Pont d’Arc, Ardèche
アルルのローマ遺跡とロマネスク建築
Arles, Roman and Romanesque Monuments
フランス南部のプロヴァンス地方に位置するアルルは、ローヌ川のデルタ地帯の始まり場所とされ、旧市街のすぐ脇をローヌ川が流れています。この地中海からも近いアルルが重要な都市となったのは、古代ローマが紀元前123年にこの地を占領して都市の整備を行ってからです。前104年には地中海につながる運河が築かれたほか、紀元前90年頃から円形闘技場やローマ劇場、地下回廊なども築かれ、軍事と貿易の両方で重要な拠点として都市が拡大しました。世界遺産には、こうした古代とロマネスクの時代から受け継がれてきた建造物や街並み、街路などの構造が中世ヨーロッパにうまく適応していったことが評価され、旧市街の街並みがエリアで登録されました。
ヴェズレーの教会と丘
Vézelay, Church and Hill
ヴェゼール渓谷の装飾洞窟と先史遺跡
Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Vézère Valley
ヴェルサイユ宮殿と庭園
Palace and Park of Versailles
ヴォーバンによる要塞建築群
Fortifications of Vauban
オランジュの凱旋門、ローマ劇場とその周辺
Roman Theatre and its Surroundings and the "Triumphal Arch" of Orange
カルカッソンヌの歴史的城塞都市
Historic Fortified City of Carcassonne
カルカソンヌの都市は、オクシタニー地方のオード県の大西洋と地中海を結ぶ歴史的な交通路に位置し、オード川の流れを見下ろす岩の上に立っています。ローマ以前の時代から、この丘には要塞が築かれてきました。現在の姿は、主に13世紀に開発された大規模な防御システムを備えた中世の城塞都市の傑出した例です。この防御システムには、住居、通り、壮麗なゴシック様式の大聖堂、城、及びそれに関連する主要な建築物を取り囲む二重の囲いが含まれています。内側の城壁には26の円形塔、外側の城壁には19の円形塔があり、囲いは堀に囲まれ、中世都市への主要な二つの入口であるナルボネーズ門とロード門は特に精巧な構造をしています。12世紀の伯爵の城及び関連する主要建築物はローマ城壁の西側部分に建設されました。聖ナゼールと聖セルスに捧げられたバシリカは、とび梁(フライング・バットレス)がなく、内部のヴォールト構造によって安定性が確保されています。カルカソンヌがその特別な重要性を持つのは、1853年から1879年まで行われた近代保存科学の創設者の一人、ヴィオレ=ル=デュクによる長い修復プロジェクトのおかげでもあります。
カルナックとモルビアン沿岸の巨石群
Megaliths of Carnac and of the shores of Morbihan
カルパティア山脈と他のヨーロッパ地域のブナ原生林
Ancient and Primeval Beech Forests of the Carpathians and Other Regions of Europe
ヨーロッパの広範囲に広がる10種のブナ原生林は、氷河期後期からの生物進化やブナの分化の過程が知れる貴重な遺産です。ブナの他にもヨーロッパナラをはじめ、絶滅の危機に瀕した80種を含む1,067種の植物や101種の鳥類、73種の哺乳類などが登録地に生息しています。また、広大な森林には、IUCNのレッドリストにも記載されているキンメフクロウも生息しています。2007年にスロバキアとウクライナの世界遺産として登録されましたが、その後、登録範囲が順次拡大されていきました。この地のブナ原生林は、現存するヨーロッパブナ(ファグス・シルヴァティカ)の原生林として世界最大であり、その中には世界最樹高のブナの標木も含まれています。
コースとセヴェンヌ:地中海性農業牧草地の文化的景観
The Causses and the Cévennes, Mediterranean agro-pastoral Cultural Landscape
コルドゥアン灯台
Cordouan Lighthouse
コルドゥアン灯台は、大西洋のジロンド河口にある浅い岩礁の上に立ち、非常に過酷で外洋にさらされた環境に立っています。16世紀末から17世紀初頭にかけて、技師ルイ・ド・フォワによって設計され、18世紀後半にはジョゼフ・トゥレールによって改修されました。石灰岩の切石で造られた壮麗な塔は、ピラスター(付柱)、円柱、軒持送り(モディリオン)、ガーゴイルなどで装飾されており、海抜67mまで8層にわたってそびえています。16世紀と18世紀の二度にわたる建設によって、技術的な機能が強化され、海上信号の傑作であり、現在も使用されている現役の灯台です。華麗な姿から「海のヴェルサイユ」とも呼ばれています。建築形態は、古代様式やルネサンス期のマニエリスム、またフランスの技術者要請期間である土木技術学校の独特の建築様式の影響を受けています。
サラン・レ・バン大製塩所からアルケ・スナン王立製塩所までの天日塩生産所
From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the Production of Open-pan Salt
サン・サヴァン・シュール・ガルタンプの修道院教会
Abbey Church of Saint-Savin sur Gartempe
フランス西部、現在のヌーヴェル・アキテーヌ地域圏に位置するサン・サヴァン・シュール・ガルタンプの修道院教会は、11世紀末から12世紀初頭にかけて制作された大規模な壁画装飾で知られています。修道院の起源については、伝承によるとカロリング朝のカール大帝の時代に遡り、西方修道制の改革者として知られるアニアヌのベネディクトゥスによって創建、あるいは再興されたと伝わります。9世紀ごろには修道院の勢力は拡大し、地域のキリスト教化において重要な役割を果たす存在となりました。現在見られるロマネスク様式の教会は11世紀に再建されたもので、宗教戦争後の17世紀後半には修道院の大規模な再建プロジェクトが実施されました。この修道院教会の名声は、とりわけ11世紀末から12世紀初頭にかけて制作された、壁画装飾によって確立されたものと言えるでしょう。
サン・テミリオン地域
Jurisdiction of Saint-Emilion
司教座都市アルビ
Episcopal city of Albi
フランス南西部にある『アルビの旧市街』は、13世紀にキリスト教の異端とされたカタリ派(アルビジョワ派)の拠点の一つでした。当時、ヨーロッパでは十字軍運動が展開されており、フランス王フィリップ2世が、1209年に教皇庁の支持のもと、カタリ派を撃破するために「アルビジョワ十字軍」を結成しました。カタリとは「清純者」を意味し、ペルシア起源のマニ教の影響を受けた思想を持っていました。彼らは過激に教会制度を批判したため、異端とみなされたのです。カタリ派は1229年のルイ9世の時に殲滅させられてしまい、この地はカトリック教会が支配する司教座都市となりました。司教座都市とは、キリスト教の大司教や司教が置かれた都市のことであり、宗教・政治的に重要な地位を占めました。
シャルトルの大聖堂
Chartres Cathedral
シャルトル大聖堂は、13世紀初頭の宗教建築の中でも最も完全で、中世西ヨーロッパで最も人気のあった聖母マリアへの巡礼地として知られています。その建築と装飾の統一性、フランスを代表するゴシック建築であること、中世キリスト教美術に及ぼした巨大な影響により、シャルトル大聖堂は中世建築史における重要なランドマークとして位置づけられています。特に、12世紀と13世紀の際立ったステンドグラス群、記念碑的な彫刻は、シャルトル大聖堂をゴシック美術の中でも最も素晴らしく、最も保存状態の良い例の一つとしています。シャルトル大聖堂は1210年から1250年にかけて製作されたステンドグラスの窓の統一された装飾をほぼ完全に保存しています。これに加えて、王室の玄関の上に12世紀の3つのステンドグラスの窓、そして13世紀の3つのファサードに施された大きなバラ窓があります。これら3つのファサードの大きなバラ窓はそれぞれ西側が「最後の審判」、北側が「聖母の栄光」、そして南側が「キリストの栄光」と呼ばれています。
シャンパーニュの丘陵、醸造所と貯蔵庫
Champagne Hillsides, Houses and Cellars
ストラスブール:グラン・ディルからヌースタットのヨーロッパの都市景観
Strasbourg, Grande-Île and Neustadt
第一次世界大戦(西部戦線)の慰霊と記憶の場
Funerary and memory sites of the First World War (Western Front)
1914年から1918年に、人類史上最初の世界大戦がありました。第一次世界大戦はイギリス・フランス・ロシアを軸とする連合国側と、ドイツ・オーストリアを軸とする同盟国側が衝突した戦争です。この戦争は、主にヨーロッパで展開されましたが、多くの植民地の人たちが徴兵されたことからも、世界大戦の性質を帯びています。また、これまでの戦争は、戦場における兵士たちが戦うという設定でしたが、この戦争では先述した植民地の人たちが徴兵されたり、各国の経済力・工業力・技術力、そして武器工場に従事する女性を含めた国民の全体が戦争に動員されたため、「総力戦」とも呼ばれています。以上のことから、誰もがすぐに終わると考えていたこの戦争は、実に四年間にわたり繰り広げられ、非常に多くの戦死者を出しました。
タプタプアテア
Taputapuātea
テ・ヘヌア・エナタ:マルケサス諸島
Te Henua Enata – The Marquesas Islands
ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場
Place Stanislas, Place de la Carrière and Place d'Alliance in Nancy
ニース:リヴィエラの冬のリゾート都市
Nice, Winter Resort Town of the Riviera
地中海沿岸、アルプス山脈の麓に位置するニースは、その温暖な気候と、海と山に挟まれた美しい自然環境を活かし、18世紀半ば頃から冬のリゾート地として発展してきました。とりわけイギリスから訪れた貴族階級の家族に人気を集め、冬の避寒地として定着していきました。その後の約1世紀にわたり、滞在者の増加と社会的・文化的な多様性が、旧市街周辺での新たな都市区画の段階的な開発を促進しました。こうした冬の訪問者による影響に加え、気候や風景を最大限に活かそうとする意識が都市計画や建築様式に反映され、ニースは国際的な冬のリゾート都市としての地位を確立していきます。また、1860年までサルデーニャ王国に属していたこと、さらに欧州各地や世界中からの旅行者の流入により、ニースは特に建築の分野において、多様な文化的影響が交差する場ともなりました。
ニームのメゾン・カレ
The Maison Carrée of Nîmes
長らく共和政を行なっていたローマは「内乱の1世紀」を経て、紀元前27年、皇帝が政治を行うローマ帝国となりました。その初代皇帝となったのがオクタウィアヌスであり、彼は貴族の会議である元老院から「アウグストゥス(尊厳者)」の称号をもらい、伝統的な共和政を維持しながらも実質的には専制政治を行う元首政を展開していきました。現在のニーム市にあるメゾン・カレはフランス語で「長方形の建物」を意味し、アウグストゥスの治世時に建てられたと言われています。そして、彼の養子であったガイウスとその弟であるルキウス・カエサルが若くして亡くなると、彼らを祀る神殿となり、さらにアウグストゥスの統治が神聖化されるとともに、この神殿は皇帝崇拝の神殿となりました。
ニューカレドニアの珊瑚礁:環礁の多様性と関連する生態系
Lagoons of New Caledonia: Reef Diversity and Associated Ecosystems
ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯
Nord-Pas de Calais Mining Basin
ヨーロッパ随一の農業国の印象があるフランスですが、工業の分野でも発展している地帯があります。フランス北端にある『ノール=パ・ドゥ・カレの鉱山地帯』はフランス屈指の工業地帯であり、1,200㎢の中になんと109もの構成資産が存在しています。カレ地方は百年戦争でイギリスに約200年近く占領されたことでも有名です。この地で石炭の層が発見されたのは17世紀。イギリスやベルギーが産業革命を迎え、19世紀半ばにフランスも産業革命を迎えると、この地域の石炭や鉄鉱石の重要度が急激に高まりました。1850年代にはフランスで最も重要な鉱山地帯となり、坑道や石炭輸出のインフラに加えて、労働者が暮らす住宅やコミュニティ施設も次々に作られていきました。現在は閉山しているものの、20世紀後半まで現役であったため、150年近くにわたって機能してきた炭鉱都市の姿を今でもうかがえるのが貴重です。
パリのセーヌ河岸
Paris, Banks of the Seine