World Heritage Sites

ギリシャ共和国 | 世界遺産一覧

アテネのアクロポリス

Acropolis, Athens
アテネのアクロポリス
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ヴァッセのアポロン・エピクリオス神殿

Temple of Apollo Epicurius at Bassae
ヴァッセのアポロン・エピクリオス神殿
ペロポネソス半島中央部のアルカディア地方の緑の丘に、壮大な神殿がそびえたっています。この神殿は紀元前5世紀後半のギリシャ文明最盛期にあたる、紀元前420~前400年頃にフィガリア人により建設されました。当時、近隣ではペストが流行していたのですが、この地方には被害が及ばなかったため、市民はそれをアポロン神の加護だと信じて、標高1,160mの地に神殿を建てました。僻地に建設されたこともあり、1765年に発見されるまで1,700年以上歴史の舞台から姿を消していましたが、同時に石材などが盗まれることもなく、結果的に保存状態の良いままで遺されました。 
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1986年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)
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エゲ(現代名ヴェルギナ)の考古遺跡

Archaeological Site of Aigai (modern name Vergina)
エゲ(現代名ヴェルギナ)の考古遺跡
現代名をヴェルギナとするエゲ(当時の発音ではアイガイ)は、古代のマケドニア王国の最初の首都とされています。19世紀後半から、ナポレオン3世の支援を受けた考古学者レオン・ユーゼによる発掘が始まり、その結果宮殿跡などが発見されました。さらに調査が進められた結果、1977年頃にはアレクサンドロス大王の父であるフィリッポス2世の墓が発見されたのです。フィリッポス2世は紀元前4世紀を生きた人物であり、前338年のカイロネイアの戦いで、ギリシャのポリス連合軍を破って本土を制圧した人物として名高い王です。そのような王の墓が発見されたことで当時世界中に衝撃を与え、またこの地がエゲであるという可能性が強くなったのです。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1996年 / 登録基準: (i)(iii)
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オリンピアの考古遺跡

Archaeological Site of Olympia
オリンピアの考古遺跡
オリンピアの考古遺跡は、首都アテネから西へ190kmにあるクロノスの丘の麓にオリンピアはあります。神々の山であるオリンポス山にその名を由来とするこの町では、紀元前8世紀頃から神々の父でもあるゼウスを奉納するための競技が定期的に開かれ、やがてこの競技会はギリシャ世界だけでなく、近隣諸国から参加者を集める国際的なスポーツ祭典となりました。長らく続いた祭典でしたが、キリスト教が国教となった4世紀末には、異教の祭典という理由から開催が禁止となりました。以降、長い間埋もれていましたが、18世紀に遺跡が発見されます。ローマ皇帝の命令で数多くの建築物が破壊されましたが、ゼウス神殿やヘラ神殿、短距離走などの練習場であったギムナシオンなどの基盤が一部残ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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コルフの旧市街

Old Town of Corfu
コルフの旧市街
アルバニアとギリシャの西海岸沖のコルフ島にある『コルフの旧市街』は、アドリア海の入口に存在し、昔から戦略的に重要な場所でした。起源は紀元前8世紀頃と言われており、コリント人が植民都市ケルキラを建設したのが始まりです。以降、ローマやナポリと交易をして栄えたといわれています。15世紀からは、この島は約4世紀にわたりヴェネツィア共和国の支配下に入り、ビザンツ帝国との交易路の安全確保に必要な島となりました。19世紀にはイギリスの支配下に置かれましたが、最終的にはギリシャ政府に返還されました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2007年 / 登録基準: (iv)
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ザゴリの文化的景観

Zagori Cultural Landscape
ザゴリの文化的景観
ギリシャ北西部のエピルス地方、ピンドゥス山脈の西斜面に沿って広がるザゴリ村は、およそ45の伝統的な村々で構成されています。ザゴリとはスラヴ語で「山の向こう」を意味し、何千年も前から人が住んでいましたが、高山地域であるため、人の移動は困難でありました。伝統的な村に関してはおそらくビザンツ帝国の時代からあったとされていて、世界遺産に登録されている現在のような村は、オスマン帝国の時代からとされています。18世紀から19世紀にかけては、地元の職人がアーチ状の橋を建設するなど、インフラ設備を強化しました。また、田園風景も素晴らしく、文化的景観が認められています。世界遺産には45の村のうち、保存状態が良好な20の村が登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2023年 / 登録基準: (v)
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サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿

Pythagoreion and Heraion of Samos
サモス島のピタゴリオンとヘラ神殿
エーゲ海南東部、アナトリアに近い場所に浮かぶサモス島は、全能の神ゼウスの正妻であるヘラの生誕地とされており、神話上極めて重要な島です。島がポリュクラテスという僭主(独裁者)によって支配されていた紀元前6世紀頃までに、サモス島は東地中海の主な航行拠点となりました。「ヘラ神殿(ヘライオン)」の起源は、前750年頃に建築された小規模な神殿で、前670年頃の水害で崩壊しました。その後すぐに再建された神殿は、正面に二重の列柱をもつ最初の例でした。前570年頃には2倍の面積をもち、100本以上の柱で支えられたイオニア式の神殿が建築されるのですが、今度は戦火により崩壊してしまいます。そこでポリュクラテスが命を出し、パルテノン神殿をも凌ぐ、幅55.16m、奥行き108.63mの巨大な神殿を建てようとしました。しかし、250年にもわたる工事を施したにもかかわらず、結局完成することはなく、3世紀のゲルマン人の侵入により破壊されてしまいました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1992年 / 登録基準: (ii)(iii)
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聖山アトス

Mount Athos
聖山アトス
エーゲ海に突き出たアクティ半島は、全体がギリシャ正教の聖地です。その東南端にそびえる標高2,000mを越える山がアトス山であり、「聖山アトス」と呼ばれています。この世界遺産は同じくギリシャ正教徒の聖地である『メテオラの修道院群』と同じ1988年に、どちらも複合遺産として登録されました。このあたりの海岸線は非常に複雑であり、その結果、ギリシャでもっとも多くの種類の植物が育っているのです。なお、陸のルートは封鎖されており、巡礼者や観光客は船からしか聖山アトスに行けなくなっています。ダフニ港が入山するための唯一の入り口なのです。修道士がこの地に最初に修道院を築いたのは10世紀半ばと言われていて、以降、次々と修道院が建てられていきます。現在活動する修道院の数は約20です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)(vi)(vii)
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ダフニ、オシオス・ルカス、ヒオスのネア・モニの修道院群

Monasteries of Daphni, Hosios Loukas and Nea Moni of Chios
ダフニ、オシオス・ルカス、ヒオスのネア・モニの修道院群
『ダフニ、オシオス・ルカス、ヒオスのネア・モニの修道院群』は、いずれも11世紀に建造されました。ダフニ修道院はアテネ近郊にあり、南ギリシャで最も美しい修道院と言われています。オシオス・ルカス修道院はデルフィ近郊の、オリーブが茂る丘の中腹にあります。ネア・モニ修道院はエーゲ海東部にあるヒオス島に存在し、「新しい修道院」を意味しています。3つの修道院は地理的にも離れているのですが、同じ建築様式を有しており、いずれのドーム天井はモザイク画で飾られています。これらの修道院は、ビザンツ帝国が政治的に安定し、富を惜しみなく使った時代の建造物で、ビザンツ美術の粋が集められています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (i)(iv)
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テサロニキの初期キリスト教とビザンツ様式の建造物群

Paleochristian and Byzantine Monuments of Thessalonika
テサロニキの初期キリスト教とビザンツ様式の建造物群
ギリシャ北部の都市テサロニキが建設されたのは、紀元前315年のことです。テサロニキとは、アレクサンドロス大王の後継者とされるカッサンドロスの妻「テサロニケ」に由来します。マケドニアの王となった彼は、王妃の名をこの街に与えました。街は初期キリスト教が確立していくなかで、その布教の拠点となりました。また、その立地の良さから交通の要衝となり、ビザンツ帝国時代でも首都コンスタンティノープルに次ぐ第二の都市として繁栄しました。オスマン帝国の支配下(1430年~1912年)では、多くの教会がモスクへと転用され、イスラム教のモスクも新たに建設されました。1912年にギリシャ領となった後も、テサロニキはアテネに次ぐギリシャ第二の都市として、現在も繁栄を続けています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)
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デルフィの考古遺跡

Archaeological Site of Delphi
デルフィの考古遺跡
デルフィはギリシャ中部のパルナソスの山腹にあります。ここは、古代ギリシャの予言の神アポロンの聖地として、当時広く知られていました。「世界のへそ」と言われているのは、神々の指導者であるゼウスが世界の中心がどこかを探るため、世界の両端から2羽の鷲を放ち、その2がこの地の上空で出会い、舞い降りたためとされています。この地には先述したアポロンを祀る神殿があり、また古代オリンピックに起源であるオリュンピアと同様のピュティア競技会場もあったため、数多くの巡礼者が訪れました。なお、ピュティアとはデルフィの神託所に仕えた巫女のことを指します。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1987年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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デロス島

Delos
デロス島
エーゲ海のほぼ中央、キクラデス諸島にあるデロス島は、伝説によると太陽神アポロンと月の女神アルテミスが誕生したとされている島です。紀元前3世紀に活躍した詩人カリマコスは、デロス島を「すべての島の中で最も神聖な島」と評しています。特にアポロンはオリンポス十二神の一柱であり、ゼウスの息子でもあることから、非常に重要な神とされていましいた。デロス島全体が考古遺跡となっており、ギリシャの遺跡の中でも最大級の規模を誇ります。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1990年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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パトモス島にある歴史地区(ホラ):神学者聖ヨハネの修道院と黙示録の洞窟

The Historic Centre (Chorá) with the Monastery of Saint-John the Theologian and the Cave of the Apocalypse on the Island of Pátmos
パトモス島にある歴史地区(ホラ):神学者聖ヨハネの修道院と黙示録の洞窟
エーゲ海東部のドデカネス諸島にあるパトモス島は、神学者聖ヨハネが「福音書」と『新約聖書』の「黙示録」の両方を書いたと伝えられる、キリスト教史上非常に重要な場所です。聖ヨハネとはイエスの十二使徒の1人で、イエスに最も愛された弟子のひとりでした。西暦95年、ドミティアヌス帝によってパトモス島に流刑となった聖ヨハネは、この地で「黙示録」などを書き、弟子プロクロスに口述したとされています。7世紀にはイスラーム教徒の襲撃を受けて一度は無人島となったものの、11世紀にビザンツ帝国のアレクシオス1世がパトモス島を植民地にしてからは、この地はギリシャ正教の学びと巡礼の地となりました。最初の修道院である「神学者聖ヨハネ修道院」は、1088年に修道士ホシオス・クリストドゥロス・ラトリーノスによって建てられました。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (iii)(iv)(vi)
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ピリッポイの考古遺跡

Archaeological Site of Philippi
ピリッポイの考古遺跡
ギリシャ北東部にあるピリッポイは、マケドニアの王フィリッポス2世によって、紀元前356年に創建された都市です。ここはヨーロッパとアジアを結ぶエグナティア街道が通る、交通の要所として栄えました。また、紀元前42年にはフィリピの戦いが起き、それ以降しばらくは「小ローマ」として繁栄しました。また、49年から50年にかけては使徒パウロが訪れたとされ、その後はキリスト教信仰の中心地にもなりました。ギリシャ風の都市の様子を保ちながらも、交通の要所となり、キリスト教信仰の中心地となった場所でもあるため、大変価値の高い都市となっています。 
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2016年 / 登録基準: (iii)(iv)
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ミケーネとティリンスの考古遺跡

Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ミケーネとティリンスの考古遺跡
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1999年 / 登録基準: (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
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ミストラの考古遺跡

Archaeological Site of Mystras
ミストラの考古遺跡
古代ギリシアのポリスであるスパルタから西へ約5kmの位置に、ミストラはあります。かつて「ビザンツ帝国最後の輝き」と言われたこの都市は、13世紀初頭の第4回十字軍の際、アカイア公国の君主によって築かれました。その後、ビザンツ帝国の皇帝ミハイル8世がこのミストラを手中におさめ、ミストラはビザンツ帝国軍総督の本拠地となりました。14世紀から15世紀にかけてはモレアス専制公領の都となり、専制公らは大きな政治力と軍事力を背景に富を蓄え、ミストラを要塞都市だけでなく、文化の中心地としても発展させようとしました。建築家や芸術家を集めて、古代ギリシアに倣ってアカデミアなどを建築しますが、1453年にビザンツ帝国が崩壊すると、ミストラは衰退の一途を辿りました。そして、19世紀には廃墟と化してしまったのです。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1989年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)
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ミノア文明の宮殿群

Minoan Palatial Centres
ミノア文明の宮殿群
ミノア文明とは古代ギリシャ文明のひとつで、エーゲ海のクレタ島を中心に栄えた青銅器文明です。ミノアとは伝説上の王であるミノス王からきていますが、島の名をとりクレタ文明ということもしばしばあります。この文明を築いた民族については残念ながらあまりわかっていませんが、紀元前1900年頃から栄え、世界史の教科書でもお馴染みのクノッソス宮殿などの壮大な宮殿が築かれました。当時の民族が使用した文字を線文字Aと言いますが、未解読のため、早急な解読が期待されます。しかし、城壁がなく、多数の壺に海の生物が描かれていることから、開放的で海洋的な文明だったと推測されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 2025年 / 登録基準: (ii)(iii)(iv)(vi)
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メテオラの修道院群

Meteora
メテオラの修道院群
メテオラとはギリシア語で「中空に浮く」という意味であり、ギリシア中部にあるメテオラでは、奇岩群が数多くあり、その上に修道院が立っているという、世界でも類を見ない景観が見られます。この奇岩群が形成されたのは今から6,000万年前に誕生したとされ、そこから長い年月をかけて川の水が谷を削り、硬い部分だけが残った結果、このような景観が生まれました。この景観を神の地と思ったのか、古くから人々が住み着いていました。9世紀頃から、現実世界から離れて、決して住みやすいとは言えないこの場所に修道院を築き、祈りを捧げるようになるのです。修道院群があたかも空中に浮いているように見えるから、この地はメテオラと言われました。最盛期には24の修道院があり、7つの修道院が世界遺産に登録されています。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 複合遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (i)(ii)(iv)(v)(vii)
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ロドス島の中世都市

Medieval City of Rhodes
ロドス島の中世都市
エーゲ海のトルコ沖約20kmに位置するロドス島は、淡路島の2倍程の面積を有する島です。その歴史は長く、紀元前1000年頃には人々が暮らし始めていたとされます。古代ギリシャ時代には「世界の七不思議」のひとつ、太陽神ヘリオスの巨像がつくられたと言われていますが、紀元前227年の大地震で倒壊し現存していません。紀元前42年にはローマに征服されて衰退しましたが、14世紀にエルサレムから逃れてきた聖ヨハネ騎士団(ホスピタル騎士団)がこの地に要塞都市を築いたことで再び脚光を浴びました。現在、世界遺産に登録されているのは、全長4kmの城壁に囲まれたこの中世都市です。
地域: ヨーロッパ / 国名: ギリシャ共和国 / 分類: 文化遺産 / 登録年: 1988年 / 登録基準: (ii)(iv)(v)
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