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アガデスの歴史地区
Historic Centre of Agadez
アゾレス諸島の港町アングラ・ド・エロイズモ
Central Zone of the Town of Angra do Heroismo in the Azores
アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)
Via Appia. Regina Viarum
アニの考古遺跡
Archaeological Site of Ani
トルコ北東部にある『アニの考古遺跡』は、アルメニアとの国境に近い高原に築かれた中世の都市遺跡です。深い渓谷に囲まれたエリアにあり、住居・教会・城壁などが残っています。10~11世紀にはアルメニア王国バグラトゥニ朝の首都として栄え、シルク・ロードの支線を押さえたことで交易の中心地となりました。その後、ビザンツ帝国やセルジューク朝などに支配され、多文化が交わる都市として発展しますが、モンゴルの侵入と1319年の大地震で衰退しました。このアニでは、アルメニア、ジョージア、イスラムの文化が融合した独自の建築様式が生まれ、中世建築の発展を一望できる貴重な遺跡となっています。現在では、多様な建築技術や都市計画を学べる場所として、歴史や考古学を学ぶ学生にとっても重要な研究対象となっています。
アマルフィ海岸
Costiera Amalfitana
ソレントからサレルノに至る約30kmにわたる絶景の海岸線とその街並みが世界遺産に登録されています。この町は中世初期から漁村群にはじまり、そそり立つ岩壁に沿うように家屋や吊り橋、風の塔などが作られ、町として発展していきました。限られた平坦な土地にはワインになるブドウ畑やレモン畑が作られ、海岸線と町と相まった文化的景観も評価されています。アマルフィは、9世紀から11世紀にかけて海洋貿易によって繁栄した海洋国家でした。イスラムの国々とも貿易を通して交流し、家々が迷路のように路地や階段でつながった様子は、トルコのスークのよう。漁師の守り神・聖アンドレアに捧げられた「アマルフィ大聖堂」や、「聖アンドリュー大聖堂」は「アラブ・ノルマン」様式として知られる東洋と西洋の要素の融合が見て取れます。
アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区
Seventeenth-century canal ring area of Amsterdam inside the Singelgracht
13世紀にアムステル川にダムをつくり、海水の侵入を防いでそこに集落が成立したのが現在の「アムステルダム」の起源です。現在の運河地区は16世紀末から17世紀初頭にかけての湾岸都市プロジェクトとして建設されました。一番外側の「ジンフェルグラハト」まで扇状に広がる運河をつくり、さらに同心円状に運河を整備し、その間の土地(沼沢地)を排水して市街地化していきました。この町の運河と都市景観は美しいだけでなく実用的でかつ経済的なものです。16世紀末以降、オランダは海洋国家として黄金期を迎えていました。日本を含むアジアとの交易等で莫大な富を蓄え、アムステルダムは世界有数の富裕都市となりました。そしてその非常に均質な街並みは19世紀に至るまで大規模都市計画のモデルとなりました。
アル・ズバラ考古学的地区
Al Zubarah Archaeological Site
ペルシャ湾沿岸の城壁に囲まれた町アル・ズバラは、18世紀後半から19世紀初頭にかけての約50年間という短い期間に真珠採取と貿易の中心地として繁栄しました。クウェート出身のウトゥブ商人によって築かれ、真珠の輸出で大きな役割を果たし、最盛期にはインド洋、アラビア半島、西アジアとの広範な貿易関係が築かれました。アル・ズバラは現在のカタール沿岸部やペルシャ湾岸地域に栄えた要塞化された交易都市の一つであり、イスラム初期あるいはそれ以前から20世紀にかけて続いた沿岸都市の交易と真珠採取の伝統を示す優れた証拠とされています。また、オスマン帝国やヨーロッパ諸国、ペルシャなどの大国の支配を受けることなく繁栄した小さな独立国家群の発展を促し、最終的には現代の湾岸諸国の成立につながった都市基盤の好例と見なされています。
アルマデンとイドリア:水銀鉱山の遺跡
Heritage of Mercury. Almadén and Idrija
アレッポの旧市街
Ancient City of Aleppo
17世紀ポート・ロイヤルの考古学的遺跡群
The Archaeological Ensemble of 17th Century Port Royal
ジャマイカ南東部、キングストンハーバーの河口に位置する『17世紀ポート・ロイヤルの考古学的遺跡群』はかつて栄えた奴隷貿易の重要拠点でした。17世紀にイギリス人入植者によって築かれた都市集落は整った方形の区画で分けられており、通りにはロンドンにある通りと同じ名前が付けられました。また、海賊の本拠地でもあり「キリスト教世界で最も邪悪な都市」とも呼ばれていました。しかし、1962年の地震によって大きな被害を受け、街の大部分が崩壊・水没してしまいます。街にはこの地が奴隷貿易の拠点であったことを示す港や6つの砦など要塞の遺構も存在していますが、その一部は水没したままとなっています。しかし、この残された遺構が重要な考古学的証拠となり、17世紀のアメリカ大陸におけるイギリス植民地時代の存在を今日も物語っています。
イラン縦貫鉄道
Trans-Iranian Railway
石見銀山遺跡とその文化的景観
Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
オリンダの歴史地区
Historic Centre of the Town of Olinda
ガーナのベナン湾沿いの城塞群
Forts and Castles, Volta, Greater Accra, Central and Western Regions
西アフリカ・ガーナのベナン湾沿いには、およそ500㎞にわたり城塞群が点在します。これは、15世紀末から18世紀末にかけてヨーロッパ人により築かれたものです。もとは、ポルトガルからの航海者たちが、この地の金鉱脈に目をつけ、交易拠点として建設したのが始まりです。ガーナは「黄金(ゴールド)海岸(コースト)」という呼び名があるほどの金の産地で、そのほかにも、象牙や香辛料などが取引されていました。やがて、スペイン人、デンマーク人、スウェーデン人、オランダ人、ドイツ人、イギリス人も交易に参入し、覇権争いが繰り広げられることになります。そのような歴史のなかで築かれた城塞は60にも及びました。そのうちの3分の1程度が現存し、博物館や学校として活用されているものもあります。
海港都市バルパライソの歴史地区
Historic Quarter of the Seaport City of Valparaíso
カセレスの旧市街
Old Town of Cáceres
ガダーミスの旧市街
Old Town of Ghadamès
カミ遺跡
Khami Ruins National Monument
この遺跡はジンバブエで二番目に大きな石造建築の遺跡で、標高1,300mのジンバブエ高原の西部に位置しています。近くにカミ川が流れるこの地には先史時代より人類が住んでいたといわれますが、15世紀の中頃、大ジンバブエを放棄したロズウィ族がここに移住し、トルワ王朝を興して新たな都市を建設しました。時代としては、大ジンバブエ時代と後期ジンバブエ時代の間になります。建造物は、花こう岩を直方体に切り出して交互に積み重ねて建てられており、モルタル等を使わない精巧な石積みの技術が特徴です。この遺跡からは、中国の青磁や白磁、ヨーロッパ各国の陶器類が出土しており、この一帯から産出される金をもとに広範囲の国々と交易をおこなっていたことがわかります。また、ポルトガルの宣教師が作ったとされる花こう岩の十字架も残されているなど、ここは数少ない未盗掘の遺跡としても貴重です。
カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ-メキシコ内陸部の王の道
Camino Real de Tierra Adentro
カルアトル・バーレーン:古代の港とディルムンの都
Qal’at al-Bahrain – Ancient Harbour and Capital of Dilmun
カルタゴの考古遺跡
Archaeological Site of Carthage
フェニキア人によって建設されたカルタゴは、チュニス湾とその周囲の平野を見下ろす丘に位置し、紀元前6世紀から後2世紀ごろにかけて繁栄した広大な考古学的遺跡です。ローマ時代のアフリカ属州の首都として、カルタゴは古代において重要な商業帝国の役割を果たしました。長いポエニ戦争の間、カルタゴはローマの領土を占領しましたが、最終的に146年にローマによって破壊されました。その後、ローマ人が古代都市を、カルタゴの遺跡の上に再建しました。フェニキア、ローマ、キリスト教、アラブ文化が次々と融合し、開花する特別な場所として、この大都市とその港は地中海で広範な交流を促進しました。カルタゴはハンニバルという戦士かつ策略家、探検家ハノン、有名な農学者マゴンを輩出しました。また、その歴史的・文学的な名声を通じて、カルタゴは常に世界的な想像力をかき立ててきました。カルタゴの主要な構成要素には、ビュルサの丘、プニック港、プニック・トフェット、ネクロポリス、劇場、円形劇場、サーカス、住宅地、バシリカ、アントニヌス浴場、マラガ貯水池、そして考古学保護区域が含まれます。
カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群
Port, Fortresses and Group of Monuments, Cartagena
カルナックとモルビアン沿岸の巨石群
Megaliths of Carnac and of the shores of Morbihan
クシェミオンキにある先史時代の縞状フリント(火打石)採掘地域
Krzemionki Prehistoric Striped Flint Mining Region
グラン・バッサムの歴史都市
Historic Town of Grand-Bassam
クルディーガの旧市街
Old town of Kuldīga
ラトビア西部に位置するクルディーガは伝統的な都市景観が残っている街です。クルディーガの起源は13世紀に遡り、ドイツ騎士団の分団・リヴォニア騎士団が城を築いたことに始まります。14世紀にはハンザ同盟に参加しました。街が大きく発展したのは16~18世紀のクールラント公国時代です。公国の中心地として機能したクルディーガは貿易拠点としても発展を遂げ、外国人商人や職人が定住しました。そのため街にはクルディーガの伝統的な丸太造り建築だけでなく、周辺地域の影響を受けたレンガ造りや木造の建築もあり、当時の交流の様子を物語っています。19世紀頃には、交通の主役が水路から鉄道へと移りましたが、クルディーガには鉄道が敷設されず、都市の発展は停滞しましたが、その結果公国時代の街並みが保存されることとなりました。また、クルディーガは20世紀の大きな戦争をほとんど無傷で乗り越え、近代的な都市開発は中心部から離れた場所で行われたこともあり、街の構造は公国時代に発展した通りのレイアウトをほぼそのまま残す、稀有な例となっています。
京杭大運河
The Grand Canal
ケブラーダ・デ・ウマウアカ
Quebrada de Humahuaca
アルゼンチン北西端、アンデス山脈上に位置する「ケブラーダ・デ・ウマウアカ」は、グランデ川の浸食作用によって形成された、南北に約155kmにわたる渓谷です。アンデス高地の寒冷な高地砂漠高原から、温暖で湿潤な気候をもつフフイ渓谷まで広がるこの地には、1万年以上にわたり交易路として渓谷が利用されてきたことを示す遺跡が点在しています。 これらの遺跡には、先史時代の狩猟採集民および初期農耕社会(紀元前9000〜後400年)、大規模に組織化された農業社会(400〜900年)、繁栄した町や村(900〜1430年または1480年)、インカ帝国時代(1430年または1480〜1535年)、さらにはスペインによる町や村、教会(1535〜1810年)、アルゼンチン独立闘争(1810年〜20世紀)の痕跡が含まれています。
ケレタロの歴史的建造物地区
Historic Monuments Zone of Querétaro