アッコの旧市街
十字軍の遺構の上にオスマン帝国が築いた街並み

遺産DATA

地域 : 西・南アジア 保有国 : イスラエル国 分類 : 文化遺産 登録年 : 2001年 登録基準 : (ii) (iii) (v) 遺産の面積 : 0.633㎢ バッファ・ゾーン : 0.2299㎢ 座標 : N32 55 18 E35 4 8

about

十字軍活動の拠点であった港湾都市

イスラエル北部の地中海に面するアッコは、フェニキア時代から継続的に居住されてきた、城壁に囲まれた港街です。1104年、第1回十字軍の指導者の1人であるボードゥアン1世がアッコを占領し、パレスチナにおける十字軍活動の拠点として港湾都市が築かれました。1187年、アイユーブ朝のサラディン軍によってエルサレムが征服された後、アッコはエルサレム王国最後の拠点となりましたが、1291年にマムルーク朝の攻撃を受けて陥落しました。その後、200年以上にわたりマムルーク朝によって統治されました。アッコの地下には、十字軍によって築かれた要塞やキリスト教の礼拝堂、要塞と港をつなぐトンネル、商店街など十字軍の遺構がそのまま埋もれており、十字軍によって築かれた街全体が遺跡として残っている唯一の例であるとされています。

オスマン帝国によって築かれた要塞都市

1517年、マムルーク朝はオスマン帝国によって滅ぼされ、アッコはオスマン帝国の統治下に入りました。18世紀になると、城壁の修復や公共施設の建設など都市整備が進められ、現在旧市街で見られる街並みが整備されました。旧市街の城壁内にある1781年創建のジャッザール・モスクは、この地域の知事であったアフマド・ジャッザール・パシャ(1720〜1804年)が自ら設計したものであり、イスラエル最大のモスクです。預言者ムハンマドの顎髭の毛が納められていることでも知られています。十字軍によるキリスト世界とイスラーム世界の衝突の地であったアッコは、地下には十字軍が建設した街の遺跡が残り、地上にはオスマン帝国が築いた城塞都市が広がる、他に類を見ない歴史都市として世界遺産に登録されています。

アクセス

鉄道ではテルアビブからハイファを経由しアッコまでは約1時間30分。バスでは所要時間は1時間。アッコの駅またはバス停から旧市街までは徒歩またはタクシーで。

執筆協力者PROFILE

市川 賢司
市川 賢司
アレセイア湘南高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。

遺産DATA

保有国 : イスラエル国
分類 : 文化遺産
登録年 : 2001年
登録基準 : (ii) (iii) (v)
遺産の面積 : 0.633㎢
バッファ・ゾーン : 0.2299㎢
座標 :N32 55 18 E35 4 8

アクセス

鉄道ではテルアビブからハイファを経由しアッコまでは約1時間30分。バスでは所要時間は1時間。アッコの駅またはバス停から旧市街までは徒歩またはタクシーで。

執筆協力者PROFILE

市川 賢司
市川 賢司
アレセイア湘南高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。