about
世界を代表する神殿
アテネは古代ギリシアを代表するポリス(都市国家)であり、民主政の基礎が築かれた場所でもあります。その中心となった場所が「アテネのアクロポリス」です。アクロポリスとは「高いところ」を意味し、今でもアテネの市街地を見下ろす高さ70mほどの丘にアクロポリスが鎮座しています。このアクロポリスの中心に立つのが、世界的に有名な「パルテノン神殿」です。この神殿は、古代のペルシア戦争終了後に、天才的な政治家であったペリクレスの指導の下、建設されました。ペルシア戦争の勝利を祝ってアテナに捧げられた神殿であり、大彫刻家のフェイディアスが中心となり手がけました。この神殿の特徴のひとつは、円柱の中央部が微妙に膨らんでいる「エンタシス」という技法です。重圧感を和らげ、軽快さを演出するという効果があり、驚くことにはるか東の日本の法隆寺の柱でもこの技法が伝わっています。
さまざまな時代を見通してきた神殿
長きにわたり国家の繁栄を見守ってきたパルテノン神殿ですが、ギリシアのポリスが衰退していくとともに人々に忘れ去られていきます。またビザンツ帝国はパルテノン神殿をキリスト教の教会に改修し、神殿中心にあったとされるアテナ神像はコンスタンティノープルに持ち去られました。その後、神殿に残された浮彫も破壊され、15世紀半ばにオスマン帝国が台頭すると、今度はモスクに改造されてしまうのです。そして、壊滅的な打撃は17世紀後半のオスマン帝国とヴェネツィアとの戦いで起きてしまいます。追い詰められたトルコ軍はパルテノン神殿に立てこもり、そこにヴェネツィア軍の砲弾がパルテノン神殿に着弾します。そして、ついにパルテノン神殿は廃墟と化してしまったのです。
知の賢者が集った場所を見直す
このように様々な運命をたどってきたパルテノン神殿は、1975年にアクロポリス遺跡保存委員会が設立されると、修復が進んでいきます。現在もパルテノン神殿では工事が続いている箇所があります。アクロポリス北西部には「アゴラ」と呼ばれる広場が存在し、そこでかつて哲学者であるプラトンやソクラテスたちが、熱い議論をしていました。話し合いで物事を解決していくという「民主政」は、このアテネで誕生したのです。他にも「エレクテイオン神殿」などの重要な構成資産もあります。今でもアテネの中心部に位置し、静かにアテネの民衆を見守っているのです。
アクセス
アテネ・エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港からバスで約1時間。終点のシンタグマ広場で下車。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
アクセス
アテネ・エレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港からバスで約1時間。終点のシンタグマ広場で下車。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
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