アントニ・ガウディの作品群
着工から140年を経た現在も建設が続けられているサグラダ・ファミリア贖罪教会

遺産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : スペイン 分類 : 文化遺産 登録年 : 1984年 範囲拡大年 : 2005年 登録基準 : (i) (ii) (iv) 座標 : N41 24 48.168 E2 9 10.7

about

孤高の建築家アントニ・ガウディ

『アントニ・ガウディの作品群』は、スペイン東部・カタルーニャ地方の中心都市バルセロナとその周辺に点在する、建築家アントニ・ガウディ(本名:アントニ・ガウディ・イ・コルネ)が手掛けた7つの建築物によって構成されています。ガウディは、1852年に銅版器具職人の息子として生まれ、バルセロナの建築学校に進学しました。26歳の時、パリ万博に作品を出展したことがきっかけで、最大の支援者となる実業家エウゼビ・グエルと出会います。グエルはガウディのパトロン的な存在として、自邸や別邸の設計を委ねたほか、数々の傑作の建設に貢献しました。1883年、ガウディはサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の建築主任となり設計に奔走します。しかし、1926年に建築途中の聖堂を残し、不慮の事故でこの世を去ってしまいました。

ガウディ建築の意匠と特徴

ガウディの建築作品は、カタルーニャ地方で興った芸術運動「モデルニスモ」のシンボルとされ、後世の芸術家に多大な影響を与えました。デザインには波のような曲線的なフォルムや、破砕タイルをモザイク状に組み合わせた装飾など特徴的な造形が多く、そこにはガウディの「自然のなかに、すべての教科書がある」という哲学が込められています。設計においても、図面を引く代わりにデッサンや模型を多用し、建築全体が有機的なつながりをもつ「1つの作品」として造り上げました。スペインを代表する画家サルバドール・ダリもまた、ガウディの影響を受けた芸術家のひとりで、「五感の建築」と絶賛の言葉を残しています。

ガウディの集大成「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」

ガウディの集大成とされるサグラダ・ファミリア贖罪聖堂は、1882年の着工から140年以上が経過した2026年現在も、建設が続けられています。31歳で建築主任に就任したガウディは、73歳で亡くなるまでの40年間、この建物に心身を捧げました。彼は、自身が生涯を終えた後も建設が続くことを見越して、さまざまな大きさの立体模型を作成しました。1937年の内戦で多くが焼失しましたが、残された破片からいくつかの模型は修復されました。サグラダ・ファミリアは、聖書の登場人物を象徴する尖塔や、聖書の重要な場面を描いたファサードなど、キリスト教の世界観を表現するものであると同時に、自然から着想を得て生み出された空間が広がっています。1984年にカサ・ミラ、グエル公園、グエル邸の3件が世界遺産に登録され、2005年には追加でサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の一部(「生誕のファサード」と「地下聖堂」)、カサ・ヴィセンス、カサ・バトリョ、コロニア・グエル聖堂の地下聖堂の4件が登録されました。

アクセス

【サグラダ・ファミリア贖罪聖堂】地下鉄サグラダ・ファミリア駅から徒歩1分。/【グエル公園】地下鉄レセップス駅またはバイカルカ駅から徒歩15~20分。/【カサ・バトリョ】地下鉄パセジ・ダ・グラシア駅から徒歩1分。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター/Podcast「行きたくなる世界遺産!」パーソナリティ

広島県出身。平和継承の入口として世界遺産検定を受験。現在は認定講師として大学、専門学校等で講座実施。2021年にポッドキャスト「行きたくなる世界遺産!」(地域情報/トラベル部門最高2位獲得)を開設しパーソナリティを務めつつ世界遺産関連施設で番組イベントを開催。

Trivia

身なりも気にせずサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の建設に捧げた晩年

アントニ・ガウディは、髪や髭を丁寧に整え、高価なスーツに身を包み、馬車に乗って建設現場を訪れるなど、とてもおしゃれな若き建築家でした。しかし、60代に近づいた頃から体調不良や友人の死去、経済不況による建築の中断、最大の協力者であったエウゼビ・グエルの死去などの不幸が彼を襲います。ガウディはひたすらサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の建設に没頭するようになり、身なりにも気を配らなくなりました。サグラダ・ファミリア贖罪聖堂で生活をしながら建設を進めた彼が、聖堂の近くで路面電車に轢かれた時、あまりにみすぼらしい身なりのため浮浪者に間違われ、すぐに助け出されなかったそうです。彼の最期の言葉は、彫刻家の友人と話した「ねえ君、すごくいい話があるんだ。明日その話をしようね」でした。

身なりも気にせずサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の建設に捧げた晩年

Properties

Parc Güell
かつて禿山を意味するムンタニャ・ペラーダとよばれた場所にあるグエル公園は、当初は公園としてではなく、富裕な人々への住宅地を建設する民間プロジェクトとして整備されました。実業家エウゼビ・グエルはイギリスのような公園住宅の設計を建築家アントニ・ガウディに依頼し、地形に合わせて道路、高架橋、階段などが整備され、約60区画の住宅地が設けられました。1900年に工事が開始され、ガウディは敷地内に生えていたオリーブなどの植物をそのまま活かし、住宅には海を臨む眺望を遮らない高さと周囲への日当たりにも配慮するなど、厳しい建築条件を定めました。住宅区画を最初に購入したのは、グエルの友人で弁護士のマルティ・トリアス・イ・ドメネクでした。ガウディ自身も、1906年に父親と姪と一緒に暮らすためにここへ移住しています。しかしバルセロナ中心部から遠く上り坂がある住宅の購入者は集まらず、1914年に工事は中止され、実際に建設された住宅は60戸のうち2戸だけでした。グエルの死後、この場所はバルセロナ市に売却され、1926年に市立公園として開園しました。公園内にあるガウディの家は、1963年にガウディ博物館として一般公開されています。
Palau Güell
グエル邸は、1886年から1890年にかけて、バルセロナ中心部に実業家エウゼビ・グエル一家の住居と当時の富裕層が集まる社交空間として、建築家アントニ・ガウディによって設計されました。1918年のグエルの死後、邸宅は未亡人や相続人たちに受け継がれたのち、スペイン内戦中は警察署として使われた時期もありました。1944年アメリカの大富豪から邸宅の石材を一つずつ解体して自国に移築したいという申し出がありましたが、1945年グエルの末娘であるメルセ・イ・ロペスは、終身年金と建物を保存して文化的目的で使用する条件で邸宅をバルセロナ州議会に寄贈しました。
Casa Milà "La Pedrera"
カサ・ミラは建築家アントニ・ガウディが彼独自の手法を確立した円熟期にあたる1906年から1912年にかけて建設され、ガウディにとって最後の個人注文主による建築物となりました。バルセロナのグラシアス通りに、オーナーのペレ・ミラとロサリオ・セギモンの住居を1階に、2階から5階には王侯、外交官、起業家、俳優、芸術家、政治家、ジャーナリストなど多彩な人たちが住む賃貸用共同住宅として完成しました。しかし当初、カサ・ミラの革新性は理解されず、新聞にはカタルーニャ語で「ラ・ペドレーラ(石切り場)」と酷評され、その装飾が気に入らなかったロサリオ・セギモンは、ガウディの死後、自分の階の一部を取り壊すように命じたこともありました。スペイン内戦中に共和国政府に押収されて各部門の本部が置かれた時代もありましたが、現在は賃貸住宅やオフィス、店舗としての入居も行われ、博物館となっている最上階と屋上や住居部分の一部は見学することができます。
Casa Vicens
カサ・ヴィセンスは、バルセロナの郊外グラシア地区にあります。1883年から1888年にかけて、通貨取引業者で株式仲買人のマヌエル・ヴィセンスと妻ドロルス・ヒラルトの夏の別荘として、若きガウディによって設計されました。この場所は当時グラシア村とよばれた農村でしたが、急速に都市化するバルセロナの労働者や中流階級の人々が移り住む地区として発展しました。30歳の若いガウディにとって初めての住宅建築であり、彼の建築家としての出発点ともいえる場所です。
Temple Expiatori de la Sagrada Família
サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)は、建築家アントニ・ガウディが世界的に知られるきっかけとなった代表作であり、バルセロナを象徴する建物です。建設は1882年に始まり、当初は建築家フランシスコ・デ・パウラ・ヴィラールが、ネオゴシック様式を取り入れて後陣の地下礼拝堂から建設工事を進めていました。しかし、資金面での意見対立からヴィラールが解任されると、その後をガウディが設計と建設を引き継ぎました。当時、建築家として頭角をあらわしはじめていたガウディは、地下礼拝堂を完成させた後、教会全体の設計を従来のネオゴシック様式から新しく革新的で壮大なものへと大幅に変更しました。
Casa Batlló
カサ・バトリョが立つバルセロナのグラシア通り43番地は、スペイン語で「地区」と「リンゴ」が同じ綴りであることから、「不和のリンゴ」と皮肉られる場所でした。当時成長しつつあった富裕層が競い合うように著名な建築家に設計を依頼し、ガウディのライバルとされたリュイス・ドメネク・モンタネールによるカサ・リュオ・モレラや、ジョセップ・プッチ・イ・カダファルクによるカサ・アマトレなど個性豊かな建物が並んでいます。もとの建物は1877年、建築家エミリ・サラ・コルテスによって建てられました。1903年、繊維業者のジョセップ・バトリョ・イ・カサノバスがこの建物を購入し、建築家アントニ・ガウディに色使いや外観も含めた大胆な改築を依頼しました。周囲の建物を意識しながらも独創的に設計されたカサ・バトリョは、「骨の家」「仮面の家」「ドラゴンの家」など、さまざまな愛称で親しまれる建物となりました。
Cripta de la Colònia Güell
コロニア・グエル教会地下礼拝堂は、バルセロナ市の郊外サンタ・コロマ・ダ・サルバリョにあります。繊維業で成功を収めていたエウゼビ・グエルは、自身の工場をこの場所に移転し、それに伴って工場労働者のための住居や学校、商店、劇場、教会など、街を丸ごとつくる計画を立てました。フランセスク・ベレンゲーやジョアン・ルビオなど、カタルーニャ出身の建築家が街の設計に参加し、その中で教会を任されたのがアントニ・ガウディでした。ガウディは、1898年の設計依頼から、教会の模型を作るのに10年を費やし、実際の建設工事に着手したのは1908年でした。しかし着工から6年後に依頼主のグエルが亡くなると、その跡を継いだ息子たちは教会の建設には消極的でした。さらに、ガウディ自身もサグラダ・ファミリアの建設に専念し始めていたため、完成したのは地下礼拝堂にとどまり、教会全体は未完成に終わってしまいました。

遺産DATA

保有国 : スペイン
分類 : 文化遺産
登録年 : 1984年
範囲拡大年 : 2005年
登録基準 : (i) (ii) (iv)
座標 :N41 24 48.168 E2 9 10.7

アクセス

【サグラダ・ファミリア贖罪聖堂】地下鉄サグラダ・ファミリア駅から徒歩1分。/【グエル公園】地下鉄レセップス駅またはバイカルカ駅から徒歩15~20分。/【カサ・バトリョ】地下鉄パセジ・ダ・グラシア駅から徒歩1分。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター/Podcast「行きたくなる世界遺産!」パーソナリティ

広島県出身。平和継承の入口として世界遺産検定を受験。現在は認定講師として大学、専門学校等で講座実施。2021年にポッドキャスト「行きたくなる世界遺産!」(地域情報/トラベル部門最高2位獲得)を開設しパーソナリティを務めつつ世界遺産関連施設で番組イベントを開催。