構成資産DATA
大幅な設計変更から生まれた革新的な姿
サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)は、建築家アントニ・ガウディが世界的に知られるきっかけとなった代表作であり、バルセロナを象徴する建物です。建設は1882年に始まり、当初は建築家フランシスコ・デ・パウラ・ヴィラールが、ネオゴシック様式を取り入れて後陣の地下礼拝堂から建設工事を進めていました。しかし、資金面での意見対立からヴィラールが解任されると、その後をガウディが設計と建設を引き継ぎました。当時、建築家として頭角をあらわしはじめていたガウディは、地下礼拝堂を完成させた後、教会全体の設計を従来のネオゴシック様式から新しく革新的で壮大なものへと大幅に変更しました。


サグラダ・ファミリアに住み込み建設に専念したガウディの情熱
1892年に工事が始まった「生誕のファサード」は、ガウディが最初に手がけたファサード(外壁)です。1894年には後陣のファサードが完成し、1899年には生誕のファサードの回廊への入口である「バラの門」が完成しました。1914年以降、ガウディはすべての仕事の依頼を断って後陣のそばにある工房に住み込んで、サグラダ・ファミリアの建設だけに専念しました。1925年の終わりには、生誕のファサードで最初の塔が完成します。使徒バルナバに捧げられた高さ100mの塔で、ガウディが生前に完成を見届けることができた唯一の塔です。ガウディが建設にたずさわった地下礼拝堂と生誕のファサードの2か所は、のちに世界遺産として登録されています。1926年6月7日、ガウディは路面電車にはねられて重傷を負いました。ガウディは建設に没頭するあまり、その身なりに気を遣わなくなっていたため路上生活者と間違われて手当が遅れ、3日後に亡くなってしまいました。サグラダ・ファミリアの地下にあるカルメル礼拝堂に埋葬され、現在もそこに眠っています。

後継者たちの努力によって完成が近づく
ガウディの死後、弟子のドメネツク・スグラニエスがサグラダ・ファミリアの建設の指揮を引き継ぎました。しかし、1936年にスペイン内戦が始まると、ガウディが残した図面やデザイン画、模型、写真のほとんどが失われてしまいました。戦後、焼失していた地下礼拝堂が復元され、建築家フランセスク・デ・パラウ・キンタナによって模型も修復されました。こうした後継者たちの努力よって、最初のガウディの設計に基づいた建設を続けることが可能になったのです。2010年11月7日には、教皇ベネディクト16世によって奉献ミサが行われ、サグラダ・ファミリアは正式に「小バシリカ(小聖堂)」の称号を与えられました。2030年代の完成を目指して現在も建設が進められており、ガウディ没後100周年にあたる2026年には中央に立つ「イエス・キリストの塔」の頂上に十字架の上部が設置され、全体のシルエットは概ね整いました。



執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。