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文明の十字路で発展した仏教芸術
アフガニスタン北東部に位置するバーミヤン渓谷には、1世紀から13世紀頃にかけて築かれた、約1,000基におよぶ石窟寺院からなる一大仏教遺跡群が存在しています。この地はインド、中央アジア、西アジアを結ぶ交通の要衝であり、交易の中継地として栄えました。バーミヤンは、さまざまな宗教や民族が交差する「文明の十字路」であり、遺跡群からは、かつてギリシア人がアム川流域に建国したバクトリア王国固有の芸術や宗教が、インド、ギリシア、ササン朝などの文化と融合し、やがてガンダーラ仏教美術へと変遷していった様子をうかがうことができます。仏教が中央アジアへと伝播し、隆盛を極めたことを示す貴重な遺跡です。
2体の巨大磨崖仏がたどった歴史
遺跡の中で最も目を引くのが、高さ55mの西大仏と、そこから約800m離れた高さ38mの東大仏という、2体の巨大な磨崖仏です。バーミヤンはイスラム勢力の支配下に入った後、僧院は廃止され、時期は明確ではありませんが、両大仏の岩面は切り取られたとされています。それでも、多くの石窟寺院内には壁画が残されていました。ところが、2001年3月、アフガニスタンを制圧したイスラム原理主義勢力・タリバンによって、両大仏は砲撃され、完全に破壊されました。この出来事は世界に大きな衝撃を与えました。石窟寺院内の壁画も約8割が失われたとされています。
磨崖仏破壊後に世界遺産に登録されたバーミヤン
バーミヤンは当初、「バーミヤン渓谷の建造物群」として世界遺産への登録が推薦されていました。しかし、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻以降、政情不安が続いたため、保護・保全が困難であるとして、1983年に審議の延期が決定されました。その後、2001年に両大仏が破壊され、同年のアメリカ軍によるアフガニスタン侵攻によりタリバン政権が崩壊すると、世界中から遺跡の修復と保護への協力が集まりました。こうしてようやく2003年に『バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群』として正式に世界遺産に登録され、同時に危機遺産リストにも登録されました。
アクセス
首都カーブルからバーミヤン渓谷まで車で3時間以上。2025年7月時点で、外務省が発表しているアフガニスタンの危険レベルは4(退避勧告)。
執筆協力者PROFILE
國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。
アクセス
首都カーブルからバーミヤン渓谷まで車で3時間以上。2025年7月時点で、外務省が発表しているアフガニスタンの危険レベルは4(退避勧告)。
執筆協力者PROFILE
國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。
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