ブダペスト:ドナウ河岸とブダ城地区、アンドラーシ通り
ドナウ川西岸のブダ地区と東岸のペスト地区からなるブダペスト

遺産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : ハンガリー 分類 : 文化遺産 登録年 : 1987年 範囲拡大年 : 2002年 登録基準 : (ii) (iv) 遺産の面積 : 4.733㎢ バッファ・ゾーン : 4.938㎢ 座標 : N47 28 56.712 E19 4 14.4

about

中世のバロック様式を特徴とするブダ城を中心としたブダ地区

ブダペストはドナウ川西岸のブダ地区と東岸のペスト地区で構成されていますが、もともとは、ブダとオーブダ、ペストという3つの街でした。この一帯はかつてのローマの都市アクィンクムの跡地でもありますが、13世紀のモンゴル軍の侵攻によって荒廃したこの地にベーラ4世によってブダ城が築かれました。彼は復興に尽力した王として知られていますが、ハンガリーはその後もオスマン帝国の興隆といった苦難の時代を経てきました。17世紀後半にハプスブルク家によって街が奪還されると荒廃していたブダ城はバロック様式で再建されました。ブダ城は時代とともに増改築が繰り返され、幾多の民族支配に翻弄されてきたハンガリーの歴史を象徴する建造物とも言えます。

アンドラーシ通りを中心とした都市計画(ペスト地区)

ペスト地区もブダ地区同様にモンゴル軍の侵攻により荒廃しましたが、本格的な復興は18世紀以降となっています。その大きな契機の一つが1849年にドナウ川に架けられた「くさり橋」で3つの街が1873年に合併するきっかけであり象徴する存在でもあります。1904年に建設されたネオゴシック様式の国会議事堂はブダペストの首都機能を強化するものですが、その都市計画における画期的な存在が1872年に敷設されたアンドラーシ通りです。エルジェーベト広場と英雄広場を結ぶように敷設されたこの大通りを中心とした計画的な都市開発が進められ、1893年からこの大通りの地下に建設された地下鉄1号線はヨーロッパ大陸最古の地下鉄とも言われ、かつ、唯一世界遺産に登録されている地下鉄としても知られています。

アクセス

成田国際空港からリスト・フェレンツ国際空港(ブダペスト)まで乗継便で17~19時間。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

2017年世界遺産検定1級合格。2018年世界遺産検定マイスター合格。2020年世界遺産アカデミー認定講師登録。福井県唯一の世界遺産アカデミー認定講師として、県内の公民館等での生涯学習講座講師として活動中。世界遺産プランニングチームpassword・『みんなで勉強会』リーダー。

Details

Széchenyi Chain Bridge / Széchenyi Lánchíd
ブダペストはもともとブダとオーブダ、ペストという3つの街でした。1849年にイギリス人技術者W.T.クラークの設計によってブダ地区とペスト地区を結ぶ形でドナウ川に架けられた橋がセーチェーニ鎖橋です。鋼鉄の鎖が橋を吊り下げて支えていることからその名が付けられました。この鎖橋によってブダ地区とペスト地区が結ばれ、1873年には3つの街がブダペストとして合併しました。鎖橋は第二次世界大戦中にドイツ軍によって爆破されるという悲劇に見舞われましたが、建設100周年の1949年に再建されました。セーチェーニ鎖橋は、ブダ地区とペスト地区の統合を象徴する記念碑的な建造物というだけでなく、周囲の並木道や丘などとともにブダペストの美しい都市景観を形成しています。
Hungarian Parliament Building / Országház
ブダ城を中心とした歴史的な街であるブダ地区に対して、対岸のペスト地区にはハンガリーの近代化を象徴する建造物が建ち並んでいます。その中でも近代ハンガリーの象徴ともいえる建造物がネオ・ゴシック様式の国会議事堂です。自治国家の象徴たる建物として1884年に建築が始まった議事堂は、20年後の1904年に完成しました。建築家イムレ・スタインドルの設計による議事堂は、全長268mの規模と高さ96mのドーム(クーポラ)を有し、階段や廊下に敷かれた絨毯の総延長は20㎞にも及ぶとされています。当時の首相が「倹約は一切無用」として豪華絢爛に建造された議事堂には約40㎏もの22金が使用されました。また、当時最先端の技術だったセントラルヒーティングシステム、電灯、消火設備、電話が導入されるなど、ロンドン、ウィーン、ミュンヘンなどヨーロッパの主要な都市のそれに匹敵する優れた公共建築の一例とされています。
Buda Castle Quarter / Budai Várnegyed
ドナウ川西岸に広がる「ブダ城地区」は、ブダ城を中心とするエリアです。主にブダ城(王宮)、旧聖ジェルジ広場、居住区の3つに分けることができます。景観にひときわ強い印象を与えるのは、丘の上にそびえるブダ城です。その北側に位置する旧聖ジェルジ広場には、現在大統領官邸として使用されているシャンドール宮殿などが面しています。聖ジェルジ広場のさらに北側には居住区が広がっています。18世紀の外観をもつ1~2階建ての家が多いものの、中世の建築要素をもつ建造物や近代建築が混在した街並みが形成されています。
Buda Castle / Budavári Palota
13世紀前半にタタールの襲来による荒廃の後、ハンガリー国王ベーラ4世は都をブダへと遷しました。そして、ブダ地区の防御に適した丘を城壁で囲み、そこに自身の王室の拠点を築きました。これがブダ城の起源です。その後アンジュー家の国王たちの統治下でゴシック様式の王宮が建造され、神聖ローマ皇帝でもあったハンガリー王ジギスムントによって王宮が拡張され発展します。さらに15世紀のマーチャーシュ1世による増改築で、イタリア・ルネサンス様式が取り入れられました。しかし、16世紀半ばにブダがオスマン帝国による征服を受けると、ブダ城の一部は火薬保管庫として使用されることとなり、その後には火薬の爆発によって壊滅的な被害を受けることとなります。17世紀後半のブダ解放のための戦いの被害もあり、城の丘の建造物の60~70%が破壊されたとされています。
Matthias Church / Mátyás-templom
マーチャーシュ聖堂は、13世紀半ばのブダ城の建造と同時期にベーラ4世によって建造された聖母マリア聖堂が母体となっています。名を冠するマーチャーシュ1世(在位:1458~1490年)はハンガリー王国の最盛期を築いたとされる国王です。人文主義的な国王とされ、大学や図書館、宮廷印刷所を創設しただけでなく、イタリアから建築家や芸術家を宮廷に招き、ブダをヨーロッパにおけるルネサンス芸術の中心地のひとつへと発展させました。マーチャーシュ聖堂は、前述の聖母マリア聖堂をゴシック様式で改築したもので、彼の紋章であるワタリガラスで飾った尖塔などが建造されました。オスマン帝国の占領下では一時モスクに転用され、本来のゴシック様式の部分が失われましたが、19世紀末にオリジナルのディテールを残しつつ、歴史主義的なネオ・ゴシック様式で修復されました。
Citadella
ツィタデッラ(要塞)は、ドナウ川を見下ろすゲッレールトの丘の頂上に築かれた要塞です。ゲッレールトの丘の名は、11世紀に丘の斜面から突き落とされて殉教した司教の名前に由来し、15世紀頃からこのように呼ばれるようになりました。現在の要塞は1848〜49年のハンガリー革命の鎮圧後にブダペストを監視・防衛する目的でオーストリア帝国によって建設されたものです。第二次世界大戦時には防空陣地や防空壕としても使用されました。戦後は観光地として整備され、敷地内には有名な「自由の像」が立ち、現在は歴史展示や展望台、公園などを備えた文化・観光の拠点としてリニューアルされています。なお、ツィタデッラはイタリア語で「城塞」を意味します。
Andrássy Avenue / Andrássy út
アンドラーシ通りは、エルジェーベト広場から英雄広場に延びる通りで、19世紀後半から行われるようになった計画的な都市開発の象徴です。この通りの敷設は、未整備であった郊外エリアを直線的に貫くことで、都市の構造を根本的に変革した意味において重要な意味を持つ存在です。中心街から郊外に向けて延びる道は区間ごとに幅が変わり、建物の高さは徐々に低くなり、中心部の連続した建物から郊外付近の独立したヴィラへの変化を見せています。道路や建物の連続的な変化によって、人工的な建築環境から自然環境へとスムーズに誘導する仕組みを形成しています。

遺産DATA

保有国 : ハンガリー
分類 : 文化遺産
登録年 : 1987年
範囲拡大年 : 2002年
登録基準 : (ii) (iv)
遺産の面積 : 4.733㎢
バッファ・ゾーン : 4.938㎢
座標 :N47 28 56.712 E19 4 14.4

アクセス

成田国際空港からリスト・フェレンツ国際空港(ブダペスト)まで乗継便で17~19時間。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

2017年世界遺産検定1級合格。2018年世界遺産検定マイスター合格。2020年世界遺産アカデミー認定講師登録。福井県唯一の世界遺産アカデミー認定講師として、県内の公民館等での生涯学習講座講師として活動中。世界遺産プランニングチームpassword・『みんなで勉強会』リーダー。