カイロの歴史地区
多くのモスクやミナレットが建設され「1,000のミナレットが立つ街」と呼ばれたカイロ

遺産DATA

地域 : アフリカ 保有国 : エジプト・アラブ共和国 所在地 : Governorate of al-Qahirah (Cairo) 分類 : 文化遺産 登録年 : 1979年 登録基準 : (i) (v) (vi) 遺産の面積 : 5.2366㎢ 座標 : N30 3 0 E31 15 40

about

「1,000のミナレットが立つ街」と呼ばれたイスラム都市

現在のエジプトの首都カイロは、7世紀にアラビアから攻めてきたイスラム・アラブ軍の軍事拠点フスタートを起源とします。10世紀の中頃にファーティマ朝がここに新都市を建設し、そこを「勝利者の都市(ミスル・アル・カーヒラ)」と名づけました。カーヒラの英語読みが「カイロ」です。その後交易等で発展し、政治・経済の面だけでなく、イスラム教の学問と芸術の中心地となりました。13世紀のマムルーク朝の時代にはさらに発展をとげ、町中にモスクやミナレットが建設され「1,000のミナレットが立つ街」と呼ばれました。

アクセス

カイロまでは日本からエジプト航空の直行便がある。またカタール航空やエミレーツ航空の乗継便もある。イスラム地区(歴史地区)までは地下鉄またはタクシーで行ける。

執筆協力者PROFILE

細谷 正文
細谷 正文
大東文化大学・フェリス女学院大学講師/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。

Details

イブン・トゥールーン・モスク

アムル・イブン・アル・アース・モスク

Mosque of Amr ibn al-As

フスタートは7世紀半ばにイスラム軍の総司令官アムル・イブン・アル・アースがアフリカ大陸南進の拠点として築いた軍事拠点で、現在のオールド・カイロ地区といわれる。そこに立つアムル・イブン・アル・アース・モスクは、当初は日干しレンガやヤシなどを建材にして造られていたが、12世紀の十字軍の侵攻の際に破壊され、創建時の姿は現在見ることはできない。
イブン・トゥールーン・モスク

イブン・トゥールーン・モスク

Mosque of Ahmed Ibn Tulun

アッバース朝時代のエジプト総督のアフマド・イブン・トゥールーンが9世紀後半に建設した。ほぼ正方形の平面プランに列柱式の回廊を備えた、アッバース朝時代の特徴をもつモスクである。付随する螺旋状のミナレットはイラクのサーマッラーの大モスクに影響を受けたものと思われる。
スルタン・ハサン・モスクとマドラサ

スルタン・ハサン・モスクとマドラサ

Mosque-Madrassa of Sultan Hassan

14世紀にマムルーク朝のスルタンであったハサンが建設したモスクやマドラサの複合施設で、ハサンの霊廟も含まれている。礼拝・教育・合議さらには埋葬の場としての役割を果たしている巨大な施設。
アズハル・モスク

アズハル・モスク

Al-Azhar Mosque

ファーティマ朝の将軍ジャウハルによって10世紀後半に建設された、中庭と列柱を多用した典型的なモスク。アイユーブ朝時代には金曜モスクとしての地位は失ったが、次のマムルーク朝になってその地位を回復した。モスク創建とほぼ同時に建設されたマドラサは、その後アズハル大学として現在もイスラム教学スンナ派の最高学府となっている。ミナレットが少し不揃いなのは、後の各時代に寄進により個々バラバラに建てられたせい。

遺産DATA

地域 : アフリカ
所在地 : Governorate of al-Qahirah (Cairo)
分類 : 文化遺産
登録年 : 1979年
登録基準 : (i) (v) (vi)
遺産の面積 : 5.2366㎢
座標 :N30 3 0 E31 15 40

アクセス

カイロまでは日本からエジプト航空の直行便がある。またカタール航空やエミレーツ航空の乗継便もある。イスラム地区(歴史地区)までは地下鉄またはタクシーで行ける。

執筆協力者PROFILE

細谷 正文
細谷 正文
大東文化大学・フェリス女学院大学講師/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。