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新大陸の資源を送り出す天然の良港
スペインが他のヨーロッパ諸国に先駆けて新大陸に進出したことは有名ですが、本遺産はそのスペイン黄金時代を今に伝えるものです。1533年6月1日、スペイン人のペドロ・デ・エレディアによって、カリブ海に面した半島に都市カルタヘナ(カルタヘナ・デ・インディアス)が建設されました。細長い地形をもつカルタヘナは、新大陸で産出された金銀やエメラルド、香辛料などを本国スペインへ積み出す港であり、多くの船が停泊できる複数の湾と天然の防御線となる狭い水路を兼ね備えた良港として発展しました。
イギリス海賊の襲来と要塞化
繁栄を遂げたカルタヘナですが、その重要性に目を付けた海賊や外国勢力の攻撃を受けるようになりました。当時、イギリスでは国家が私掠船による海賊行為を公認しており、史上2人目となる世界一周を成し遂げたフランシス・ドレークも、私掠船船長のひとりでした。ドレークは1586年にカルタヘナの港に上陸し、街を占拠しました。スペインは街の解放の代償に莫大な補償金を支払うことになりました。この事件を契機として、スペイン王室は本格的な要塞建設を命じ、同年にイタリア人軍事技師バウティスタ(バッティスタ)・アントネッリの指揮の下で本格的な防衛網の整備が開始されました。16世紀末に長さ約4km、高さ12m、幅17mの城壁が築かれ、17世紀半ばにはサン・フェリペ要塞が完成しました。さらに18世紀には増築され、現在のような大規模な防衛構造が整えられました。要塞群は1741年のイギリス海軍の攻撃をも防ぎきり、ドレークの襲来が結果的にカルタヘナの防衛力を高める皮肉な結果となったのです。
難攻不落の要塞都市
カルタヘナには都市を囲む城壁のほか、水路や湾の出入口を制圧するように要塞や砲台が築かれ、カルタヘナを難攻不落の要塞都市へと変貌させました。カルタヘナの要塞は南米で最も広大かつ最も完成度が高いと言われています。都市内部は、上流階級が住んだサン・ペドロ地区、中産階級の商人や職人が住んだサン・ディエゴ地区、庶民や奴隷などが暮らしたヘツェマニ地区の3つに分かれていました。特にサン・ペドロ地区には、防衛を意識した堅固な造りの大聖堂や、黒人奴隷の救済に尽力したペドロ・クラベールの名を冠するサン・ペドロ・クラベール修道院、バロック様式のファサードをもつ旧宗教裁判所などの重要な建築物が今も残ります。
アクセス
首都ボゴタから飛行機で1時間
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
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世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
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