ESMA 博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点
博物館の正面には、行方不明となった人々の写真が貼られている(ⒸCamilo Del Cerro/Wikipedia/CC BY-SA 4.0)

遺産DATA

地域 : 南米 保有国 : アルゼンチン共和国 所在地 : Autonomous City of Buenos Aires 分類 : 文化遺産 登録年 : 2023年 登録基準 : (vi) 遺産の面積 : 0.00907㎢ バッファ・ゾーン : 0.1677㎢ 座標 : S34 32 11.91 W58 27 55.2

about

旧海軍技術学校敷地内に残る士官宿舎の建物

『ESMA 博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点』は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに所在する旧海軍技術学校(ESMA)の敷地内に位置する旧士官宿舎です。ESMAは1928年から2004年まで使用されていました。アルゼンチンでは、1976年から1983年にかけて軍事独裁政権が続き、その間に国家主導によるゲリラ組織や左翼勢力への弾圧が行われました。この時代は「汚い戦争」とも呼ばれ、反政府的と見なされた活動家、ジャーナリスト、学生など、約3万人の市民が秘密裏に誘拐・殺害されたとされています。ESMAはその拠点のひとつであり、アルゼンチン海軍によって5,000人以上の人々が拘禁されたとされています。

市民に対する違法な拘禁・拷問・殺害の現場

この建物は表向きには高級将校の宿舎として使用されていましたが、実際には市民に対する違法な拘禁、拷問、殺害が行われていました。誘拐された市民は、頭にフードを被せられ、高さ1m、幅60〜70cm、奥行き2mほどの狭小なスペースに収容され、連日にわたり拷問や性的暴行を受けていました。多くの被拘束者は殺害され、中には生きたまま飛行機から海や川に投げ落とされる「死の飛行」と呼ばれる手法も用いられていました。妊娠していた女性は出産後に殺害され、生まれた子どもは軍関係者やその親族に養子として引き渡されました。囚人の財産は没収され、体制批判者への弾圧活動に流用されていました。

2015年より博物館として一般公開

ESMAのように拘禁や拷問が行われた機密拠点は、アルゼンチン国内に少なくとも700ヵ所以上存在していたことが明らかになっています。1977年以降、失踪者の母親たちを中心に、大統領官邸前の5月広場で無言のデモ行進が行われるようになりました。1983年に軍事政権が崩壊し民政移管が行われると、全国失踪者調査委員会(CONADEP)が設置され、被害の実態が次第に明るみに出ました。1985年以降は軍関係者への裁判が始まり、失踪者および不当に養子に出された子どもたちの捜索は現在も続いています。ESMAは2004年にアルゼンチン海軍から政府に引き渡され、2015年より博物館として一般公開されました。国家によって組織的に行われた人道に対する犯罪を非難し、その記憶を継承することを目的としています。

アクセス

ブエノスアイレスのリバダビア駅から徒歩約5分。

執筆協力者PROFILE

市川 賢司
市川 賢司
アレセイア湘南高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。

遺産DATA

地域 : 南米
所在地 : Autonomous City of Buenos Aires
分類 : 文化遺産
登録年 : 2023年
登録基準 : (vi)
遺産の面積 : 0.00907㎢
バッファ・ゾーン : 0.1677㎢
座標 :S34 32 11.91 W58 27 55.2

アクセス

ブエノスアイレスのリバダビア駅から徒歩約5分。

執筆協力者PROFILE

市川 賢司
市川 賢司
アレセイア湘南高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。