構成資産DATA
花に由来する大聖堂
フィレンツェのシンボルでもあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の名前は、「花の聖母マリア大聖堂」という意味で、地名のフィレンツェ(英語名フローレンス)のラテン語の語源「フロレンス(花が咲いた)」と、都市の紋章に用いられているユリの花に由来しています。世界最大級の聖堂の1つで、大聖堂の全長は153m、高さは92mもあります。1296年から、古い教会堂があった場所の上で新たな大聖堂の建設が始まりました。アルノルフォ・ディ・カンビオの設計に従いゴシック様式で建築が進められ、14世紀中ごろからフランチェスコ・タレンティによって拡張されて現在みられる大聖堂の基本形が完成しました。現在は3つの身廊を持つ三廊式バシリカと八角形のサン・ジョヴァンニ礼拝堂、ジョットの鐘楼で構成されています。
1,000年ぶりに復活したドーム天井
15世紀半ばにフィリッポ・ブルネッレスキによって建設されたドームは、八角形の土台の上に2重の円蓋が載せられています。フィレンツェで花開いたルネサンスにおいて人々が拠り所としたのが、古代ギリシャやローマなどの「古典文化」でした。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で見られるドーム型の天井は、水道橋などのアーチ構造を特徴とする古代ローマではよくある天井でしたが、キリスト教が中心の中世西ヨーロッパでは天上世界に近づく「高さ」が重視され、ドーム天井は作られなくなっていました。それが古典文化の再評価の中で採用され、大聖堂は約1,000年ぶりに古典文化が復活したことを象徴する建造物となったのです。
ダンテが愛した礼拝堂
1059年に教皇ニコラウス2世に献堂されたサン・ジョヴァンニ礼拝堂は、4~5世紀頃に建てられた礼拝堂を再建したものです。イタリア・ロマネスクを代表する建築で、ダンテ・アリギエーリは『神曲』の中で、「我が美しいサン・ジョヴァンニ」と記述しています。ロレンツォ・ギベルティによる「天国の門」はルネサンス様式の傑作で、旧約聖書の10のエピソードが描かれています。また、イタリア・ゴシック様式のジョットの鐘楼は、一辺15mの正四角柱で、高さは84.7mもあります。1334年にジョットによって建設が始まり、彼の死後は弟子のアンドレア・ピサーノとフランチェスコ・タレンティが引き継ぎ1359年に完成しました。ジョットの鐘楼の最上階のテラスからは、大聖堂のドームと、オレンジ色の瓦屋根で統一された街並みを一望することができます。
執筆協力者PROFILE
北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。
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執筆協力者PROFILE
北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。