about
ウィーンに次ぐ歴史的な都市
オーストリア南東部にあるグラーツは、シュタイアーマルク州の州都としても知られる、首都ウィーンに次ぐ同国第二位の都市です。人類がこの地に住み始めたのは、新石器時代まで遡ります。14世紀にハプスブルク家領の「内オーストリア」の首都となり、神聖ローマ皇帝のフリードリヒ3世(在位:1453~1493年)の時代には王侯の居住地として発展します。この時代に後期ゴシックで築かれた現在の聖エギディウス大聖堂は、約200年にわたり対抗宗教改革の中心地となりました。1572年にイエズス会が到来すると、内オーストリアを治めていたカール2世大公は、対抗宗教改革を支持しました。当時建設されたイエズス会神学校はドイツ語圏最古のルネサンス建築です。また、同じ頃設立されたイエズス会大学の建物は、マリア・テレジアの命で18世紀に図書館となりました。調度品や装飾はロココ様式から新古典様式への移行を示しています。
稀代の政治家エッゲンベルクの居城
グラーツ歴史地区の西約3kmに位置するエッゲンベルク城は、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の側近であったハンス・ウルリッヒ・フォン・エッゲンベルクの公邸です。もともと一介の商家であったエッゲンベルク家は、15世紀頃から頭角を現し始めます。16世紀末にプロテスタントの大学を卒業したエッゲンベルクは、カトリックに改宗してフェルディナント大公(後のフェルディナント2世)の宮廷に入ります。エッゲンベルクは対抗宗教改革政策などで大公の信頼を勝ち取ると、大公の皇帝即位後は驚異的なスピードで昇進し、帝国内で最も影響力のある政治家の一人にまで上り詰めました。1625年には内オーストリア総督に任命され、政治・司法・軍事の全権を握りました。このような職に任命されることは、ハプスブルク家でも稀なことでした。エッゲンベルクは、自らの威信を示すため元あった城の改築を計画し、イタリア出身でグラーツ宮廷の建築家ピエトロ・デ・ポミスに設計を依頼しました。こうして1625年からエッゲンベルク城の建設が始まりました。

宇宙とエッゲンベルク家の栄光を表現した城
城は、当時のユートピア思想の影響を受けて建設されました。例えば窓の数は365(1年の日数)、各階の部屋の数は31(1ヵ月の日数)、客間の数は24(1日の時間)あるなど、暦の数字に合わせて設計されています。エッゲンベルクが外交使節として赴いていたスペインの宮廷建築の影響を受けており、格子型の平面プランや四隅の塔、外部のシンプルな装飾はスペインの世界遺産「エル・エスコリアール修道院」を想起させるつくりとなっていますが、この四隅の塔も東西南北を示すとともに、4つの季節、4つの要素(火、水、風、地)を象徴しています。1685年に完成した大広間「惑星の間」(プラネテンザール)は、ザルツブルク出身の画家ハンス・アダム・ヴァイセンキルヒャーが手掛けた絵画によって装飾されています。それまではイタリアやオランダの芸術家が手掛けることが多かった大広間の装飾を、オーストリアの画家が主導したという点で貴重です。天井画や壁画は、惑星や星座、数字などをモチーフに、一家を讃える寓意画となっています。2006年には、17世紀初頭の大阪城と城下を描いた「大坂図屏風」が発見されました。以来、大阪城とエッゲンベルク城は友好城郭を提携しているのも大変興味深い出来事です。
アクセス
グラーツへは首都ウィーンから鉄道で約3時間。エッゲンベルク城はグラーツ中央駅からトラムで約7分。冬季(10月31日~翌年3月下旬)は閉鎖される。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
アクセス
グラーツへは首都ウィーンから鉄道で約3時間。エッゲンベルク城はグラーツ中央駅からトラムで約7分。冬季(10月31日~翌年3月下旬)は閉鎖される。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
Similar Heritage
特徴が似た遺産を探す