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ビザンツ帝国千年の都
トルコ北西部のイスタンブルは、アナトリア半島、バルカン半島、黒海、地中海の間に位置し、ヨーロッパとアジアを隔てるボスフォラス海峡の両岸にまたがる、トルコ最大の都市です。その立地が表すように、ヨーロッパとアジアの文明が交差する十字路であり、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国といった大帝国の都が置かれてきました。都市の起源は紀元前7世紀頃に遡り、古代ギリシャの都市国家メガラが、王の名にちなみビザンティオンという名の都市を建設したことが始まりとされています。2世紀末に、ローマ帝国に占領されて「ビザンティウム」と改名。330年には帝都がローマからこの地へと遷され、当時のローマ皇帝コンスタンティヌスの名にちなんで都市名は「コンスタンティノポリス」(コンスタンティノープル)と名付けられました。395年にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンティノープルはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都となりました。西ローマ帝国はわずか80年後の476年に滅亡したのに対し、ビザンツ帝国はその後1,000年以上も続きました。また、1054年キリスト教会が東西に分裂すると、西のローマはカトリック教会、東のコンスタンティノープルはギリシャ正教会の本拠地となりました。
オスマン帝国の都イスタンブルへ
11世紀になると、現在のイランやイラク、トルクメニスタンを拠点としていたイスラム王朝のセルジューク朝がアナトリア半島に侵入、さらに聖地エルサレムを支配下に置き、ビザンツ帝国を脅かしました。ビザンツ皇帝のアレクシオス1世コムネノスは、ローマ教皇ウルバヌス2世に救援を要請し、1095年のクレルモン宗教会議をもって聖地回復を目指す十字軍が組織されることになりました。しかし、ヴェネツィア商人の主導で行われた1204年の第4回十字軍はコンスタンティノープルを攻略し、ラテン帝国を樹立しました。1261年にビザンツ帝国の亡命政権であったニカイア帝国がコンスタンティノープルを奪還し、ビザンツ帝国は再興されますが、かつての勢いは失われていました。さらに、1300年前後にはアナトリアにイスラム王朝のオスマン朝が成立。帝国内の地方都市を占領し勢力を拡大するオスマン朝に、次第に圧迫されていきました。そして1453年、メフメト2世によってコンスタンティノープルは陥落し、ビザンツ帝国は1,000年以上の歴史に幕を下ろしました。街はオスマン帝国の新都となり、「イスタンブル」と呼ばれるようになりました(正式名称はコンスタンティニエ)。イスタンブルには歴代のスルタンによって、オスマン帝国の繁栄を象徴するような巨大なモスクや豪奢な宮殿が建設されました。17世紀頃まで帝国の繁栄は続きますが、それ以降は徐々に衰退。第一次世界大戦で敗戦し、帝国解体の危機が迫ると、1923年にトルコ共和国成立に伴いオスマン帝国は滅亡し、首都はアンカラへ遷されました。
旧市街の4つエリアが世界遺産
イスタンブルの街は、黒海とマルマラ海を結び、アジア(東側)とヨーロッパ(西側)の2つの大陸を隔てるボスフォラス海峡にまたがって広がっています。世界遺産に登録されたのは、ヨーロッパ側のうち、金閣湾の南に位置する旧市街の4つのエリアです。海沿いの「スルタンアフメト地区」、「スレイマニエ・モスクとその周辺」、「ゼイレク・モスクとその周辺」、旧市街の西側に延びる「城壁」の4つのエリアです。これらのエリアには、歴代スルタンの政務と住居の場であったトプカプ宮殿、オスマン建築の代表例と名高いスレイマニエ・モスクなど、オスマン帝国時代に建造された豪奢な建築が残されています。また、ギリシャ正教会の総本山をモスクへと転用したアヤ・ソフィアや、ローマ帝国時代の競馬場の遺跡、5世紀のビザンツ皇帝テオドシウス2世が整備した城壁、6世紀のビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世が築いた地下宮殿(貯水池)など、イスタンブルの長く複雑な歴史を物語る建造物や遺跡も点在しています。
アクセス
東京・成田空港からイスタンブル空港まで、直行便で約14時間。空港から市内へは、エアポートバスを使用し、約1時間半。
執筆協力者PROFILE
東京外国語大学言語文化学部卒。在学中にパレスチナやヨルダンなど中東地域への留学を経験。大手メディア企業勤務を経て、2021年より現職。書籍やテレビ番組等の監修を行う。
Properties
アクセス
東京・成田空港からイスタンブル空港まで、直行便で約14時間。空港から市内へは、エアポートバスを使用し、約1時間半。
執筆協力者PROFILE
東京外国語大学言語文化学部卒。在学中にパレスチナやヨルダンなど中東地域への留学を経験。大手メディア企業勤務を経て、2021年より現職。書籍やテレビ番組等の監修を行う。
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