ゼイレク・モスク
左(南側)からパントクラトール教会、礼拝堂、生神女教会が連なる

構成資産DATA

宗教と医療・教育の場を備えた空間

ゼイレク・モスクは、ビザンツ皇帝のヨハネス2世コムネノス(在位:1118~1143年)と、その最初の皇后であるエイレーネーによって、1118~1136年にかけて建設されたパントクラトール(全能者ハリストス)修道院の一部を前身としています。南側のパントクラトール教会と、北側の生神女教会、両者を結ぶ礼拝堂で構成されていました。修道院には図書館や病院が含まれ、礼拝堂にはヨハネス2世コムネノスをはじめとするコムネノス朝やパレオロゴス朝の皇帝が埋葬されるなど、宗教儀礼、医療、教育の場を兼ね備えていたようです。しかし、1204~1261年のラテン帝国期には、パントクラトール修道院が所蔵していた多くの聖遺物や聖具がヴェネツィアへと持ち去られ、建物も大きな損傷を受けました。

イスタンブル初の教育機関

1453年にオスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープルを陥落させた後、修道院はマドラサ(神学校)へと転用され、初代校長の名にちなんで「モッラ・ゼイレク・ジャーミィ」と呼ばれるようになりました。オスマン帝国のイスタンブルにおいては、最初の教育機関となりました。旧教会はモスクや礼拝所として利用されたようです。1766年に発生した地震と火災で壊滅的な被害を受けた際には大規模な修復が行われ、木製の装飾やバロック様式のミンバル(説教壇)やミフラーブ(メッカの方向を示す壁に設けられたくぼみ)などが追加されました。2010年からは全面的な修復作業が行われ、2019年に一般公開が再開しました。

ゼイレク・モスク
2009年から9年間に及ぶ修復事業が開始され、2019年に再公開された(©nexusseven/Adobe Stock)

12世紀コンスタンティノープルを代表する建築美術 

パントクラトール修道院は、イスタンブルに現存するビザンツ教会建築としては、アヤ・ソフィアに次ぐ第二の規模を誇ります。平面プランはビザンツ建築に典型的な「内接十字(クロス・イン・スクエア)式」で、正方形の内部に十字形の空間を組み込んだような構造となっています。建設には石材とレンガが使用され、外壁からは2つの層が交互に重なっている様子を見ることができます。南北の教会の床は、「オプス・セクティレ」と呼ばれる象嵌技法によって描かれた大理石装飾の痕跡があり、神話的場面や黄道十二宮などを題材とする図像が描かれていました。また、フレスコ画の断片が残るほか、かつてステンドグラスの窓が存在していたことをうかがわせる証拠も見つかっています。12世紀のコンスタンティノープルにおけるビザンツ建築と美術の高度な水準を今に伝えています。

ゼイレク・モスク
北側のドーム天井。修復前まで、北側の教会は長期間放置されていた(©senerdagasan/Adobe Stock)

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー研究員

東京外国語大学言語文化学部卒。在学中にパレスチナやヨルダンなど中東地域への留学を経験。大手メディア企業勤務を経て、2021年より現職。書籍やテレビ番組等の監修を行う。

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東京外国語大学言語文化学部卒。在学中にパレスチナやヨルダンなど中東地域への留学を経験。大手メディア企業勤務を経て、2021年より現職。書籍やテレビ番組等の監修を行う。