
about
16~20世紀にわたる銀鉱山の歴史的遺構
石見銀山は、16世紀から20世紀にかけて銀の採掘が行われた鉱山遺跡で、鉱山跡、精錬施設、鉱山町、街道、港町などが含まれます。これらの遺構は、当時の銀生産技術や人々の暮らしを物語っており、特に600ほどある手掘りの坑道「間歩」は、ノミと金槌で掘られた跡が残っており、当時の技術を今に伝えています。 また、銀生活や住民たちの生活で仕様された薪炭材の供給源であった森林をはじめ、豊かな自然環境も残されています。
革新の連鎖で発展した日本の銀生産拠点
石見銀山は博多商人の神屋寿禎によって開発が進められました。その後朝鮮から伝来した灰吹法という新たな技術を用いて銀精錬が行われるようになると、石見での銀生産量は飛躍的に増大しました。1600年の関ケ原の戦いの後、石見地方は徳川幕府の支配下に置かれ、奉行としてこの地にも派遣された大久保長安が鉱山経営を担いました。長安は新たな拠点となる大森地区の整備などを進め、銀山経営の一部を山師と呼ばれる民間の業者に委ねるなど様々な改革を行いました。
アジア・ヨーロッパとの交易を支えた銀の供給拠点
石見銀山で生産された銀は、16~17世紀の大航海時代において、アジアやヨーロッパとの交易において重要な役割を果たしました。当時、日本は世界の銀の3分の1を産出していたとされ、その多くが石見銀であり、年間1,000~2,000kgもの銀が生産されていました。その後銀の産出量は減少し、明治維新後の1869年には明治政府によって民間業者へと払い下げられ、1923年には休山となりました。
アクセス
JR山陰本線の大田市駅からバスで約30分。または山陰自動車道大田I.Cから約15分。
執筆協力者PROFILE
福島県出身。世界遺産や絶景、離島などを求め、国内に留まらず70カ国以上を旅するほどの旅好き。普段は上場企業の会社員として働きながらトラベルライターや小笠原諸島のアンバサダーなど、世界遺産や旅を軸に多岐にわたり活動を行っている。
アクセス
JR山陰本線の大田市駅からバスで約30分。または山陰自動車道大田I.Cから約15分。
執筆協力者PROFILE
福島県出身。世界遺産や絶景、離島などを求め、国内に留まらず70カ国以上を旅するほどの旅好き。普段は上場企業の会社員として働きながらトラベルライターや小笠原諸島のアンバサダーなど、世界遺産や旅を軸に多岐にわたり活動を行っている。
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