ジャームのミナレットと考古遺跡群
ゴール朝の夏の首都だったと考えられている場所に立つミナレット。深い渓谷の中にある(ⒸAhmadElhan/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0

遺産DATA

地域 : 西・南アジア 保有国 : アフガニスタン・イスラム共和国 所在地 : Shahrak District, Ghur Province 分類 : 文化遺産 登録年 : 2002年 危機遺産 : 2002年~ 登録基準 : (ii) (iii) (iv) 遺産の面積 : 0.7㎢ バッファ・ゾーン : 6㎢ 座標 : N34 23 47.1 E64 30 57.2

about

ゴール朝のスルタンにより建立された高さ65mの塔

ジャームのミナレットは、アフガニスタンのヘラートの東約215km、ハリルド川とその支流ジャーム川の合流地点のほとり、そびえ立つ山々に挟まれた深い渓谷に位置しています。焼成レンガによって築かれた高さ65mの塔であり、基壇は八角形で直径9m、塔身は円筒形で4層構造となっています。ミナレットは幾何学模様のレリーフで全面を覆われており、トルコ石タイルで刻まれたクーフィー体アラビア文字の装飾が施されています。1194年、ゴール朝のスルタン、ギヤス・ウッディーン(1153〜1203)によって建立されたこのミナレットは、ゴール朝の夏の首都であった古代都市フィルーズクーの跡地を示すものと考えられています。建造の目的については不明であり、モスクが失われてミナレットのみが残ったという説など、諸説が存在しています。

中央アジアにおけるイスラーム建築と装飾の優れた例

ジャームのミナレットは、当時の卓越した芸術的創造性と建築工学の粋を示す、保存状態の良好な数少ない建造物の一つです。その建築様式と装飾は美術史の観点からも極めて優れており、この地域における初期の発展要素を巧みに融合させ、後世の建築に多大な影響を与えました。この優美にそびえる建造物は、中央アジアにおけるイスラーム時代の建築と装飾の傑出した例とされ、1202年に着工され14世紀初頭に完成したデリーのクトゥブ・ミナールに見られるように、イスラーム建築と装飾がインドに伝播するうえで重要な役割を果たしました。

保存状態の良い希少な建造物の一つ

約800年前にミナレットが建立されて以来、この地域では再建や大規模な修復工事は一度も行われていません。考古遺跡は、1957年に考古学者によって初めて発見され、調査・記録がなされました。その後の調査や研究は、ミナレットの基部に予防的な安定化措置を講じるにとどまっています。長年にわたる武力紛争による損傷、不法な発掘や略奪、河川からの浸水による倒壊や水没の危機などの理由から、ジャームのミナレットと考古遺跡群は2002年に世界遺産に登録されると同時に、危機遺産リストにも記載されました。

アクセス

アフガニスタンの首都カブールから車で約9時間。2025年7月時点でアフガニスタン全土には外務省より危険情報レベル4「退避勧告」が発令されており、渡航は認められていない。

執筆協力者PROFILE

市川 賢司
市川 賢司
アレセイア湘南高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。

遺産DATA

所在地 : Shahrak District, Ghur Province
分類 : 文化遺産
登録年 : 2002年
危機遺産 : 2002年~
登録基準 : (ii) (iii) (iv)
遺産の面積 : 0.7㎢
バッファ・ゾーン : 6㎢
座標 :N34 23 47.1 E64 30 57.2

アクセス

アフガニスタンの首都カブールから車で約9時間。2025年7月時点でアフガニスタン全土には外務省より危険情報レベル4「退避勧告」が発令されており、渡航は認められていない。

執筆協力者PROFILE

市川 賢司
市川 賢司
アレセイア湘南高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。