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豊富な樹木と水生資源に恵まれた北日本
『北海道・北東北の縄文遺跡群』は、北海道・青森県・秋田県・岩手県の4道県にまたがる17の縄文遺跡で構成されています。縄文時代は、日本の先史時代のうち、約1万5,000年前から2,400年前までの期間を指します。これらの遺跡群が位置する北日本は、山地、丘陵地、平野、低地といった多様な地形に加え、内湾や湖沼、水量の豊かな河川などを擁し、森林資源と水産資源に恵まれた地域です。ブナを中心とする冷温帯落葉広葉樹林が広がり、暖流と寒流が交わることで沖合には理想的な漁場が形成されています。また、河川にはサケやマスなどの回遊魚が遡上します。こうした環境の中で、北日本に暮らしていた人々は安定した食料を確保し、約1万5,000年前に土器を使用した定住生活を始めました。その後、縄文人たちは1万年以上にわたって農耕文化へ移行することなく、狩猟・漁労・採集を中心とした生活を続けてきました。
定住生活と複雑な精神文化を示す遺跡群
縄文人は、約1万5,000年前に定住生活を始めました。これは土器の使用に始まり、やがて恒久的な住居や祭祀場の建設、そして年間を通じて近隣の資源を活用するようになったことから明らかです。縄文人は定住生活の初期段階から、すでに複雑な精神文化を育んでいました。彼らは墓を造り、捨て場(盛土、貝塚)や人工の土塁、儀式や祭儀に用いられる環状列石を築いています。これらは、祖先崇拝や自然崇拝、自然の恵みへの祈り、さらには世代を超えた社会的な絆を確かなものにするために設けられたと考えられます。
大規模な拠点集落であった三内丸山遺跡
青森県青森市にある三内丸山遺跡は、縄文時代中期にあたる約5,000~4,200年前頃にかけての大規模な拠点集落跡であり、祭祀場を備えた顕著な集落遺跡です。遺跡は河岸段丘上に位置し、北側には竪穴建物や大型竪穴建物からなる居住域があり、東側には墓域が明確に区分されています。また、貯蔵施設や大型掘立柱建物跡、捨て場、盛土なども存在していました。大型掘立柱建物跡は、地面に穴を掘って柱を建てた建物の痕跡であり、柱穴は直径約2m、深さ約2m、間隔は4.2mありました。その中には直径約1mのクリの木柱が残っていました。地下水が豊富であったことに加え、木柱の表面と底を焦がすことで、腐らずに残っていたのです。これは6本柱によって支えられた長方形の大型高床建物であったと考えられています。また、遺跡からは多くの土偶やヒスイの大珠など祭祀用の道具類も出土しており、自然崇拝や先祖崇拝が継続して行われていたことがわかります。
アクセス
【三内丸山遺跡】JR青森駅「⑥青森市営バス乗り場」から市営バス「三内丸山遺跡」行に乗車し、「三内丸山遺跡前」で下車。同じくJR青森駅西口「②のりば」からねぶたん号(シャトル・ルートバス)に乗車し、「三内丸山遺跡前」で下車。どちらも所要時間約30~40分。JR新青森駅からは東口3番乗り場からねぶたん号に乗車し、「三内丸山遺跡前」で下車。所要時間約15分。青森空港からは、車または空港発着の予約型乗合タクシーで約30分。
執筆協力者PROFILE
國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。
アクセス
【三内丸山遺跡】JR青森駅「⑥青森市営バス乗り場」から市営バス「三内丸山遺跡」行に乗車し、「三内丸山遺跡前」で下車。同じくJR青森駅西口「②のりば」からねぶたん号(シャトル・ルートバス)に乗車し、「三内丸山遺跡前」で下車。どちらも所要時間約30~40分。JR新青森駅からは東口3番乗り場からねぶたん号に乗車し、「三内丸山遺跡前」で下車。所要時間約15分。青森空港からは、車または空港発着の予約型乗合タクシーで約30分。
執筆協力者PROFILE
國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。
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