
about
時計産業の街のはじまり
「ラ・ショー・ド・フォン」と「ル・ロクル」はスイスのジュラ山脈の麓で隣り合う2つの街です。農業には向かないこの地では、時計製造に特化した独自の都市開発が行われてきました。そのきっかけは、フランスで時計製造に従事していたユグノー(プロテスタント)が宗教的迫害を恐れてこの一帯に移住して来たこととされています。さらに転機となったのが、18世紀末の大火災です。甚大な被害を負った街は「時計産業」というこの地で続く1つの産業に特化して再建されまた。
都市設計へ採用された工夫と配慮
時計製造に特化した都市設計は街の随所で感じることができます。街は職人が働きやすくなるように居住区とアトリエ地区が入り組むように配置され、どの建造物にも日当たりが良くなるように建物の向きが統一されています。そして、大きな窓から自然光を取り入れやすいように時計職人のアトリエは最上階に置かれるなど配慮がなされています。また、建物と建物の間を広く取ることで日当たりを良くするほかに、火災時の延焼を防ぐ工夫がなされています。更に、雪深い山脈の麓の街ということで除雪がし易いようにもなっています。このような都市設計によって大火災を負った街は再開発され19世紀半ばには山の斜面にまで都市が広がっていきました。
現在も生きる時計製造の都市
都市の再建は19世紀末~20世紀にかけての家内制手工業から工場制手工業への変遷に上手く適合していきました。さらに20世紀初頭、ラ・ショー・ド・フォンはアール・ヌーヴォーの都市としても注目を集めます。19世紀の経済学者カール・マルクスは『資本論』の中で、労働の分業について考察した際に、ラ・ショー・ド・フォンに触れて「巨大な工業都市」と表現しています。当時は人件費が安価だったこともあり、多数の時計メーカーがこの地に工場をつくりました。全盛期にはスイス時計の約半数を製造していたこの地では、現在でもタグ・ホイヤーやジラール・ペルゴをはじめとする高級時計メーカーが本社を構えています。2020年にはジュラ山脈一帯で受け継がれる時計職人の技が「スイス・フランスの機械式時計の職人技能」として無形文化遺産にも登録されています。
アクセス
【ラ・ショー・ド・フォン】ジュネーブやチューリッヒから列車で2時間弱。/【ル・ロクル】ラ・ショー・ド・フォンから列車で約9分。
執筆協力者PROFILE
広島県出身。平和継承の入口として世界遺産検定を受験。現在は認定講師として大学、専門学校等で講座実施。2021年にポッドキャスト「行きたくなる世界遺産!」(地域情報/トラベル部門最高2位獲得)を開設しパーソナリティを務めつつ世界遺産関連施設で番組イベントを開催。
Properties
ラ・ショー・ド・フォン
La Chaux-de-Fonds
ル・ロクル
Le Locle
アクセス
【ラ・ショー・ド・フォン】ジュネーブやチューリッヒから列車で2時間弱。/【ル・ロクル】ラ・ショー・ド・フォンから列車で約9分。
執筆協力者PROFILE
広島県出身。平和継承の入口として世界遺産検定を受験。現在は認定講師として大学、専門学校等で講座実施。2021年にポッドキャスト「行きたくなる世界遺産!」(地域情報/トラベル部門最高2位獲得)を開設しパーソナリティを務めつつ世界遺産関連施設で番組イベントを開催。
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