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タタールの脅威
13世紀は「モンゴルの世紀」と言われるように、チンギス・ハーンを初代とするモンゴル帝国は、空前絶後の大帝国を形成します。その脅威はヨーロッパにもおよび、ドイツ・ポーランド軍がモンゴル軍と戦った1241年の「ワールシュタットの戦い」は世に有名です。ヨーロッパの人々は彼らを「タタール」と呼び、恐れました。そのタタール人の襲来に備えて築かれたのがスピシュ城です。現在の城の原型は12世紀のもので、15世紀頃からはルネサンスやバロック様式の建物が次々と増築されました。18世紀には軍隊の駐屯地となりましたが、1780年に火災が発生し、以降廃墟となりました。
中世ヨーロッパの典型的な歴史都市を色濃く残す
世界遺産登録当初は、スピシュ城とその付近の城下町が登録されていましたが、2009年に登録範囲が拡大し、レヴォチャの歴史地区もその価値が認められました。レヴォチャは13~14世紀に建設された城塞都市で、彫刻家マスター・ポールの作品や後期ゴシック様式からルネサンス様式の建造物で有名です。また、スピシュ城の城下町のひとつであるスピシュスカー・カピトゥラには、100件ほどの歴史的建造物が残り、聖マルティン聖堂などの貴重な聖堂が残ります。このように軍事・政治・宗教などの全ての要素を兼ねた都市は、中世ヨーロッパでは一般的だったのですが、ここまで完全に残るものは少なく、非常に価値があると言えます。中心のスピシュ城はブラニスコ山麓の丘の上に建てられており、廃墟になってはいますが、静かに城下町を見守っています。
アクセス
首都ブラチスラバから電車でコシツェまで行き、そこからバス。合計8時間。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
アクセス
首都ブラチスラバから電車でコシツェまで行き、そこからバス。合計8時間。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
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