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台地の上に残る自然の要塞
マサダ国立公園は、イスラエルの死海を見下ろす高さ約400mの孤立した台地の上に、紀元前1世紀、ユダヤ王国のヘロデ王がローマ様式の豪華な宮殿を建設した場所です。マサダは、紀元66年、ローマ帝国への不満がくすぶる中、属州のユダヤ人が反乱を起こした際(ユダヤ戦争)、1,000人近いユダヤ人が「最後の砦」として籠城した要塞でもあります。最後は、ローマ軍に包囲されたユダヤ人が集団自決の道を選びましたが、当時の遺物や関連遺構はいまだに岩の下に眠っているものもあり、広大な遺跡は、荒々しくも美しい自然の景観の中に溶けこんでいます。マサダの名前は、アラム語の「ハ・メサド(城塞)」が由来とされています。
ユダヤ人のディアスポラの始まり
不毛で乾燥した丘の頂上には、宮殿だけでなく、浴場や兵舎なども整えられました。特に雨水を集めて貯水する水道システムは洗練されており、2〜3年もの間およそ1,000人が暮らすことができるほどだったと考えられています。ユダヤ戦争が起こり、紀元70年にローマ軍の激しい攻撃を受けて本拠地のエルサレムが陥落した後、多くのユダヤ人が集まったのが、このマサダでした。最後は反乱軍の960人がローマ軍の捕虜となることを拒んで集団自決を遂げました。このマサダの陥落をきっかけに、ユダヤ人のディアスポラ(離散)が始まりました。このためマサダは、ユダヤ人にとって極めて重要な地であり、文化的アイデンティティの象徴となっています。
1828年に再発見、13世紀以上手つかずの遺跡
人里離れた場所と、ユダヤ砂漠の南端の厳しい気候のため、6世紀にビザンツ帝国時代の修道院の集落が解散した後、マサダ遺跡は1828年に再発見されるまで13世紀以上手つかずのままでした。現在、マサダの土地と緩衝地帯はイスラエル国が所有しており、遺跡は1978年の古物法によって保護されています。1966年以来、マサダの敷地全体とその周辺は、1998年の国立公園、自然保護区、国定史跡および記念物法によって、国立公園に指定されています。2000年にマサダの東側の平原に新しいビジターセンターがオープンしており、年間125万人の訪問者を受け入れられるように整備されています。
アクセス
エルサレム中央バスステーションからマサダ方面行きのバスが運行。ビジターセンターと山頂を接続するケーブルカーがある。
執筆協力者PROFILE
中央大学文学部卒業。慶應義塾大学大学院修了(MBA)。元民放ニュースキャスターで、NHKに転職後、解説委員として世界遺産の価値や課題を取材・解説。学芸員、防災士の資格をもつ。文化審議会文化政策部会の委員を務めた(15〜20期)。
アクセス
エルサレム中央バスステーションからマサダ方面行きのバスが運行。ビジターセンターと山頂を接続するケーブルカーがある。
執筆協力者PROFILE
中央大学文学部卒業。慶應義塾大学大学院修了(MBA)。元民放ニュースキャスターで、NHKに転職後、解説委員として世界遺産の価値や課題を取材・解説。学芸員、防災士の資格をもつ。文化審議会文化政策部会の委員を務めた(15〜20期)。
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