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50年余りという短い期間に達成された急速な工業化
「明治日本の産業革命遺産」は23件の構成資産からなり、九州5県(福岡県、長崎県、佐賀県、鹿児島県、熊本県)、山口県、岩手県、静岡県の全国8県11市に点在しており、シリアル・ノミネーションとして登録されています。現在も稼働中の資産を含むため、文化財保護法だけでなく、港湾法や景観法などを組み合わせて保護計画が立てられており、文化庁だけでなく内閣官房が推薦を行いました。江戸末期から明治時代の約半世紀という短い期間で近代化を達成し、すでに産業革命を成し遂げていた西欧の技術を学ぶことで、急速な産業化を果たした歴史的価値を証明する産業遺産群です。これは、西洋から非西洋諸国への工業化の移転が初めて成功した事例であるといえます。19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、日本は特に防衛面の要請に応えるため、「製鉄・製鋼」、「造船」、「石炭産業」を基盤に急速な産業化を成し遂げました。
3つの段階に分けられる急速な工業化
1850年代から1910年までのわずか50年余りという短期間に達成されたこの急速な工業化は、大きく3つの段階に分けられます。第1段階は、1850年代から1860年代にかけて徳川将軍家の統治が終わりを迎える幕末に、海外との交流が閉ざされた海禁体制下で製鉄や造船に試行錯誤しながら挑戦していた時代です。第2段階は、1860年代から明治維新を経て西洋の科学技術が導入され、西洋の専門家のもとで専門知識の習得が行われた時代です。第3段階は、1890年から1910年の明治時代後期において、国内に専門知識をもつ人材が育ち、日本独自のスタイルに改良された方法で産業化を進めた時代です。
鋼鉄を生産する日本初の銑鋼一貫製鉄所
官営八幡製鐵所は、明治維新後の産業近代化に伴う鉄鋼需要の高まりに対応するため、鋼鉄を生産する日本初の銑鋼一貫製鉄所として1897年に着工され、1901年に操業を開始した官営工場です。日清戦争の下関条約によって莫大な賠償金を得た日本は、筑豊炭田に近く洞海湾に面した八幡村に、ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ社の設計・施工により製鉄所を建設しました。1910年には、国内鋼材生産量の90%以上を担っていました。官営八幡製鐵所は、「旧本事務所」、「修繕工場」、「旧鍛冶工場」で構成されています。「旧本事務所」は、八幡製鐵所の操業2年前の1899年に完成した初代本事務所で、中央にドームをもつ赤レンガ造りの2階建てであり、屋根は日本瓦葺きです。「修繕工場」は、製鐵所で使用する機械の修繕や部材の製作・加工を目的に1900年に建設された日本最古の鉄骨建造物で、現在も現役の工場として使用されています。「旧鍛冶工場」は、製鐵所建設に必要な鍛造品の製造を目的として1900年に建設された鉄骨建造物です。
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執筆協力者PROFILE
國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。
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執筆協力者PROFILE
國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。
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