藤原鎌足の病気回復を願って造営されたのが始まり
法相宗の大本山である興福寺は、その前身である「山階寺」が669年に造営されたのが始まりです。これは、藤原鎌足が大病した際、妻である鏡女王が夫の回復を祈願し、釈迦三尊や四天王といった諸仏を安置するために建てたものと言われています。のちに飛鳥の「厩坂寺」を経て、平城遷都に伴い平城京に移されて興福寺となりました。ここは藤原氏一門の氏寺ですが、主要堂塔の建立の発願は、天皇や皇后によるものが多いことが特徴です。平安時代以降は再三の火災に見舞われながらも、その都度復興を遂げてきました。そうした背景には、藤原一族の強大な権力がありました。
運慶の晩年の名作も安置される北円堂
藤原不比等の一周忌供養にあたる721年に建造された「北円堂」は、興福寺の境内では西の隅に位置していますが、ここはかつて平城京を一望でき、都の造営を主導した不比等の菩提を弔うのにふさわしい場所でした。1180年、兵火によって全焼した後、1210年頃に再建された現在の建物は、三重塔とともに興福寺で最古の建造物です。また、国内に現存する八角円堂のなかでも、北円堂はひときわ優美な建築と評されています。内陣には、鎌倉時代を代表する仏師・運慶の晩年の名作として知られる、本尊の弥勒如来坐像や無著・世親菩薩立像をはじめ、四天王立像などが安置されています。

五重塔は120年ぶりの保存修理工事を実施
当時の仏教寺院では権威の象徴であった「五重塔」は、光明皇后の発願で730年に建立されました。以来、落雷や兵火、類焼など5度にわたる焼失と再建を経て今に至っています。現在の塔は1426年に完成した6代目で、室町時代における純和様の代表的な例です。高さは約50mあり、日本の木造塔の中では、京都の教王護国寺の五重塔(約55m)に次ぐ2番目の高さとなっています。奈良県内では最も高い建物で、猿沢池から眺める五重塔はこの地を代表する景観の1つです。明治維新後には荒廃を極め、五重塔が売却されるという噂が広まったこともありました。現在、1901年以来となる大規模な保存修理工事が実施されています(修理の完了は、2034年を予定)。

執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。