すべてのものの幸福を願ってつくられた大仏
「奈良の大仏」で知られる東大寺は、1,300年近い歴史をもつ華厳宗大本山の寺院です。東大寺という名称は、平城京の東方に建てられた官大寺であることに由来します。創建当時、平城京では政変や反乱、自然災害などが相次ぎ、疫病も流行っていました。聖武天皇はそうした社会的不安を仏教の力で鎮めようと全国に国分寺の建立を命じました。その頂点に立つ総国分寺として位置づけられたのが東大寺です。生きとし生けるすべてのものの幸福を願いつくられた大仏は、752年に開眼供養会が盛大に営まれました。高さが約15mという世界最大級の金銅仏である大仏とそれを安置する大仏殿の造営には、延べ260万人もの人々が関わったと伝えられています。なお、大仏は正式には「盧舎那仏」もしくは「毘盧舎那仏」と言います。
鎌倉時代に再建された南大門
東大寺の正門である「南大門」も見どころの1つです。創建時の門は、平安時代に暴風で倒壊してしまったため、いま見られる門は鎌倉時代に再建されたものです。このとき復興にあたった重源上人によって、新たに中国の宋の様式を導入した「大仏様」という建築様式で築かれました。高さが25mもある門は、貫と呼ばれる水平材が多用されるなど、力強い構造となっています。そして、門の左右には、今にも動き出しそうな迫力の金剛力士像が安置されています。この像は、運慶・快慶をはじめとする仏師たちによって、わずか69日間で造像されました。

平安時代には「八宗兼学」の学問寺へと発展
鎮護国家の使命を帯びていた東大寺は、仏教の教理を広く研究し、優秀な学僧を養成する最高学府としての役割も果たしていました。奈良時代には「南都六宗」(華厳宗、三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗)の研究拠点となり、平安時代に入ると天台宗と真言宗も加わって「八宗兼学」の学問寺へと発展しました。これは、現代における「国立総合大学」のような機能を備えていたと言えます。大仏殿の北側にある「講堂」跡は、かつて僧侶が経典の講義などを行った場所で、いまも礎石が芝生の上に整然と残されています。東大寺の創建時に設けられた講堂は室町時代までに3度の火災記録が残されています。2度再建されましたが、3度目の火災後は再建されることはありませんでした。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。