
about
世界遺産誕生のきっかけとなった大プロジェクト
エジプトの最南部からスーダン北部にかけてのナイル川沿いのヌビア地方は、アフリカ奥地との交易の中継地として栄え、紀元前1500年以降のエジプト新王国時代には多くの建築物が建てられました。しかし、1959年にアスワン・ハイ・ダムの建設計画が発表されると、遺跡群が水没してしまうことになり、ユネスコが世界に向け「遺跡救済キャンペーン」を展開することとなりました。その結果、多くの国からの支援でアブ・シンベル神殿他20件以上の移築が進み、多くの遺跡が水没から救われました。この時の「人類共通の宝物」という概念が、後の世界遺産誕生のきっかけとなりました。
どこまでもラメセス2世一色の大神殿
アブ・シンベル神殿は紀元前13世紀の新王国時代の王(ファラオ)で「建設王」といわれたラメセス2世が建設したもので、ナイル川沿いの高い岩山を掘削して造られた神殿です。自己顕示欲が旺盛であったラメセス2世は、入口に高さ22mの巨大な自分の像を4体並べ、さらに神殿最奥部には太陽神ラー・ホルアクティ、国家神アメン・ラー、守護神プタハと並んで神格化された自分の像を置き、年に2回差し込む太陽光線によって照らし出されるような設計としました。内部の壁にも彼の生前の業績が壁いっぱいに描かれています。どこまでも「ラメセス2世の神殿」なのです。
神殿を移築して島の名前まで変えたフィラエ島
ナイル川に浮かぶ小島であったフィラエ島には、女神イシスを祀るイシス神殿などの遺跡がありました。これらはローマ時代の皇帝にも大事にされた貴重なものでしたが、ユネスコの遺跡群救済キャンペーン時には、水没を逃れるため近くのアギルキア島へ移築されました。アギルキア島はフィラエ島と地勢がよく似ていて、水没しない島でした。現在では、このアギルキア島がフィラエ島という名で呼ばれています。
アクセス
アブ・シンベル神殿へは、まずカイロからルクソールまたはアスワンへ国内線で飛び、そこで乗り換えてアブ・シンベル空港へ行く。空港から神殿までは車で10分程度。
執筆協力者PROFILE
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
アクセス
アブ・シンベル神殿へは、まずカイロからルクソールまたはアスワンへ国内線で飛び、そこで乗り換えてアブ・シンベル空港へ行く。空港から神殿までは車で10分程度。
執筆協力者PROFILE
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
Similar Heritage
特徴が似た遺産を探す