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オンビリン炭鉱の開発の始まり
インドネシアのスマトラ島内陸部に位置する『サワルントのオンビリン炭鉱遺産』は、19世紀末から20世紀初頭にかけての世界的に重要な工業化の時代に、オランダによって建設された先駆的な鉱業システムです。オンビリン盆地には、1860年代にはすでに高品質の石炭鉱床があることが判明していましたが、鉱床が地下深部にあったことに加え、人里離れた山岳地帯という地理的条件が障壁となっていました。当時インドネシアを植民地として支配していたオランダは、石炭を効率的に採掘し、処理・輸送・出荷することを目的として、産業と社会を一体として機能させる総合技術システムを計画・建設しました。建設に際しては、鉱業の発展を目的としてヨーロッパの工学知識や産業技術が現地に体系的に移転される一方で、現地の熱帯気候や社会構造に合うように調整・融合されていきました。単なる技術移植ではなく、地域条件に即した近代産業システムの成立を物語る点に大きな特徴があります。
生産と流通を結び付ける3つのエリア
サワルントのオンビリン炭鉱遺産は、3つのエリアにある合計12の構成資産から成り立っています。「エリアA」と呼ばれる資産は、石炭採掘と処理に関わる施設群です。ソエンガイ・ドリアン炭坑や、約10kmにわたる地下坑道、石炭処理施設、鉱山学校、発電所と揚水施設、サワルントの企業都市が含まれています。サワルントには、7,000人を超える人々が暮らし、食事や医療、教育、宗教、娯楽といった日常生活に必要な施設が整備されていました。「エリアB」には、山中のオンビリン炭鉱とインド洋沿岸のエマヘブン港を結ぶ、全長155kmの鉄道線路と鉄道施設が含まれています。険しい山岳地形を越えるため、ラック式山岳鉄道や、放物線のアーチ橋、トンネルなど、当時の最先端技術が導入され、地理的障壁を克服するインフラが整備されました。「エリアC」は、エマヘブン港の石炭貯蔵庫があります。ここから石炭がオランダ領東インドやヨーロッパへと出荷されていきました。
ヨーロッパ技術と現地の知識が交差した労働者の鉱山都市
オンビリン炭鉱遺産は、ヨーロッパの工学技術と、現地の環境に関する知恵や社会的慣行が融合したことを示す証拠でもあります。労働力には、地元のミナンカバウ族、ジャワ人や中国人の契約労働者、そしてオランダ統治下の地域からの囚人労働者(オラン・ランタイ、「鎖に繋がれた人々」の意)などによって担われました。ミナンカバウ族は地上での建設作業、契約労働者や囚人労働者は地下深くでの危険な作業に従事する、といったように労働者の身分や区分によって厳格なヒエラルキー構造が存在し、作業内容も明確に分かれていました。サワルントの企業都市も、こうした階層に対応する形で計画・設計されており、住宅の配置や建築様式にも反映されています。
アクセス
西スマトラ州の州都パダンを拠点に3時間〜3時間半かけて車で行くのが一般的。バスもあるが4〜5時間かかり本数は少ない。
執筆協力者PROFILE
福島県出身。世界遺産や絶景、離島などを求め、国内に留まらず70カ国以上を旅するほどの旅好き。普段は上場企業の会社員として働きながらトラベルライターや小笠原諸島のアンバサダーなど、世界遺産や旅を軸に多岐にわたり活動を行っている。
アクセス
西スマトラ州の州都パダンを拠点に3時間〜3時間半かけて車で行くのが一般的。バスもあるが4〜5時間かかり本数は少ない。
執筆協力者PROFILE
福島県出身。世界遺産や絶景、離島などを求め、国内に留まらず70カ国以上を旅するほどの旅好き。普段は上場企業の会社員として働きながらトラベルライターや小笠原諸島のアンバサダーなど、世界遺産や旅を軸に多岐にわたり活動を行っている。
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