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古典期のマヤ文明を代表する遺跡
メキシコ南東部に位置するパレンケは、現在のチアパス州の山岳地帯からタバスコ州の平原を支配した強大な王朝の拠点であったと考えられています。紀元500~700年にかけて最盛期を迎え、9世紀頃に放棄された後は、周囲のジャングルによって遺跡が埋もれていました。18世紀にスペイン人の宣教師によって再発見されましたが、現在もほとんどは密林の中に埋もれています。しかし遺跡は当時の良好な状態で残っており、当時のパレンケでの様子が解明されつつあります。
マヤ文明の定説を覆したピラミッド
エジプトのピラミッドが墓としての機能を果たしていたことは有名です。一方でマヤ文明のピラミッドは神殿としての機能があったと長らく考えられてきました。しかし1952年パレンケのピラミッドの下からパカル王の墓室が発見されました。この発見はメソアメリカで初めて見つかったピラミッドの下に墓を有する建物であり、これまでの定説を覆す発見にもつながりました。パカル王の墓室は「碑文の神殿」と呼ばれるピラミッドの地下室で発見されました。
パカル王と王の地下墓室
パカル王はその後の調査でこの地で7世紀に君臨したパレンケ王朝の最も重要な王で、自らの墓を設計し建造した人物であるとみなされています。パカル王は石棺の中で翡翠をつなぎ合わせたマスクで顔を覆い、首、胸、腕なども貝製ビーズや黄鉄鉱、翡翠の装飾で飾られ、横たわった状態で発見されました。石棺の蓋石は浅浮き彫りがほどこされ、石棺内部は辰砂(水銀朱)が塗られて濃い赤色に覆われていました。墓室の壁は9体の漆喰の像で覆われていました。
アクセス
周辺の主要都市へ空路で移動した後、陸路パレンケの街へ。市街から遺跡までは車で15分ほど。
執筆協力者PROFILE
筑波大学人文・文化学群人文学類在学。2021年度「世界遺産✕SDGsチャレンジ!」小論文部門、2022年度「世界遺産✕SDGs教員養成プログラム」で最優秀賞。現在は中央アジアを中心とする無形文化遺産の保護や活用について関心がある。
アクセス
周辺の主要都市へ空路で移動した後、陸路パレンケの街へ。市街から遺跡までは車で15分ほど。
執筆協力者PROFILE
筑波大学人文・文化学群人文学類在学。2021年度「世界遺産✕SDGsチャレンジ!」小論文部門、2022年度「世界遺産✕SDGs教員養成プログラム」で最優秀賞。現在は中央アジアを中心とする無形文化遺産の保護や活用について関心がある。
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