エッフェル塔
夕日に照らされるエッフェル塔

構成資産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : フランス共和国 所在地 : Ile de France 登録名 : パリのセーヌ河岸

記録的速さで建設された技術力

フランス革命100周年を記念する1889年のパリ万博の目玉に決まったのが、ギュスターヴ・エッフェルが率いるエッフェル社が出した、当時の世界最高の高さを誇る鉄塔案でした。エッフェルは、アメリカ合衆国の世界遺産になっている『自由の女神像』の内部構造や、ポルトガル共和国のポルトにある「マリア・ピア橋」などを設計しており技術力が認められていました。1887年1月26日に建設が開始されると、わずか2年2カ月と5日後の1889年3月31日に記録的な速さで完成しました。5,300枚の図面を基に、150人の工場労働者、約300人の現場労働者が、鉄7,300トン、リベット(ネジ)250万個、塗料60トンを使って完成させました。

パリ万博前年(1888)年のエッフェル塔
建設が進むパリ万博前年(1888)年のエッフェル塔

建設反対運動まで行われた“醜い鉄の塔”

エッフェル塔が完成する前から、小説家のギ・ド・モーパッサンや建築家シャルル・ガルニエ、詩人ポール・ヴェレーヌなどの芸術家を中心に、建設に対する強い反対運動が起こっていました。歴史ある石造りのパリの街並みに、天を切り裂くような鉄の塔がふさわしくないと彼らが考えたからです。しかし塔が完成するとパリ万博では人気を博し、200万人もの入場者数がありました。万博が終わると入場者数は減少し、塔の権利がパリ市に移るタイミングで取り壊しが検討されるほどでした。そこでエッフェルは、エッフェル塔を無線通信のための電波塔として利用することを提案します。こうしてエッフェル塔は第一次と第二次世界大戦でも軍事施設として活用され、残されることになりました。

1889年のパリ万博開催中のエッフェル塔
1889年のパリ万博開催中のエッフェル塔(アメリカ合衆国議会図書館蔵)((c)Alphonse Liébert)

知られざるエッフェル塔

エッフェル塔にはいくつか見どころがあります。1つ目は塔のバルコニーの下に刻まれた72人の名前です。これはエッフェルが選んだ、フランスの科学の発展に貢献した科学者の名前です。地上で初めて光の速度を測定したアルマン・フィゾーや地球の自転を証明する「フーコーの振り子」で有名なレオン・フーコーの名前などがあります。2つ目は塔の頂上にある「ギュスターヴ・エッフェルのオフィス」と呼ばれる小部屋です。この小部屋には、万博中にエッフェルがトーマス・エジソンを招いたと伝わっており、現在は2人の蝋人形が展示されています。最後はエッフェル塔の傾きです。エッフェル塔は非常に背の高いむき出しの鉄の塔のため、太陽の熱の影響を強く受けます。鉄は熱を浴びると膨張するため、エッフェル塔の上部はわずかに太陽の反対側に反っているそうです。

72人の科学者の名前
バルコニーの下に72人の科学者の名前が刻まれている

 

エッフェル塔の頂上
エッフェル塔の頂上には「ギュスターヴ・エッフェルのオフィス」と呼ばれる小部屋がある((c)Brastock Images)

執筆協力者PROFILE

宮澤 光
宮澤 光
NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。

構成資産DATA

所在地 : Ile de France

執筆協力者PROFILE

宮澤 光
宮澤 光
NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。