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14世紀に洪武帝が石積みとレンガで強固な防壁を築造
中国北部、山西省の平遥は、「平遥古城」とも言われる中国有数の古都です。この地域に人類が住み始めたのは新石器時代とされます。紀元前9~前8世紀、周王朝の宣王の時代に要塞が築かれたことが街の始まりです。明代初期の14世紀、洪武帝は石積みとレンガで強固な防壁を築き、城壁内部のレイアウトも大きく変えて街を拡張しました。明代以降は華北地域の金融を支配した山西商人たちの拠点となり、清代にあたる 19~20世紀にかけては中国全土の金融業の中心となりました。平遥は全周約6.4kmの城壁に囲まれており、6基の門と72の塔を備えています。城壁内は約2.25k㎡の広さで、明代から清代にかけての街並が広がります。街路、役所、商店、民家などが往時の姿を留めていて、4,000軒近い商店や住居や、大小100以上の通りなどが現存しています。特に明・清代の漢民族の都市の特徴が非常に良い状態で残されています。「平遥の古代都市」は、近郊の双林寺と鎮国寺も含めて世界遺産に登録されています。6世紀半ばに創建された双林寺には、明・清代にかけて制作された彩色塑像約 2,000体が保存されていて、「東洋の彩色塑像の美術館」と称されます。鎮国寺は10 世紀創建の寺院で、敷地内の芳仏殿は中国で最も古い木造建築の1つに数えられています。
明代以降に華北地域の金融を支配した山西商人
中国の農村における商品作物の栽培、手工業とともに都市における商業、流通が活発になるにつれて、商人の活動が活発になりました。かれらは出身地域ごとにグループを作り、営業権などの特権を政府から認められ、主要な都市にそれぞれ会館・公所をおいて全国的なネットワークを作り上げました。そのような代表的な商人集団に、山西商人と新安(徽州)商人がありました。山西地方は華北の黄河中流域で、鉄の産地として太原を中心に豊かな商人が早くから出現していました。五代十国ごろから、山西商人は鉄や毛皮を扱う事から始まり、米・塩・絹・綿などの仲買で富を築き、さらに金融業にも進出しました。宋代・元代を経てさらに勢力を伸ばし、明代・清代には朝廷の資金を扱って政商として力をつけ、特に銀の流通が広まると銀行業務を行うようになり、華北一帯の商工業を山西商人が支配するようになりました。この山西商人たちの拠点として栄えたのが平遥でした。
アクセス
平遥古城駅からバスかタクシーを利用。
執筆協力者PROFILE
大阪府出身。大学卒業後電気機器メーカーに入社、2015年退職。在職時代世界遺産に興味を持ち、2010年世界遺産検定マイスター資格取得、以降世界遺産アカデミー認定講師として、大学、自治体、カルチャー教室等で世界遺産講座や世界遺産検定対策講座など多数実施中。
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大阪府出身。大学卒業後電気機器メーカーに入社、2015年退職。在職時代世界遺産に興味を持ち、2010年世界遺産検定マイスター資格取得、以降世界遺産アカデミー認定講師として、大学、自治体、カルチャー教室等で世界遺産講座や世界遺産検定対策講座など多数実施中。
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