ピサのドゥオーモ広場
大聖堂はパレルモ沖海戦の勝利を記念して建てられた

遺産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : イタリア共和国 分類 : 文化遺産 登録年 : 1987年 範囲変更年 : 2007年 登録基準 : (i) (ii) (iv) (vi) 遺産の面積 : 0.0887㎢ バッファ・ゾーン : 2.54㎢ 座標 : N43 43 23 E10 23 47

about

有名建築が立ち並ぶ奇跡の広場

イタリアのトスカーナ地方にあるドゥオーモ広場は1114世紀にかけて建設された世界的に有名な建築が残っています。広場は「ミラコリ広場」とも呼ばれます。これはイタリアの小説家ダヌンツィオがこの広場を訪れた際に広場の風景に感嘆して「ミラコリ広場(奇跡の広場)」と称したことに由来します。広場にはヨーロッパ中世の建築様式を代表する大聖堂や洗礼堂、斜塔(ピサの斜塔)、カンポサント(墓地)があります。 

地中海貿易で栄えた海洋都市 

古代ローマ時代から他都市に支配されてきたピサは、11世紀に自治都市になると地中海の商業ルートを確立しました。1063年のパレルモ沖海戦でイスラム軍を破ったことや、数度の十字軍の参加で多くの地中海航路を支配におさめ海洋貿易で繁栄しました。これら海洋都市としての偉大さを表して建築されたのがドゥオーモ広場の建築群です。しかし13世紀の海戦でジェノヴァに敗北した後は、都市は衰退し海洋都市として再び返り咲くことはありませんでした。 

ガリレオ・ガリレイの伝説とピサ 

「天文学の父」や「近代科学の父」として知られ落体の法則や振り子の等時性などを発見した、ガリレオ・ガリレイはピサの出身です。彼はピサの斜塔から重さの異なる2つの物体を落下させて実験を行ったという逸話が残っています。さらに、ピサ大聖堂のシャンデリアの揺れを観察して、振り子の等時性も発見したとの伝説も残っています。そのためピサのドゥオーモ広場は科学史の発展とも結びついた空間でもあります。 

アクセス

ピサ中央駅の1番乗場から1番線(ピエトランサ行)のバスに乗り「トッレ1」で下車。10分ごとに運行。

執筆協力者PROFILE

角濱 さくら
角濱 さくら
NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/大学生

筑波大学人文・文化学群人文学類在学。2021年度「世界遺産✕SDGsチャレンジ!」小論文部門、2022年度「世界遺産✕SDGs教員養成プログラム」で最優秀賞。現在は中央アジアを中心とする無形文化遺産の保護や活用について関心がある。

Properties

ピサ大聖堂

ピサ大聖堂

Cattedrale di Pisa

パレルモ沖海戦での勝利を記念して建築された、広場で最も古い建造物。ジョヴァンニ・ピサーノが制作した説教壇はイタリア・ゴシック彫刻の傑作とされる。建物はアラブの影響を受けており、装飾に東洋の様式の痕跡もみられる。
斜楼(ピサの斜塔)

斜楼(ピサの斜塔)

Torre di Pisa

12~14世紀に建設された高さ55mのピサ大聖堂の斜楼。軟弱な地盤が原因で着工後すぐに傾斜が始まった。その後水平を保つ工事も行われたが、傾斜は直らず当初の予定よりも低い高さで完成した。
ピサ洗礼堂

ピサ洗礼堂

Battistero di San Giovanni

イタリア最大の礼拝堂で、ジョヴァンニ・ピサーノの息子のニコラ・ピサーノが制作した説教壇が残る。洗礼堂内は2重ドーム構造で独特な音響を発生させる。30分毎に係員による音響のデモンストレーションが行われる。
カンポサント

カンポサント

Camposanto monumentale di Pisa

広場の北側に位置する墓地。伝承によると十字軍遠征から帰還した司教がゴルゴダからピサに土を持ち帰ったことに由来する。内部にはフレスコ画が飾られており、特にブッファルマッコの「死の勝利」が有名。

遺産DATA

分類 : 文化遺産
登録年 : 1987年
範囲変更年 : 2007年
登録基準 : (i) (ii) (iv) (vi)
遺産の面積 : 0.0887㎢
バッファ・ゾーン : 2.54㎢
座標 :N43 43 23 E10 23 47

アクセス

ピサ中央駅の1番乗場から1番線(ピエトランサ行)のバスに乗り「トッレ1」で下車。10分ごとに運行。

執筆協力者PROFILE

角濱 さくら
角濱 さくら
NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/大学生

筑波大学人文・文化学群人文学類在学。2021年度「世界遺産✕SDGsチャレンジ!」小論文部門、2022年度「世界遺産✕SDGs教員養成プログラム」で最優秀賞。現在は中央アジアを中心とする無形文化遺産の保護や活用について関心がある。