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約100年間で世界の銀産出量の半分を占める
ボリビア南部、植民地時代の記憶を今に伝えるポトシは、アンデス山の標高約4,000mに位置します。1542~1545年にかけて、ここで世界最大級の銀鉱脈が発見され、ヨーロッパの経済を一変させることになりました。後に「セロ・リコ」(富の山)と名付けられたこの銀山を効率的に運営するために、スペイン人によって建設された街がこのポトシです。銀を精錬する際には、水銀を用いたアマルガム法という当時の最新技術が用いられ、17世紀半ばまでの約100年間で、世界の銀産出量の約半分を占めました。ヨーロッパへの莫大な銀の流入は価格革命をもたらし、後の資本主義体制への移行の基盤となったとも言われています。
スペイン文化の情緒が残るボリビア
この場所は、スペイン人が入ってくる前は山間の小さな村落に過ぎませんでしたが、1569年、スペイン国王フェリペ2世によって派遣された総督フランシスコ・デ・トレドが都市整備を指揮すると、彼のもとで人造湖、ダム、水道などが建設されていきます。今もコロニアルスタイルの建物が多く立ち並ぶ市街には、鉱山から採掘された銀を銀貨に鋳造した旧造幣局や、貴族の邸宅、労働者のための居住区などが残されています。スペインから伝わったバロック様式と先住民の文化的要素が融合した「メスティソ様式」で建てられた教会からは、在りし日の繁栄がうかがえます。
「人食う山」として今も語り継がれるセロ・リコ
街の繁栄の裏では、インディオやアフリカ人奴隷が強制的に集められ、労働を強いられたのも事実で、大勢が犠牲になったとも言われます。人々のあいだで、セロ・リコは「人食う山」として恐れられるようにもなり、今も鉱夫たちの間では語り継がれているそうです。かつては無限にあると思われていたほどの銀も18世紀に入るとその産出量は減少し、1825年にボリビアが独立した後には街そのものも衰退していきます。採掘は現在も続いていますが、その多くは錫や亜鉛です。2014年の世界遺産委員会では、セロ・リコでの採掘作業が無計画で遺産価値が損なわれているとみなされ、危機遺産リストに記載されました。
アクセス
ラ・パスから夜行バスで所要約10時間。空路の場合、ラ・パスから飛行機でスクレまで約1時間、スクレからバスで所要約3~4時間、乗り合いタクシーでは約2時間30分。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
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ラ・パスから夜行バスで所要約10時間。空路の場合、ラ・パスから飛行機でスクレまで約1時間、スクレからバスで所要約3~4時間、乗り合いタクシーでは約2時間30分。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
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